映画『主戦場』は日本の「慰安婦タブー」に新しい風穴を開けるかもしれない
ドキュメンタリー映画『主戦場』が4月20日に公開され、既に二度、観に行ってきた。配給会社のスタッフに「篠田さんは真っ先に来てくれると思ったのに試写会にも来てないのでどうしたのかと思ってました」と言われた。確かにその通りで、忙しさにかまけて出遅れたことを反省している。
私の編集する月刊『創』(つくる)は、映画『靖国』や『ザ・コーヴ』が「反日映画」だとしてネトウヨの攻撃も含めて大きな騒動になった時、その一部始終を追いかけたし、『ザ・コーヴ』については、映画の上映中止が相次ぐ中で最初の大規模な自主上映も行った(警察が20人も出動する緊迫した中での上映だったが)。
慰安婦問題についても、2001年のNHK番組改変事件や、ネトウヨによる慰安婦問題の集会への攻撃、さらに2014年の朝日新聞バッシングまでフォローしてきた。
そうした経緯を経て、いまや慰安婦問題そのものがタブーになってしまった状況があるのだが、今回の映画『主戦場』には、そうした閉塞状況に風穴を開ける可能性がある新しさを感じた。一番大きな要因は、これが日本人でも韓国人でもない、ミキ・デザキという日系アメリカ人の監督によって作られた映画だったことだろう。
この映画の特徴はあちこちで指摘されているように、慰安婦問題をめぐって激しく対立している左右両派の論客が登場していることだ。かつて慰安婦論争が『朝まで生テレビ』などで激しく展開されていた時期には、双方が顔を合わせて激論する局面もあったが、いまや「南京虐殺」や「慰安婦問題」は、マスメディアも「めんどうなことになる」という理由でほとんど扱わず、論争自体が封印されてしまっている。
その封印された論争が、なぜこの映画で復活したかというと、上智大学大学院で学んできたアメリカ人が慰安婦問題に取り組んだという新しいシチュエーションだったからだろう。特に映画の中で「歴史修正主義者」とされているケント・ギルバート、藤岡信勝、杉田水脈、櫻井よしこ、それに加瀬英明といった「濃いキャラクター」の面々が次々と登場するのは、この映画にかなりのインパクトを付与している。
それに対抗するリベラル派の吉見義明、渡辺美奈、中野晃一といった面々は、いいことを言っているのだが、キャラの立ち方がいまひとつ。彼らの発言だけだったら、この映画が地味なものになってしまったのは間違いないだろう。
例えば杉田水脈議員など、昨年のLGBTに関する発言で『新潮45』を休刊させた事件で一気に知名度を上げたとはいえ、彼女の主張を映像ととともにじっくり聞く機会を得たのは、この映画が初めてという人も(私を含めて)多いのではないだろうか。
公開後の右派論客たちの反応と映画の手法
いま映画が公開されて、そうした右派の論客たちは、多くが「騙された」と言っているらしい。実際、『正論』6月号でケント・ギルバートさんは「試写会に行ってきましたが、実にひどい映画でした」と書いているし、『月刊Hanada』6月号には「ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦映画の悪辣な手口」というすごいタイトルの記事が掲載され、筆者の山岡鉄秀さんが末尾でこう書いている。
「最後に、大変僭越なのを承知のうえで、保守系言論人の方々に助言したい。将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも、必ず素性をチェックすることだ」
アメリカ人の大学院生の研究のためと思って取材に応じた人たちが騙されたというわけだ。
デザキ監督は、スタッフの協力を得て3カ月で編集を行ったと言っているが、この映画を2回観てみると、編集がなかなかよくできているのに感心する。20万人とも言われる慰安婦の人数に根拠はあるのか、強制連行と言える実態はあったのか、慰安婦を性奴隷と呼ぶのは現実にそぐうのか、といった論点について、対立する双方の意見を丹念に対比させていくのだ。
アメリカ在住の映画監督・想田和弘さんが『キネマ旬報』5月号で書いているが、こういう手法は、アメリカのドキュメンタリー映画では一般的なのだという。さらにデザキ監督自身が4月30日の上映後のトークで語っていたが、「この映画はテンポが速いと評されていますが、アメリカのドキュメンタリー映画はもっとテンポが速いのが特徴です」という。
