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トランプ政権の貿易戦争:「自由貿易」という「アメリカの理想」の後退

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
鉄鋼・アルミの関税引き上げについて説明するトランプ大統領(2018年2月)(写真:ロイター/アフロ)

 トランプ政権は中国による知的財産権侵害を理由とする制裁関税の第2弾を8月23日に発動した。

 自由貿易は第二次大戦後、アメリカが最も大事にしてきた理想だった。しかし、トランプ大統領は「アメリカファースト」の掛け声とともに、これにメスを入れようとしている。

 トランプ政権の貿易戦争は対象国に対してだけではなく、アメリカ主導の自由貿易という理想そのものに対する挑戦である。トランプ氏の行動原理にあるのは、経済的な合理性よりも政治的な合理性であり、固い支持層の中、貿易戦争は継続されるだろう。

(1)自由貿易という秩序の「壊し屋」

 まるで「壊し屋」である。

 環太平洋パートナーシップ協定(Trans-Pacific Partnership Agreement :TPP)からの脱退から始まり、北米自由貿易協定(North American Free Trade Agreement :NAFTA)と米韓自由貿易協定(U.S.-Korea Free Trade Agreement:KORUS FTA)の見直し協議など、トランプ政権は矢継ぎ早にこれまでにアメリカが作り上げた国際間の自由貿易の秩序を次々に壊そうとしてきた。

 関税を上げるなどの制裁をちらつかせ、各国と2国間協定で再交渉し、「不公正」を正していくというのがトランプ流である。

 3月に発表した特定諸国からの鉄鋼やアルミニウムの輸入関税引き上げについては単なる脅しではなく、実際に適用させただけでなく、他分野にも次第に広がっている。アメリカの最大の貿易赤字国である中国への制裁を念頭にしており、中国に対しては知的所有権やハイテク機器など、中国の次世代産業のロードマップ「中国製造2025」に挙げられているものを狙い撃ちにしている。

 イランやトルコなど、アメリカとの外交がこじれた国家に対して、トランプ政権は関税引き上げでまず締め付けようとする。相手国は報復として高関税をかけるため、「報復関税」は今年のはやり言葉のようにもなっている。

 同盟国も例外ではない。日本の主力輸出産業である自動車が対象になるか、関係者にとっては気がかりで仕方ない。日米間の新たな「公正かつ相互的な貿易取引(Free, Fair and Reciprocal Trade Deals :FFR)」のための協議が8月上旬に開かれ、中間選挙のある11月までに日本側に何らかの譲歩を望む流れがある。

 この「公正かつ相互的な」というところがやっかいで、アメリカが貿易赤字なのは「公正かつ相互的」でないと考え、ルールを変えてまでも赤字を減らそうというのがポイントである。そもそも貿易収支は「貯蓄と投資のバランス」を示すだけであり、消費や投資が活発なアメリカの場合、どうしても貿易赤字になる。それを解消するのは難しいし、アメリカが貿易赤字になっても揺るぐ体質ではない。

 国家の富の源泉は貨幣の量であり貿易黒字を経済政策のポイントとみなす、16-18世紀の重商主義的という過去の遺物とみられてきたものが復活してきた。

(2)グローバル化に対する懸念

 トランプ氏が既存の貿易関係を破壊しようというのには理由がある。グローバル化する世界経済の中で、アメリカ国内からの富が海外に流出しているという懸念がアメリカ国内で非常に大きくなっているためだ。

 ただ、自由貿易やグローバル化に対する懸念を抱いているのはトランプ氏だけではない。2016年選挙を思い出せば、民主党の予備選で大健闘したサンダース氏も徹底的にTPPに反対を唱えた。この動きを見て、民主党の予備選で勝利したヒラリー・クリントンも自説を曲げ、TPPに反対の立場を取らなくてはならなかった。つまり、自由貿易やグローバル化に対する反発の背景には、過去30年間、アメリカ国内の格差が少しずつ進んだ点が大きい。上位1%が持つ資産は、下位90%が持つ資産の総量よりも多くなってしまった。富める者はさらに豊かになったが、中間層は取り残されてしまった。

