初公開後、上映不可能になった『シュリ』が日本で… 監督は反対を押し切ってのソン・ガンホ起用を懐しむ
「今回ようやく日本での再上映が決まってうれしく思います。これをきっかけに、もし韓国でも再上映されれば、若い世代に観てもらえるのですが……」
そう語るのは、あの『シュリ』を監督したカン・ジェギュである。
ちょっと信じがたいことだが、『シュリ』は1999年(日本は2000年1月)に劇場公開された後、上映権の問題が持ち上がり、その後、劇場での再上映はもちろん、プラットフォームで配信もされない作品になっていた。かろうじてDVD(商品としてはレアもの)で観られるのみ。
現在に至る韓国映画・ドラマのブーム、その原点は何かと問われたら、ドラマでいえば「冬のソナタ」(日本では2003〜2004年に初放映)。そして映画は、やはり『シュリ』(日本は2000年1月公開)を挙げる人が多いはず。
『シュリ』は1999年に韓国で公開され、621万人もの観客を動員。日本でも興行収入18億円という、韓国映画として異例のヒットを記録した。サッカー・ワールドカップを控えて、韓国と北朝鮮が合同チームを想定し、交流試合を開催。そんな一大イベントを背景に、多発する要人の殺害事件、北朝鮮の特殊部隊の暗躍という衝撃的な展開に、特大スケールかつ壮絶を極めるアクションが盛り込まれる。かつてないインパクトが、日本の観客も虜にしたのだ。
これだけの話題作にもかかわらず、上映権の問題を抱えてしまった『シュリ』。しかし25年の節目を迎え、日本では4Kデジタルリマスターとしてスクリーンに甦ることになった(9/13公開)。いま改めて観ても、あのショッキングなオープニングから一気の勢いに引き込まれるだろう。
25年経っても、あの衝撃と興奮を忘れられない人も多い。カン・ジェギュ監督は、韓国の人たちが今も「聖地巡礼」していると、こんなエピソードを伝えてくれた。
「最近、済州(チェジュ)島へ行ったのですが、『シュリ』のクライマックスのロケで使われたベンチが今もきれいに保管され、多くの人が写真を撮っている光景を目にしました。25年経っても、記憶に残してくれている人たちがいる。ただしその多くは30代の後半、あるいは40代以降の人たちで、10代から30代前半には“クラシック映画”という認識なのでしょう。あるいは、そもそも知らなかったりもする。長い間、TVの地上波をはじめ、他のメディアで『シュリ』が流されなかったことは、とても残念です」
『シュリ』が、その後の韓国映画に大きな波をもたらしたもうひとつの功績は、俳優の発掘である。近年、話題作(『ソウルの春』など)で活躍がめざましいファン・ジョンミンが短いシーンで登場していたりもするが、やはりこの人、ソン・ガンホのブレイクのきっかけだろう。『シュリ』に続いて、翌年の『JSA』、そして『殺人の追憶』、『パラサイト 半地下の家族』と、国際的なスターへと駆け上がっていったソン・ガンホ。カン・ジェギュ監督の、先見の明のおかげである。
「メインのキャラクターが4人で、そのキャストのバランスを考えました。当時、ハン・ソッキュさん、チェ・ミンシクさんは、映画やドラマで皆さんによく知られていました。一方でキム・ユンジンさん、ソン・ガンホさんは新人同然でした。人気俳優2人、新人2人という組み合わせがうまくいったのです。
ソン・ガンホさんを抜擢したのは『ナンバー・スリー NO.3』という映画を観たからです。小さい役ではありましたが『こんな演技ができる俳優がいるのか』と、あまりにリアル、そして新鮮な演技に衝撃を受けました。チャンスに恵まれれば、大きな存在感を示す俳優になる。そんな潜在能力を確信できたのです。ただ、『シュリ』にソン・ガンホさんを起用しようとした時、まだ知名度がなかったので、出資会社からは反対の声が上がりました。それでも私は『この俳優は絶対に素晴らしい演技をしてくれる』と彼らを説得しました。今では国を代表する俳優になったわけです」
ソン・ガンホとは「今でも時々連絡を取り合ってますし、映画祭などで会うと、いろんな昔話をしていますよ」とカン・ジェギュ監督。
『シュリ』の製作費は当時、韓国映画として最高額だったと言われている。カン・ジェギュ監督は、「とにかく出資してくれた会社が損失を出さないように。それだけを心がけた」そうで、結果的に大ヒットを記録し、「日本と韓国の文化的コンテンツを交流させる、ひとつの“里定標”にもなった」と満足気な笑みを浮かべる。
カン・ジェギュ監督は、『シュリ』の5年後、さらなる大作『ブラザーフッド』も撮り、一躍、韓国映画界を支える存在として世界的に知られるようになる。『シュリ』の公開時のインタビューで、監督は他国との共同製作などへの野心も語っていた。
「『ブラザーフッド』を撮った後、ハリウッドからもオファーがあり、アメリカに4年ほど滞在しました。あの時期、韓国映画を世界に広げる動きが始まり、ハリウッドで製作に関わることに大きな価値があったのです。たしか私は、数十作品の演出依頼をいただきました。その中で『ヨナ』というSF映画をぜひ撮りたくて、他の作品を断ったのですが、結局、『ヨナ』の製作はストップし、私のハリウッドデビューはなくなりました。
当時は残念な気持ちでしたが、最近は考えも変わってきています。プラットフォームの増加で、配信用の作品も多く作られ、別の国へ行かなくても世界に発信できる作品を送り出せるわけですから。
もちろんチャンスがあれば、世界のどこかで撮ってみたい。共同製作に限定しなくても、たとえば2つの国が共有する歴史を扱った作品ということで、以前に『マイ・ウェイ 12,000キロの真実』という作品を撮ったこともありますから」
『マイ・ウェイ〜』は、日本統治時代の朝鮮を舞台に、オダギリジョー、チャン・ドンゴンらが共演した一作。また、カン・ジェギュ監督の最新作で、現在、日本でも公開中の『ボストン 1947』は、日本代表としてオリンピックのマラソンでメダルを獲得した韓国人選手2人の実話を描いた感動作。国のボーダーを超えた作品という、カン・ジェギュ監督の志向を感じさせる。
この流れで、コロナ禍の後、韓国国内の興行収入がなかなか回復しない現状に話を向けると、カン・ジェギュ監督は次のように分析した。
「ある専門家によると、韓国人はひとつの何かにのめりこむと、その“度数”が高く、そこからなかなか抜け出せない傾向があるそうです。ストリーミング(配信)に慣れ親しんだ人々が、映画館に戻ってくるのに時間がかかっているようで、そこが今後の課題になるでしょう」
観客を映画館に戻すためにも、『シュリ』の韓国での再上映、ぜひ近いうちに実現してほしいと感じる。今回の日本での再公開での反響が、その後押しになればいいのだが……。
『シュリ デジタルリマスター』
9月13日(金)シネマート新宿 他全国ロードショー
配給:ギャガ (c) Samsung Entertainment