日本で言えばまさに『朝まで生テレビ』のディベートの手法なのだが、この手法がこの映画の大きな特徴だ。
右派論客が騙されたと言っているのは、彼らに「歴史修正主義」という批判を含んだ呼び方がなされていることもさることながら、映画の後半で、慰安婦問題をめぐる歴史的経緯を追いながら、再軍備を進める日本はこのままではアメリカの戦争に巻き込まれることになるが、それでよいのかという疑問を呈して終わるという、その映画の流れゆえだろう。
私が最初にこの映画を観たのは4月26日夜だが、金曜のその最終回は特別に日本語と英語の字幕がついているせいで、観客の3~4割が外国人(たぶんアメリカ人)だった。上映後に質疑応答が行われたのだが、慰安婦問題をそんなふうに外国人をまじえて議論するというのはすごく新鮮に感じられた。
慰安婦問題をめぐっては、韓国においては「反日」と評されるナショナリズムが、そして日本においては「嫌韓」と言われるナショナリズムが吹き荒れており、双方が膠着状態だ。ところが、いまこの論争はアメリカに飛び火し、慰安婦問題のシンボルである少女像の建立をめぐって幾つかの州で議論が起きているという。
この映画に新しさを感じたのは、今まで日韓の問題とされてきたこの論争に、アメリカ人の視点が入っているためだろう。
『主戦場』というタイトルは、映画の中で右派活動家が「今やアメリカが主戦場になっている」と語った言葉からとったものだ。ただ、監督はもう少し大きな意味をこのタイトルに付与しているようで、それについては後述する。
日本と韓国の若者たちの反応とメディアの責任
映画を観ていて胸が痛んだのは、日本人の若者たちに、韓国と日本両方の街頭で「慰安婦について知っていますか」という質問をしたシーンだ。どちらの日本の若者も「えー、よくわかりません」と答えている。物事がタブーになってしまうとはこういうことだ。慰安婦問題とはいまや日本においては、その存在自体がなかったことにされつつあり、若い人たちがそういう問題を考える機会もなくなってしまっている。
ついでながら映画のパンフに書かれている興味深い話を紹介すると、スタッフはこの映画の撮影中、韓国の梨花女子大の前の少女像で、慰安婦問題のドキュメンタリーを撮っている現地の大学生グループに出会い、インタビューも兼ねて話してみたという。そしたら韓国人の彼らは、日本の河野談話を知らない様子だったという。韓国の若者たちも、慰安婦問題をめぐる日本の状況について知らないというわけだ。パンフには、そうだとすると「問題はずっと平行線を辿ることになる」と書かれている。それが恐らくこの問題の本質なのだろう。
4月30日に観に行った時、終了後の質疑応答で監督は、日本のマスメディアの問題にも言及していた。慰安婦問題がタブーになっていったことにメディアの責任が大きいのは言うまでもない。特に大きな影を落としているのは、2014年の朝日新聞社への激しいバッシングや、それに伴って起きた元朝日記者・植村隆さんへの異常というべき攻撃だ。
朝日新聞社は、対応のまずさもあって、ほぼ完敗。リベラル派の牙城だった同紙が2014年9月11日に「落城」したのだった。このバッシングは、産経新聞などの右派メディアはもちろんだが、週刊誌なども朝日叩きに狂奔し、記事の見出しに「国賊」「売国奴」といった文字が躍る異様な状況だった(一連の経緯については月刊『創』2015年緊急増刊『朝日新聞バッシングとジャーナリズムの危機』に詳しくまとめられている。下記を参照)。
https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2015/
そうした攻撃はその後も断続的に行われている。例えば2018年10月、朴寿南監督の『沈黙―立ち上がる慰安婦』という慰安婦をテーマにした映画が茅ケ崎市民文化会館で上映されたが、茅ケ崎市と教育委員会が後援に名を連ねたことに、ネトウヨや自民党市議団までが激しい抗議・攻撃を行った。
その自民党市議団の抗議文にはこう書かれていた。
「最新の政府見解では強制連行は特定の新聞社による誤報であることから慰安婦を強制連行した事実はないこと、また慰安婦は性奴隷ではないことも明らかである」
