政府が水面下で偽情報対策か 「現代版検閲ありうる」「明示なき言論介入は不適切」憲法学者が懸念
政府(岸田文雄内閣)が「偽・誤情報対策」に本腰を入れようとしている。感染症対策の一環として平時から行う方針を示しているほか、「デジタル空間の情報流通の健全性確保」の観点からの包括的な対策の検討も急ピッチで進められている。
これまで偽・誤情報問題への対応は、表現の自由の観点から民間の自主的な取組を尊重し、政府の介入は慎重であるべきとされてきた。だが、情報空間への国家の介入を求める声が高まりつつあり、水面下で事実上の対策が始まっている。
こうした動きは、表現の自由を最大限保障してきた憲法の観点から問題はないのか。日本国憲法施行から77年を迎えるにあたって、『表現者のための憲法入門』などの著作がある志田陽子・武蔵野美術大学教授と、言論市場における政府の役割の憲法上の限界などを研究してきた横大道聡・慶應義塾大学法科大学院教授にインタビューを行った。(改題しました)
武蔵野美術大学の志田陽子教授(憲法)の話
ーー 政府は先月「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」の全面改定案を公表した。その中には「偽・誤情報」のモニタリング(監視)と事業者への要請等の「対処」を行う方針が盛り込まれている(詳報)。
(志田教授)一般人どうしの意見交換の場であるSNSで、権利侵害や被害が発生するような情報が流布しているときに、これを抑制することは、政府の正当な関心事になる。
感染症対策については、憲法25条2項に定められている国の努力義務に含まれるので、これも正当な関心事になるが、それを理由に、一般市民の正当な言論活動を統制するような動きは、憲法21条の表現の自由を掘り崩しかねない。
たとえ「公衆衛生の向上及び増進」という正当な理由があっても、憲法21条との緊張関係がなくなるわけではないことに留意すべきだ。
(関連条文)日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
ーー 政府はこの「政府行動計画」をパブリック・コメントを経て、来月にも閣議決定して実施する方針を示している。
(志田教授)政府行動計画にも「表現の自由を不当に害さないように配慮する」といった文言が入っているのとないのとでは、大きな違いがある。
せめて「配慮する」という文言があれば、「配慮」を怠っているのではないか、その点を十分検討したかどうかを問う根拠になる。
政府の活動が正当な関心事を超えて拡大しないように、市民やジャーナリストがしっかり監視していかないといけない。
ーー 政府が行う「対処」には「削除」の要請も含まれるとみられる。政府が「偽・誤情報」を認定し、事業者に要請して削除させた場合でも、憲法が禁止する「検閲」には当たらないということか。
(志田教授)憲法21条2項は、いわゆる発表前に、政府が先回りして言論を封じるという意味での検閲を絶対的に禁止している。
公権力によって言論活動を事後的に統制することも、この検閲禁止の趣旨から、本当にやむにやまれぬ場合に限られると考えるべきだ。
現代でも、かつての検閲制度が生み出した社会的な病理を招くような「情報の遮断」が起きているかどうか。
現代バージョンの検閲があるのではないかと、われわれ研究者も把握に努め、議論していかなければならないと考えている。
(最高裁判例における「検閲」禁止の趣旨および定義)
憲法が、表現の自由につき、広くこれを保障する旨の一般的規定を同条一項に置きながら、別に検閲の禁止についてかような特別の規定を設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容(憲法一二条、一三条参照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべきである。
…(略)…
憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。(最高裁大法廷・昭和59年12月12日判決)
慶應義塾大学法科大学院の横大道聡教授(憲法)の話
ーー 政府はコロナ禍で、特にコロナワクチンについて忌避が広がることを懸念し、接種率が向上するよう、インフルエンサーの協力も得て、偽・誤情報の打ち消しを含む広報活動を行ってきた。こういった言論・情報空間への政府の関与に憲法上の問題はあるか。
(横大道教授)政府の広報活動は、政府が発信しているものだと誰もがわかる形であれば、それ自体は憲法上の問題はなく、その良し悪しは民主主義の熟議プロセスを通して是正されていくべき問題だ。
特定の言論者やインフルエンサー等の活動を政府が背後で支えて、市民にはっきりわからない形で発信させるなど、いわばステルスマーケティング(ステマ)のようにして言論空間に不当に介入していたと評価される場合は、憲法上の問題となりうる。
