「シリア革命」の牙城イドリブ県を支配する「シリアのアル=カーイダ」のナンバー・ツーが暗殺される
シリア北西部のイドリブ県で4月4日、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)の幹部アブー・マーリヤー・カフターニーが暗殺された。
アル=カーイダが支配する「シリア革命」の牙城
殺害されたのは、トルコ国境に近いサルマダー市だ。
サルマダー市を含むイドリブ県中北部、アレッポ県西部、ラタキア県北部、そしてハマー県北西部は「解放区」などと呼ばれ、体制打倒、自由と尊厳の実現をめざす「シリア革命」の牙城と目されている。だが、その実態は、シャーム解放機構が軍事・治安権限を掌握し、傘下組織のシリア救国内閣や政治問題局といった傘下組織に行政を、シューラー総評議会に立法を委託している。イスラーム国のように国家樹立を宣言はしていないが、テロリストを為政者とする「疑似国家」の様相を呈している。
英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団によると、カフターニーはサルマダー市内の滞在先で、何者かの自爆に巻き込まれて重傷を負い、バーブ・ハワー国境通行所の病院に搬送されたが、死亡した。
また護衛2人とともに負傷した。反体制系サイトのザマーン・ワスルによると、負傷したのはウマル・ダイリーとユースフ・ハジャル(アブー・バラー)。一方、トルコを拠点とする反体制系のシリア・テレビは、ダイリーのほか、同席していたシャーム解放機構のメンバー4人が負傷したと伝えた。
「疑似国家」樹立の功労者
カフターニーの本名はマイサル・ジュブーリーで、アブー・ハムザ、あるいはハラーウィーといった通称でも知られる。イラクの出身で、2006年にイラク・イスラーム国を名乗るようになったイラクのアル=カーイダでの8年の活動を経て、2011年11月のシャームの民のヌスラ戦線の結成に参加、アブー・ムハンマド・ジャウラーニー指導者に次ぐナンバー・ツーとして組織を主導した。意思決定機関であるシューラー評議会のメンバーを務めるカフターニーは、ダルアー県などでシリア軍との戦闘を指揮する一方、イスラーム国批判の急先鋒に立つイデオローグとしても活躍した。
イラク・イスラーム国のシリアにおけるフロント組織として活動を開始したシャームの民のヌスラ戦線は、2013年4月、イラク・イスラーム国の指導者アブー・バクル・バグダーディーが、両組織を完全統合し、イラク・シャーム・イスラーム国を名乗ると発表すると、これに反発した。イラク・シャーム・イスラーム国がその後急速に勢力を増し、2014年6月にイラクのモースル市を制圧し、カリフ制の樹立と、イスラーム国への呼称変更を表明、米主導の有志連合、ロシア、イラン、シリアの挟撃を受けるなか、シャームの民のヌスラ戦線は、2016年7月にアル=カーイダの「承諾」のもとにアル=カーイダとの関係を解消すると発表、シャーム・ファトフ戦線(シャーム征服戦線)に改称した。また、2017年1月には、米国が後援していた「穏健な反体制派」などと呼ばれる複数の反体制武装集団を糾合し、現在の呼称であるシャーム解放機構へと組織名を改めた。
自由シリア軍への「なりすまし」、あるいは脱アル=カーイダ化とも言うべきこのプロセスを進言したのは、カフターニーだと言われている。シャーム解放機構が「シリア革命」の旗手を自認し、北西部における「疑似国家」を樹立し得たのは、カフターニーによるところが大きかったと言えよう。
粛清
しかし、こうした功績にもかかわらず、カフターニーは2023年半ばになると不遇を経験することになった。シャーム解放機構は8月、「自身の立場の機密性を考慮せず、あるいは許可をとることの必要を考慮せず、意図を明示しないまま、意思疎通を行うに際して過ちを犯した」として、カフターニーの権限と任務を凍結し、粛清したのだ。
