「シリア革命」が13年目に突入:抗議デモを危機に晒すエコーチェンバー
「シリア革命」が始まってから3月15日で13年目に入った。
2011年に「アラブの春」がシリアに波及することで始まったというこの革命は、当初は平和的デモを通じて、体制打倒、自由と尊厳、そして民主主義の実現をめざそうとした。だが、政府による過剰な弾圧、反体制派の武装化、アル=カーイダ系組織を含む過激派と反体制派の融合、諸外国の干渉によって混乱は増し、「シリア内戦」、あるいは「シリア騒乱」、「シリア紛争」と呼ばれる未曾有の紛争に発展した。
英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団がこれまでに発表したデータを集計すると、2023年12月31日時点で死者は39万2294人(行方不明者を除く)に達している。またUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)によると、2024年3月7日現在、総人口2100万人のうち504万人が難民として周辺諸国での生活を余儀なくされている。OCHA(国際連合人道問題調整事務所)が2月20日に発表した概況によると、国内避難民(IDPs)は依然として680万人に達し、人口の90%が貧困状態にあり、1290万人が食糧不足に苛まれ、1670万人が人道支援を必要としている。
…「今世紀最悪の人道危機」は今も続いている。
「膠着という終わり」
「アラブの春」も、「シリア革命」も、「悪の独裁」と「正義の民衆」による勧善懲悪、そして「悪は滅び、正義が勝つ」という予定調和のもとで捉えられることが多かった。だが、当事者や争点を異にする複数の局面が重層的に絡み合って複雑に展開するシリア内戦において、体制打倒、テロ撲滅など、当事者が振りかざす正義が実現することはなかった。絶対的な勝者も敗者もなく、「膠着した終わり」と呼ぶべき状態があるだけだった。
シリア国内の状況に目を向けると、シリア政府が国土の7割の支配を回復してはいる。だが、北西部は「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)が主導する反体制派の支配下にある。北部と東部は、トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルド民族主義勢力の民主統一党(PYD)が米国の支配を受けて実効支配を行っている。
また、米国(有志連合)、トルコ、イスラエルが領土の一部を占領し、ロシアや「イランの民兵」も各地に部隊を駐留させている。イスラーム国の残党やスリーパーセルが残存し、欧米諸国による経済制裁も続いている。シリアは、混乱再発の火種を残したまま、紛争の持続的解決の目途が立たず、復興の道を閉ざされたまま放置されている。
復興を阻害するエコーチェンバー
「膠着した終わり」は、当事者間の物理的な断絶だけでなく、情報空間の断片化ももたらしている。そして、主要な戦闘が影を潜めた今、復興や再生を阻害する最大の要因となっているのは、エコーチェンバー現象、あるいは認証バイアスと呼ばれる情報の偏りだと言っても過言ではない。
エコーチェンバー現象も、認証バイアスも、SNSによるフェイクニュースの拡散が深刻化するなかで、よく聞かれるようになった心理学の用語である。
エコーチェンバー現象は、自身の意見と同じ、あるいは似通った意見だけを、「反響室」(エコーチェンバー)のような狭いコミュニティのなかで見聞きし続けることで、自分の意見が増幅・固定化されることを意味する。一方、認証バイアスは、先入観や意見を自己肯定するために、都合の良い情報だけ集め、反証する情報を無視、否定、あるいは排除しようとする心理作用を指す。いずれも、認知バイアス、すなわち人間が意思決定を行うにあたって、自身の経験や先入観に過度に依拠することで、合理性を欠いた判断を下してしまう心理傾向の一部に位置づけられる。
シリア内戦をめぐっては、欧米諸国の政府やメディア、さらには一部市民が強調した勧善懲悪と予定調和の図式の残像が、エコーチェンバー現象を助長している。
そこでは、無辜の市民による平和的な抗議行動それ自体が目的化し、絶対的正義として君臨している。こうした状態が、シリア内戦の複雑な様相の理解を妨げるのは言うまでもない。だが、それだけでなく、それは、今シリアで続いている二つの平和的デモの実態を的確に捉えることも不可能にしている。
