【京都市】東山区 「清水寺」参道の46段石段『三年坂』にまつわる伝説と幕末ロマン
世界遺産『清水寺』は、京都の観光の中でも目玉の一つですね。八坂から清水坂に通じる参道にある石段は「三年坂」または「産寧坂」「再念坂」と呼ばれています。
「知恩院」「八坂神社」「円山公園」「高台寺(寧々の道)」「法観寺(八坂の塔)」などの観光地としても有名な場所に通づるこの参道は、いつも人が絶えません。この辺りは「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されているそうですよ。
『清水寺』にある子安観音へ「お産が寧か(やすらか)でありますように」とお詣り参道にあることから「産寧坂」と呼ばれることになったとか。
また、798年に坂上田村麻呂が『清水寺』を創建後、808年(大同3年)に開かれた道といういわれもあります。大同3年だから「三年坂」という説も。
願いが叶ったお礼参りで再度通ることから「再念坂」と呼ばれたり…いわれは諸説あります。
その『三年坂』には、伝説があることをご存知でしょうか?
この坂の石段で転ぶと3年以内に死ぬという伝説もあります。
「三年坂で転んだら三年のうちに死ぬ」…なんとも怖い話です。
京都の人は転ばないようにお守りとして、身体から飛び出そうとしている魂を吸い取ってくれるという『ひょうたん』を携帯して石段を上り下りします。
坂の途中には「瓢箪や」さんがあり、まるでその伝説の裏付けをしているようです。
一説には、清水寺の子安塔へと向かう妊婦に、安全にゆっくりと転ばないように石段を上り下りしましょうという教えだと言われてますが、近くにある『鳥辺野』という地域が埋葬地であったことから、この参道を黄泉の国との境といわれたという説もあるそう。
とにかく、転ばないように「三年坂」を上り下りしてください!
そして、なんと三年坂はなんと、「幕末の明保野亭事件の舞台」としても知られているんです。『坂本龍馬』の写真が飾られているので、びっくりしました。
料亭「明保野亭」では長州藩士がよく集まり、坂本龍馬が倒幕の密議をした場所として知られてます。長州系浪士たちが密会しているとの情報を受け、襲撃に来たのが「幕末の明保野亭事件」です。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、坂本龍馬が土佐藩家老息女・お田鶴さんと密会を重ねた場所が「明保野亭」とあります。
この坂の北側には「霊山護国神社」があります。そこには龍馬などの幕末の志士たちの墓があることから「龍馬坂」とも「幕末の志士葬送の道」とも呼ばれているそうですよ。
幕末のロマンと「三年坂(産寧坂)」が関係しているとは…京都は奥が深いですね♪
三年坂(産寧坂)
場所:京都府京都市東山区清水3丁目