政府が主体となって言論に関与する、いわゆる「政府言論」については、少なくともそのように明示して、検証できるようにしなければならない。
ーー 厚生労働省は「ワクチン広報プロジェクト」として約3年間、大手PR会社とともに、偽・誤情報のモニタリングや対処を行ってきたとみられる。その実施内容の情報公開を求めたところ、「公にすると、事業の遂行に支障を及ぼす」という理由でほぼ全面不開示となった(詳報)。
(横大道教授)ワクチン広報プロジェクトの成果報告書が黒塗りというのはおかしい。
これでは、政府がどのように世論形成を行ってきたのかを検証できなくなる。
コロナ禍になってから、国家が積極的に事業者に働きかける形で偽情報対策をやっているのだとすれば、しかも、人々の目の届かない裏で行われているとなれば、情報流通が不当に歪められて、多様な情報に触れて判断するという機会を奪われかねない。
ーー 政府は、新設された「内閣感染症危機管理統括庁」を中心に、感染症対策の一環として偽・誤情報の監視や対処を行う方針を示している。総務省でも偽情報対策の議論が行われている。
(横大道教授)これまでの総務省での議論は、偽・誤情報については事業者の自主的な取り組みに委ねるというのが基本だったと理解している。(下記【背景解説】参照)
賛否がわかれている問題について、政府がこちらが正しく、こちらが誤っていると決めつけて分類し、政策遂行の妨げになるものを事業者に要請して抑えるというのは、行き過ぎだと思う。
最低限、政府がどういう形で何を行っているのかを明確にすることが必要だ。
政府の働きかけが検証可能な形でオープンになれば、問題点をチェックして議論し、是正することもできる。
【背景解説】偽・誤情報対策をめぐる政府関連の主な動き
政府が偽・誤情報対策の検討を始めたのは、2018年からだ。総務省が設置した有識者会議「プラットフォームサービスに関する研究会」(PF研、座長:宍戸常寿東大教授)で「オンライン上のフェイクニュースや偽情報への対応」が検討議題に加えられた。
ファクトチェック関係者らもヒアリングを受け、筆者(当時、FIJ理事兼事務局長)は、政府はこの問題に直接介入すべきでなく「言論の内部的・自律的な取組み」による誤情報の脱力化を目指すべきと提言した。
2020年2月の最終報告書では、表現の自由への配慮から民間の自主的取組を基本とし、政府が一定の関与をする場合も「個別のコンテンツの内容判断に関わるもの以外」とする方針が示されていた。
この最終報告書を受ける形で、同年6月、一般社団法人セーファーインターネット協会(SIA)のもとに「Disinformation対策フォーラム」が設置され、総務省はオブザーバーとして参加。有識者とプラットフォーム事業者による議論が続けられ、2022年秋にSIAが運営する日本ファクトチェックセンター(JFC)が設立された。
SIAはヤフーを中心に設立され、警察庁の事業を受託するなど、政府・行政機関と密接に連携しながらネット上の問題に取り組んできた団体。JFC設立前年に開催したワクチンデマ対策シンポジウムでは河野太郎ワクチン担当大臣を招聘。最近は、総務省審議官などを招いて偽情報対策シンポジウムを開催した。
一方、厚生労働省は、2021年から新型コロナワクチンに関する誤情報の監視や対処を大手PR会社とともに開始。この取組みは現在も公表されていないが(InFact報道・Yahoo!ニュース拙稿)、YouTubeは同省や内閣官房と協力して誤情報削除の取り組みを行っていたことを明らかにしている(同公式ブログ)。
2022年ごろからは、官邸が主導する偽情報対策も始まっている。
同年12月に岸田内閣が閣議決定した「国家安全保障戦略」で「外国による偽情報等に関する情報の集約・分析」などを行うと記し、翌年4月、内閣官房に偽情報対策の体制を整備すると発表。福島原発のALPS処理水放出の際には、外務省を中心に「#STOP風評被害」のタグで誤情報に対抗する発信などを行った。内閣府・経済産業省により、経済安保政策の一環として、偽情報検知の技術開発事業も立ち上げられている。
岸田首相自身もたびたび偽情報対策の必要性に言及するようになった。官邸直轄の内閣感染症危機管理統括庁が偽・誤情報の監視を平時から行うことを盛り込んだ政府行動計画改定案を公表し、6月にも閣議決定をする構えだ(詳しくはYahoo!ニュース拙稿)。警察庁や公安調査庁も関心を寄せ、情報収集を始めている。
一方の総務省も2023年、G7デジタル・技術大臣会合関連イベントなどを後押ししつつ、官民連携の対策を模索。「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」を新たに設け、偽・誤情報対策の検討を再び本格化させている。今夏の取りまとめを目指して急ピッチで会合を重ねており、2020年2月のPF研報告書で示された方針が大幅に刷新される可能性がある。
(追記)当初のタイトル「【憲法記念日】政府による偽情報対策は表現の自由を掘り崩すか 憲法学者に聞く」から改題しました。(2024/5/15)