スワイダー県でのデモ
二つの平和的デモとは、シリア政府の支配下にあるスワイダー県での反体制デモと、北西部でのシャーム解放機構に対する抗議デモである。
スワイダー県の反体制デモは2023年8月17日に始まった。県庁所在地があるスワイダー市のサイル広場(反体制派が言うところのカラーマ(尊厳)広場)、アラブ大革命(委任統治時代の反仏蜂起)の英雄的指導者スルターン・バーシャー・アトラシュの廟があるクライヤー町、カナワート市、サアラ村などで、経済の困窮に喘ぐ住民らが、政府の不十分な対応に抗議したのが、始まりだった。
デモは2023年9月初めにかけて勢いを増し、スワイダー県の各所、さらにはダルアー県内で連日行われるようになった。この過程で、参加者の主張も過激さを増し、自由、体制打倒、国連安保理決議第2254号の履行、逮捕者釈放、平和的デモ継続などが訴えられるようになった。
「アラブの春」の波及当初を想起させた。だが、デモはほどなく低調になった。デモ自体はその後も毎日続けられたが、参加者は、数十人、多くて数百人程度にとどまり、目に見える成果を勝ち取ることはなかった。
暴力に晒されることで威力を発揮する平和的デモ
反体制デモの拡がりが限定的で小規模にとどまったこと、あるいは人道的介入を得意とする欧米諸国の政府や社会が関心を示さなかったことだけが低調の理由ではなかった。政府当局による弾圧が行われなかったこと――それがデモの威力を奪った。より厳密に言うと、デモが当局の暴力を誘引せず、弾圧を免れたという逆説が、デモを無力なものとした。
権威主義体制における平和的デモ、あるいは非暴力・被服従運動は、その規模や拡がりをもって国家機能を麻痺させること、あるいは軍、警察、治安機関といった物理的暴力の担い手からの組織的な支援を得ることで、体制転換に代表される政治目標を達成することができる。だが、こうしたことが起きることは稀だ。
平和的デモは、多くの場合、暴力に晒され、参加者(とりわけ女性、子供、老人といった弱者)が被害者となることで初めて威力を発揮する。それを注視、あるいは傍観する第三者の同情と怒りを喚起し、彼らに暴力、制裁、封鎖といった強制力を代行させることで、国家を追い詰めることができるからだ。
ここで言う第三者とは、国内においては、離反した軍、警察、治安機関であることもあれば、武装勢力、あるいは過激派であることもある。一方、国外においては、外国の政府や軍、さらには外国人義勇兵(民兵、傭兵)、そして国際テロ組織であることもある。
「シリア革命」における平和的デモが、シリア政府の弱体化に成功したのは、それが容赦ない弾圧に晒されたことで、活動家を武装させ、アル=カーイダの系譜を汲む世界中の過激派を参集させる一方で、欧米諸国、トルコ、そしてアラブ湾岸諸国が経済制裁を科し、これらの反体制派を直接、間接に支援したからに他ならない。
デモを黙殺する政府
だが、今回は当てが外れた。政府はデモを弾圧せず、その代わりに、教職員、技術職員の給与、勤務医の医療関連補償金などの増額、技師、獣医、地質関係者などへの補助金支給、減税、燃料価格の引き下げといった措置を講じた。これらの措置は、困窮する市民生活を抜本的に改善するものではなかった。とはいえ、デモを黙殺することで、その拡大を阻止した(詳細は「シリア南部で続く抗議デモに喜んでいるのはアル=カーイダだけ」を参照)。
弾圧を誘発しようとする活動家
反体制デモが開始されてから196日目となる2024年2月28日、参加者が暴力に晒される事件が(ようやく)発生した。反体制活動家の社会復帰手続きを行うための和解センターが設置されているスワイダー市内の4月7日ホール周辺で、活動家数十人がデモを行い、その勢いで施設内に押し入ろうとしたことに対して、和解センターの守衛が発砲、54歳の男性1人が撃たれて死亡したのだ。
デモに参加する活動家らは、これまでにもたびたびこうした挑発を行っていた。彼らは前日の2月27日にも、スワイダー市内にある与党バアス党スワイダー支部東部支局を襲撃していた。また2023年8月27日にはバアス党スワイダー支部を、11月6日、12月1日、12日、18日にはそれぞれ、シャフバー町、カフル村、マシュクーク村にあるバアス党の事務所を襲撃していた。9月13日には、バアス党スワイダー支部の占拠を試み、守衛の発砲を受けた。12月10日にも、バアス党スワイダー支部に侵入、党員からなる民兵(バアス大隊)と交戦した。だが、死者が出たのはこれが初めてだった。