 さらに注目されるのが、各種データを見ると、アメリカの貿易相手の国家の場合、その国内の富裕層だけでなく、中低所得の所得も確かに伸びていることだ。

 トランプ氏の行動原理には、このようなグローバル化の中での新しい格差に対する是正の必要性がある。自由貿易の名の下、「アメリカは自由なのに、他の国は不公正だ」とし、「アメリカ国内の多くの人々を犠牲にしてほかの国を富ませていた」というのがトランプ氏の主張である。

 これには一理あり、例えば中国の場合、WTOに入っても、国家資本主義的な体制は変わっていない。半官半民の中国企業との合弁は技術移転を半ば強要されてしまい、知的所有権はないがしろにされている。為替操作の疑いはいつも浮上する。

そのため、トランプ氏は「多国間交渉でなく、“取引”の結果が見えやすい二国間交渉を行うべきだ」と常に述べる。特にトランプ氏の支持者の一部は「自由貿易は経済的なテロだ」とさえ、言い放っている。

 中国の国家資本主義的な動きは是正させないといけないというのはアメリカだけの主張でなく、日本も欧州も同じである。

 一方で、アメリカ国内の貧富の差は本当に自由貿易が生んだのかどうかという懸念は残る。多くの識者は別の可能性を指摘する。その中でも有力なのが、アメリカ国内の生産システムの変化である。自由貿易でほかの国に雇用が流出した部分よりも、アメリカ国内の生産工場の機械化や自動化のペースが速く、その過程で職を失ったり、仕事は確保し、解雇されなかったとしても賃金は伸びていなかったりする人の部分が大きいのではないか、という見方である。問題なのは、今後、機械化はさらに進展し、人工知能(AI)が高度化するとともに、アメリカ国内の、さらには世界各国の人々の経済格差も大きくなってしまうかもしれないことだ。

 さらに産業構造の変化は非常に大きい。アメリカの経済の主体が製造業から金融サービスに変わってから、結構な月日がたっており、合理化で雇用者数そのものが頭打ちになっている。

 自由貿易に対する批判は一見わかりやすいものの、グローバル化の中の相互依存経済で格差の原因がどこにあるのかを冷静に探るのは非常に難しい。また、何をもって「公正な貿易か」という基準もあいまいだ。

(3)「自由貿易」という理想

 トランプ政権の貿易戦争は対象国に対してだけではなく、アメリカ主導の自由貿易という理想そのものに対する挑戦である。

 第二次大戦の原因の一つに当時から世界経済を引っ張ってきたアメリカが、保護主義貿易に陥ってしまったためではないのか、という議論がアメリカの中にはずっとあった。世界恐慌(アメリカでは「大恐慌(the Great Depression)」と呼ぶ)の際の1930年6月、アメリカではスムート・ホーリー法(Smoot-Hawley Tariff Act)を成立させ、20,000品目以上の輸入品に関するアメリカの関税を記録的な高さに引き上げた。多くの国はアメリカが輸出する商品に高い報復関税をかけた。その結果、アメリカの輸出入は半分以下に落ち込んだほか、大恐慌の深刻さを拡大させてしまった。さらにそれだけでなく、世界経済を悪化させ、第一次大戦の賠償問題で経済的に疲弊していたドイツもさらに苦しんだ。その苦しみがドイツ国民をナチス支持に向かわせてしまったのではないかという見方も強い。

 これが大きな反省につながっている。失敗を繰り返さないため、第二次大戦後の覇権国となったアメリカは自由貿易が進むための国際システムづくりに一気に着手した。自由貿易を堅持するための国際的な取り決めである「関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade: GATT)」を戦後直後に発足させ、さらに、1995年にはGATTの後続としてさらに強制力を持つ世界貿易機構(World Trade Organization: WTO)を立ち上げている。