理由は公式には発表されなかったが、敵対勢力、とりわけ米主導の有志連合との内通が粛清の背景にあった。シャーム解放機構内部では、カフターニーだけでなく、組織のナンバー・スリーと目されていたアブー・アフマド・ズクール(本名ジハード・イーサー・シャイフ)に近い幹部らが2023年12月から1月にかけて同じ容疑で次々と拘束された。ズクール本人も、トルコの占領下にあるアレッポ県北部でシャーム解放機構によって捉えられたが、トルコ軍の介入により、釈放され、逃亡することに成功した(「シャーム解放機構は離反した元幹部を追跡してトルコ占領地に侵入、元幹部を拘束するも、トルコ軍に撤退を阻まれ元幹部の身柄をトルコに引き渡す(2023年12月19日)」などを参照)。
ジャウラーニー打倒デモの高揚
しかし、転機が訪れた。2023年9月にシャーム解放機構によって拘束されていたアフラール(自由人)軍(北西部で活動するアル=カーイダの系譜を汲む武装組織の分派)メンバーのアブー・ウバイダ・タッル・ハドヤー(本名アブドゥルカーディル・ハキーム)が2024年2月末に獄中での拷問で死亡すると、シャーム解放機構の支配下にあるイドリブ市をはじめとする北西部の各所で抗議デモが連日行われるようになったのだ。
デモに参加した住民や国内避難民(IDPs)は、シャーム解放機構傘下の総合治安機関による住人の恣意的逮捕、拷問、殺害に抗議、逮捕者の釈放、刑務所開放、ジャウラーニー打倒、総合治安機関の解体などを訴えた(「「シリア革命」が13年目に突入:抗議デモを危機に晒すエコーチェンバー」を参照)。
事態を収拾すべく、シャーム解放機構機構最高ファトワー評議会のアブドゥッラヒーム・アトゥーン議長が、内通者をめぐる問題について、刑務所を視察し、逮捕者への恩赦を実施するとの意向を表明した。これを受け、シャーム解放機構は3月4日、声明(司法委員会声明第1号)を出し、逮捕者の無実が明らかになったとしたうえで、この不祥事の責任者を追及し、冤罪者に賠償するための司法委員会を設置したと発表した。
そして、この司法委員会が3月7日に声明第2号を出し、カフターニーの無実が証明されたとして、釈放する決定を下したと発表したのだ。
誰が暗殺したのか?
テロリストの支配に抗う住民らの抗議によってテロリストが釈放されたのは皮肉な話だが、しかし、事は終わらなかった。4月4日、「自由」の身になったカフターニーが暗殺されたのだ。
カフターニーの暗殺に関して、最高ファトワー評議会議長のアトゥーンはテレグラムを通じて、「イスラーム国に属するメンバーの手により、自爆ベルトを使用した攻撃で殺害された」と発表した。
しかし、シャーム解放機構への不満が高まるなか、アトゥーンの発表を真に受けるものは多くなかった。
シャーム解放機構を離反した元幹部の1人サーリフ・ハマウィーはX(旧ツイッター)で、カフターニーがジャウラーニーによって暗殺されたと主張した。
イドリブ県での反シャーム解放機構デモを克明にフォローしている「シリア革命の咆哮者たち」を名乗るグループはテレグラムにおいて、カフターニーらがいた部屋を3人の男が訪れ、剣の入った箱を置いて、2人が足早に立ち去った直後、残った1人が起爆装置を作動させて自爆した、と証言する負傷者の映像を公開した。
今のところ、犯行声明は出されておらず、真相は明らかではない。だが、カフターニー暗殺は、「シリア革命」の名のもとに隠ぺいされ続けていた北西部におけるテロリストの支配が極限状態にあることを示している。
テロリストが犯罪者として潜伏、あるいは跋扈する社会や国家において、その撲滅がいかに困難なものであるかは今更言うまでもない。だが、テロリストが支配者として君臨する社会と(疑似)国家が存在する事実を認めることは、正義中毒、あるいは正義病のなかではそれ以上に困難なのかもしれない。