犠牲者となった活動家らは、スワイダー市各所で発砲、手りゅう弾の爆発させたほか、総合治安部スワイダー支部やバアス党スワイダー支部一帯で車を襲撃し、機関銃を発砲、バアス党スワイダー支部西部支局を押入るなどした。3月1日にも、何者かが4月7日ホールを砲撃し、建物の西側に損害を与えた。
しかし、活動家の挑発や報復は、政府当局の弾圧も第三者の介入も誘発しなかった。活動家らは、死亡した男性の葬儀が行われた2月29日に、参列者とともに大規模なデモ行進を組織することはできた。だが、そこまでだった。
北西部での抗議デモ
スワイダー県での反体制デモによって、今日のシリアにおける平和的デモの実効性の低さが示される一方、北西部でのシャーム解放機構に対する抗議デモは、「シリア革命」が直視するのを避けてきた現実を白日の下に晒した。
シャーム解放機構に対するデモは何年も前からたびたび発生していた。そこでは、生活状況の改善といった日常的な要求が主唱されることもあれば、シリア軍との戦闘再開に踏み切ろうとしないとしない弱腰の姿勢、あるいは政府支配地とを繋ぐ通商用の通行所の開設や政府との和解に向けた試みに批判の矛先が向けられることもあった。住民やIDPsの恣意的逮捕、イスラーム主義組織の解放党や新興のアル=カーイダ系組織のフッラース・ディーン機構のメンバーの逮捕拘束、獄中での拷問、殺害を非難するデモもあった。
だが、2023年5月頃から、逮捕拘束されている住民の解放を求めるデモが勢いを増し、そのなかで徐々にシャーム解放機構の指導者であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニーの打倒を訴える動きが見られるようになった。背景には、シャーム解放機構が有志連合と内通していたとするメンバーへの粛清を始めたことがあった。北西部の治安を担うシャーム解放機構の総合治安機関は2023年8月、最高幹部の1人アブー・マーリヤー・カフターニー(本名マイサル・ブ・アリー・ジュブーリー(ハラーリー))を逮捕した。また12月には、幹部の1人アブー・アフマド・ズクールが離反、トルコに逃亡した。
そして今年2月末になると、北西部の中心都市であるイドリブ市のほか、イドリブ県のサルマダー市、ビンニシュ市、フーア市、アリーハー市、ダーナー市、ジスル・シュグール市、タフタナーズ市、マアッラトミスリーン市、アルマナーズ市、カッリー町、ハザーヌー町、アレッポ県のアターリブ市、ダーラト・イッザ市、バービカ村などでほぼ連日デモが発生するようになった。きっかけは、2023年9月にシャーム解放機構によって拘束されていたアフラール(自由人)軍(北西部で活動するアル=カーイダの系譜を汲む武装組織の分派)メンバーのアブー・ウバイダ・タッル・ハドヤー(本名アブドゥルカーディル・ハキーム)が獄中での拷問で死亡したことだった。
デモでは、ジャウラーニーの打倒、逮捕者釈放、シャーム解放機構が支配地の自治を委託する意思決定機関(国会に相当)のシューラー(合議)総評議会の解体、総合治安機関の解体、刑務所の解放、不義、専制、意思決定の独占の停止、恣意的逮捕、拷問、殺害に関与した者の処罰、住民の権利の侵害や嫌がらせ反対などが訴えられた。各地のデモの参加者はおおむね数十人ほどだった。だが、3月1日と8日の金曜日にイドリブ市で発生したデモは、午後の集団礼拝後に行われ、住民やIDPsら数百人が参加した。
懐柔策で応じるシャーム解放機構
抗議デモに対して、シャーム解放機構もまた、暴力で対抗することはなく、懐柔策を講じていった。
3月1日、まずはシャーム解放機構の最高ファトワー評議会のアブドゥッラヒーム・アトゥーン議長が、内通者をめぐる問題について、刑務所を視察し、逮捕者への恩赦を実施するとの意向を表明した。これを受け、シャーム解放機構は3月4日、声明(司法委員会声明第1号)を出し、逮捕者の無実が明らかになったとしたうえで、この不祥事の責任者を追求し、冤罪者に賠償するための司法委員会を設置したと発表した。また3月7日には、この司法委員会が声明第2号を出し、カフターニーを釈放したと発表した。
一方、シャーム解放機構が自治を委託する執行機関(政府に相当)のシリア救国内閣は3月5日、政令(政令第1号)を発出し、ラマダーン月を記念して犯罪者に対する禁固刑、むち打ち刑、罰金刑への恩赦を実施すると発表した。これを受けて、翌3月6日、逮捕者420人が釈放された。また、シリア救国内閣は同じ6日、住宅用、商業用の建物の建設にかかる手数料の全額、あるいは一部免除することを定めた決定(決定第37号)を発出した。