 お金が止まれば貿易も止まる。自由貿易を支える国際金融も重要であり、為替の安定政策をアメリカは進めようとしてきた。加盟国の経常収支が著しく悪化した場合などの融資制度などを通じ、自由貿易の促進や為替の安定を進める国際通貨基金(International Monetary Fund: IMF)を1945年に設立し、現在に至る。また、第二次世界大戦終盤の1944年のブレトン・ウッズ協定(Bretton Woods Agreements)では、為替の安定のために、アメリカドルを世界の基準通貨とし、この金とドルの交換比率(為替相場)を一定に保つことを決めた。金とドルの交換比率は1971年までのいわゆるニクソンショックまで続き、戦後の世界経済の発展を支えた。

 この理想から見れば、世界経済にとっては自由貿易から保護主義にベクトルが変わることは見逃せない兆しである。いうまでもなく自由貿易が後退することは、世界を不安定化させる可能性があるためである。

 つまりこうだ。自由貿易の中で、各国経済は互いに成長する。国家間のモノの移動で、それぞれの国の経済規模は互いに大きくなっていく。逆に止めてしまうと、それぞれが自分たちの首を絞める。

 もちろん、自由貿易の恩恵にあずかれないセクターもあるほか、自由貿易とうまく合わないタイプの産業構造の国もある。その欠点があっても、それでも自由貿易の方が世界にとってプラスであるという考え方がこれまでは主流だった。

 さらに、自由貿易からの退行は国家間の緊張を高めるため、「貿易戦争」が実際の戦争に発展してしまう可能性すら、危惧する声もある。

(4)貿易戦争が長期化する可能性

 このように「貿易戦争に勝者はない」という教訓から、アメリカ主導で作り出したのが、戦後の自由貿易体制である。実際にアメリカが仕掛けた関税引き上げで、中国などの国家がアメリカからの製品に報復関税をかけており、アメリカ国内でもじわじわと関連産業に影響が出てきている。経済全体では今のところ、どこまで大きくなるかは意見が分かれるところであろうだが、むしろ投資や消費を控えるような心理面への影響が考えられる。国境を越えたサプライチェーンが当たり前の現在では影響は計り知れないようにみえる。

 ただ、自由貿易とグローバル化の中で、どうしても取り残される人々がいるのも確かである。アメリカの一部製造業にとって、トランプ氏が救世主であることは間違いない。

 トランプ氏の行動原理にあるのは、経済的な合理性よりも政治的な合理性である。つまり、支持者が支えている限りは当分、政策を変えない。EUからの報復関税を回避するため、生産拠点の一部をアメリカ国外に移転すると発表していたハーレーダビッドソンに対する不買運動も盛んになっている。この件だけをみてもトランプ大統領が仕掛けた貿易戦争に対する反発は少なくとも支持者の間では限定的かもしれない。

 また、自由貿易という理想そのものが少しずつ形骸化しつつあるのも事実である。中国のように自由でない国を自由貿易に含めれば、各種障壁も減っていくという理想があった。中国がWTOに入ることができたのは、中国に対する最恵国待遇の恒久化(PNTR)を2000年にアメリカが決めたためで、自由貿易に組み込まれれば中国の国家資本主義的な政策が改められ、知的財産権も守るようになると当時のクリントン政権は信じていた。しかし実際は中国では国家資本主義的な動きが維持されながら、WTOの仕組みで他の加盟国を提訴でき保護されるような仕組みができてしまった。「中国だけが結果的に得をする」というこの状況に対するいらだちがトランプ政権にはある。

「中国からの報復関税は今は痛いが、公正な貿易に正すために正しい方向性」などと指摘する支持者の大豆農家の指摘なども頻繁にアメリカのニュースに取り上げられている。

 分極化の中、強くトランプ氏を支持する層がいるかぎり、貿易戦争はかなり長期化するとみるのがおそらく妥当だろう。

 世界経済のリーダーとして、アメリカの自由貿易に対する姿勢が今後どうなるか、注視したい。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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