朝日新聞社の慰安婦問題についての訂正謝罪は、いわゆる吉田清二証言を掲載・報道したことについてなのだが、あたかも強制連行を含め慰安婦問題全体について、誤りを認めて謝罪したかのような言い方にされてしまっている。それを論拠に、慰安婦問題そのものがなかったかのような主張になっているのだ。これが、慰安婦問題がタブーになってしまった日本の現実だ。
ちなみに『沈黙―立ち上がる慰安婦』への攻撃は、当初は自治体が後援したことが問題とされたが、右翼側の攻撃は次第に上映そのものをやめろというものに変わり、上映のたびに街宣車が押し掛ける事態となったようだ。下記の映画の公式サイトにあるPressの項を開くと経緯を報じた記事を見ることができる。
https://tinmoku.wixsite.com/docu
『主戦場』というタイトルについての監督の思い
さて『主戦場』に話を戻そう。4月30日の上映には、官房長官会見で有名になった旧知の東京新聞・望月衣塑子記者も観に来ていて、上映後、サイン会を終えたデザキ監督と少しの時間、彼女と一緒に話を交わした。そこで『主戦場』という映画のタイトルについて訊いた私の質問に、監督はこう答えた。
「この言葉がメタファー(隠喩)として良いなと思ったからです。映画の中に出てくる言葉ではあるのですが、同時にそれは、慰安婦の問題について対立する双方から話を聞いてきた私の頭の中が“主戦場”になったということだし、映画を観る観客の皆さんにも私が体験したプロセスをたどってほしいという思いからです。
慰安婦の問題をめぐっては日本と韓国で論争が行われていますが、韓国と日本の一般の人々が持っている情報が共有されていないように思えます。それはメディアが情報の共有という役割を果たしてこなかったからかもしれません。
東アジアの状況をよくするためには、もっと情報を共有して対話をすることが必要だと思うのです」
この映画は昨年10月、釜山国際映画祭で上映され、大きな反響を得て、日本で公開されたのだが、この8月からは韓国でも公開されるという。韓国でどんな反応を呼び起こすのか楽しみだ。今後、アメリカでもぜひ公開してほしいと思う。
アメリカでの公開と言えば前述した映画『沈黙―立ち上がる慰安婦』も、2017年12月から日本で公開された後、アメリカで公開され、それを受けてこの2019年5月19日(日)、渋谷のアップリンクで凱旋上映が行われる。詳細は下記サイトにあるが、私も行ってみるつもりだ。
https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2019/49392
映画『主戦場』の方は、4月20日から渋谷のイメージフォーラムで緊急公開されているが、連日満席という盛況で、この後全国各地で公開が拡大していく予定だ(詳細は下記公式サイト参照)。
私も2回目に観に行って感じたが、上映後のサイン会に並ぶ列が長くなっていたし、上映中も客席から笑いが漏れたりするツボが押さえられており、明らかに口コミで評判が広がり、映画についてある程度知った客が観に来るようになっている。
渋谷のイメージフォーラムは、冒頭に書いた『ザ・コーヴ』の騒動の時には、公開初日に映画館前に上映中止を叫ぶネトウヨや、それに反対する市民、それに取材するマスコミや、警察がひしめきあい、一時は混乱状態になったことを思い出す。『創』の連載執筆者である元一水会の鈴木邦男さんが「映画を観もしないで上映妨害するのはおかしいじゃないか」とネトウヨの隊列に割って入り、拡声器で殴られて出血する事態にもなった。
イメージフォーラムは、これまでも数々の問題作を上映してきた、腹の座った映画館だが、当面『主戦場』には各地のそういう映画館が上映に手をあげている。配給会社は、三上智恵監督の『標的の村』や、森達也監督の『FAKE』など、これまた問題作と言われたドキュメンタリー映画をこれまでも配給してきた東風だ。そういう人たちに支えられてこの映画の公開は始まったが、評判が広がれば公開は拡大していくと思う。
デザキ監督が言うように、ぜひ多くの人々がこの映画を観て、慰安婦問題と、それがタブーになってしまっている現状について考えてほしいと思う。