そして、3月12日、ジャウラーニー本人が公の場に登場し、デモへの対応策を示した。ジャウラーニーは、シリア救国内閣、シューラー総評議会、そして部族評議会の代表らと会合を開き、以下7項目の実施を決定した。
- 解放区(シリア政府の支配下にない北西部やトルコ占領地のこと)全般にかかる政策や戦略的決定を検討することに関心、意見、そして専門知識を有する住民からなる最高諮問評議会の設置。
- 総合治安機関のシリア救国内閣内務省所轄組織への再編。
- 解放区におけるシューラー総評議会選挙の呼びかけ、選挙法の見直し、住民、各階層、住民活動の代表性の拡大、現地で活動する各執行(行政)機関の規律、効率性、健全性を実現するためのシューラー機関の監督機能の強化。
- 苦情清算ディーワーン(庁)の設置。
- 最高監督機構の設置。
- 経済政策の見直し。
- 地元評議会、組合の役割の活性化。
この会合の場で、ジャウラーニーはまた、イスラーム国との戦い、解放区統合に向けた動き、制度的環境整備に向けた取り組みの進捗についての詳細について説明したのち、以下の通り述べ、退任さえも示唆した。
むろん、デモ発生を阻止するような予防的措置も講じた。シリア救国内閣宗教関係省は3月6日、支配地のイマーム(礼拝の導師)、ハティーブ(説教師)らに対して、省が指定した文言から逸脱した発言を行わないよう、また域内の不正や犯罪について言及への言及ないよう通達、これに反した場合は厳正に処罰すると警告した。また、ジャウラーニーも3月12日の会合で、デモに「レッドライン」を踏み越えないようくぎを刺した。
エコーチェンバーへの波紋
北西部で今も続いている抗議デモは、「シリア革命」に共鳴するエコーチェンバーに一石を投じた。シリア国内外の反体制活動家や反体制系メディア、さらにその支持者が、限定的ではあれ、デモへの連帯を表明することで、シャーム解放機構をあからさまに非難するようになったのである。
北西部はこれまで「シリア革命」最後の牙城と位置づけられ、独裁に虐げられつつも、自由と尊厳の実現をめざそうとする無辜の市民以外には存在しない聖域のように扱われてきた。だが、そう信じ、自らに言い聞かせてきたのは、エコーチェンバーのなかにいる者だけで、事実はまったく異なっていた。
シャーム解放機構の前身であるヌスラ戦線、アル=カーイダ系組織のシャーム自由人イスラーム運動、イスラーム国に近いジュンド・アクサー機構、シリア・ムスリム同胞団の系譜を汲むシャーム軍団などからなる武装連合体のファトフ軍が2015年3月にイドリブ県を中心とする北西部を制圧した当初から、この地域は過激派の温床であり、そこで暮らす人々は、虐げられ、恐怖に怯えながら暮らしてきた。あるいは、この地で「自由」に活動するには、過激派の権威を認め、その支配を受け入れることが求められた。
シャーム解放機構が、フッラース・ディーン機構、チェチェン人やレバノン人からなるジュヌード・シャームを放逐し、北西部における覇権を確立した2021年末以降も、こうした状況は同じだった。エコーチェンバーの外に出れば、シャーム解放機構が、その軍事部門に加えて、シリア救国内閣、シューラー評議会、総合治安機関を駆使してこの地を統治していることは一目瞭然だ。
反体制活動家や反体制系メディア、さらにその支持者が、シャーム解放機構の存在を認め、非難することは、「シリア革命」の原則からすると至極当然のことではある。だが、そのことは、過去数年にわたって「シリア革命」の名のもとに、過激派の暴力の傘のもとで活動してきた自らの汚点をさらけ出す行為に他ならない。
しかも、こうした行為が、第三者、とりわけシリア国外の活動家や支援者によって安易に(そして免罪符として)行われることは、シャーム解放機構の支配下で暮らしている北西部の人々を危険に晒すことでもある。なぜなら、北西部の人々は、今この瞬間も逮捕、拷問、弾圧、殺戮の恐怖のなかで暮らしているからだ。
北西部で続けられている抗議デモは、現状変更を可能とするような第三者の強制力がなければ失敗に終わるだろう。だが、シャーム解放機構を非難する第三者が、デモについての情報を安易に拡散・共有することは、エコーチェンバーの一員であるシャーム解放機構に「不満分子」の情報を提供することを意味している。そして、その先に何が起きるのかは、誰でも容易に想像がつく。