新型コロナ収束後を見据える SARSを乗り越えた台湾での取り組み
台湾では3月中旬、5月に予定されていた台北国際ブックフェア、台湾国際ドキュメンタリー映画祭など海外との交流を前提にしたイベントの中止や延期が相次いで発表された。
実質的な台湾への渡航に対する禁止措置は、旅行など観光業はもちろん、関連する飲食店や観光地を直撃している。世界中で感染が広がる中、これまでのような営業はいつになったらできるのか、回復の見込みは立っていない。そのような状況ではあるが、台湾では早くも「コロナ後」を見据えた動きが始まっている。
コロナの影響が直撃した旅行会社の取り組み事例
「うちの会社は特例だと思います」
そう前置きしたうえで話を聞かせてくれたのは、旅行会社に勤める陳秋文さんだ。普段は、日本への団体ツアーの企画立案がメインとなる担当業務である。
2月27日、陳さんの働く会社のSNSに社長から今後の経営方針が発表された(画像参照)。そこには「社長が伝えたいのは『失業なんて心配しないように』ということ」とあり、3つのポイントが記されていた。
1 人員カット、致しません。
2 給料カット、致しません。
3 無給休暇、致しません。
さらに「180日以上の給与を確保しています」と添えられている。
この方針が発表された2月27日といえば、すでに台湾の各学校は休校の措置が取られ、そろそろ終了しようかという頃。その頃の状況を陳さんは次のように振り返る。
「2月中旬くらいから、ツアーのキャンセルが出ていました。一気に増えたのは、横浜のクルーズ船から下船の報道があってからです。2月末がピークでしたね。当初、4月に予定していた日本へのお花見ツアーはすべてキャンセルになりました」
おまけに、同業他社で給与カットが始まり、同業他社で働く知人がクビになった話も耳にしていた。そんな最中での経営方針の発表である。「やっぱり心強かったです」と陳さん。社長は会社創立当初からヨーロッパ方面のツアーを視野に入れており、万が一のための資金を確保していたのだという。幸か不幸か、その蓄えを生かすタイミングがやってきた、というわけだ。
陳さんの会社が扱うのは、医師や弁護士といった富裕層に向けた団体ツアーのみ。設定価格もそう安くない。社員は約60人、グループ全体をあわせると約250人が働く。少なくない人数の雇用確保を宣言した背景には、旅行業界特有の事情がある、と陳さんは話す。
「旅行会社にとっては、人材確保がすごく重要なんです。いいスタッフがいれば、いい企画ができて、いい添乗員を確保できるし、結果としてお客様にも提携先にも喜んでいただける。それがまた次のお客様につながります」
さらに陳さんの同僚には、旅行業界におけるキャリアの長い人が多い。というのも、その昔、業界でもよく知られていた旅行会社が本業とは別の理由で倒産した。同僚の多くは、その会社で働いていて後にヘッドハンティングされた人なのだという。
「中にはSARSを経験した人もいます。SARSの波が終わった後、一気にお客様が戻ってきた。その経験があるから、コロナの後もきっとそうなると考えています」
確かに4月に予定していた次のシーズンに向けた日本への視察は中止を余儀なくされたし、入っていた予約はキャンセルされてしまった。それでも陳さんは笑顔だ。
「私自身は、以前は別の旅行会社で働いていて、ここに入社したのは2年前です。お客様からの予約はキャンセルになりましたが、だからといって仕事がなくなったわけではありません。むしろ別のことで忙しくしています」
別のことで忙しくなった、とはどういう意味なのか。陳さんは続ける。
「たとえば、添乗員さんとの話し合い、提携先とのオンラインによる打ち合わせ、社内の研修もスタートしました。先日は、ワインに詳しい専門家を講師に呼んで、社員がワインについて学びました。こうした知識が、ツアーの企画にも生きてきます。添乗員さんとは、普段はなかなか話をする時間が取れません。でも、ツアーのない今こそ、コミュニケーションの時間にあてられます。それで話をしていろいろな気づきをもらいました」
それまでが忙しすぎたという陳さんは今、定時で退勤している。とはいえ暇になったわけではない。「これから秋のツアーの準備に入ります」と笑顔だった。
観光客の減ったレストランの取り組み
日本では3月末に初めて夜間の外出自粛が求められたが、台湾では2月中旬、陳さんの会社ではツアーキャンセルが相次ぎ、そして大人数での食事が感染理由として報道されたことを受けて、レストランから大テーブルを囲むような食事風景がぐっと減った。観光客の減少ともあいまって、台湾でも苦境に立たされている飲食店は少なくない。
台北市内にある日本人観光客にも人気の台湾料理店が、この機に乗じてある策を講じていると聞き、訪ねてみた。
2003年のSARSの際には貿易会社を経営していた陳政宗さんが、心機一転、同世代の共同経営者を得て台北市内に店をオープンしたのは8年前のこと。
「自分たちが子どもの頃に食べていたような、台湾の家庭料理を出す店にしたんです」
経営者2人は共に50代だが、オープン当初はそれよりも上の世代が主な客層となった。台湾料理は、人によっては「油多め、塩分多め、添加物あり」として敬遠する向きもある。そのことを見越した陳さんたちは、メニューは昔ながらのものでありつつ、油も塩分も少なめで化学調味料を加えない調理法へとシフトさせていった。その方向転換が功を奏し、客層は徐々に広がりを見せた。そして4年前、ついにメディアで紹介されるまでになった。日本のガイドブックで取り上げられたのも同じ頃だ。
「それから観光で来られた日本のお客様も増えていきました。この新型コロナの問題が発生する前は、おおよそ2割が日本人の観光客の方でした。2月1日までは、全部で100以上ある席が、平均して昼夜7割ほど埋まっていました」
事態が一転したのは2月2日。それからは昼夜通じて10〜20人ほどまでに激減した。
好転するまでに時間がかかりそうだと見越した陳さんが決めたのは、店内の改装だった。全面的にではなく、VIPルームと厨房である。
「店をオープンしてから、厨房の動線に問題があることはわかっていました。厨房にはスタッフが8人いるのですが、皿を洗う位置がよくないという話が出ていたんです。けれども、店を休むわけにいかないし、お客様を入れないわけにもいかない。それでずっと、この問題に対処できずにいました」
客が来なくなった。飲食店にとっては絶望的な状況に見えるが、それを好機ととらえた。この状態なら、客を入れずに改装ができる、と陳さんたちは考えた。
「3月2日から17日にかけて休業し、改装工事に踏み切りました」
取材に向かったのは3月下旬のことだ。店のリニューアルオープン以降、徹底しているのは店内のアルコール消毒である。現在、台湾ではビルや建物に入る際には、アルコール消毒が求められるが、店でも入店するお客様には消毒をお願いしているという。
陳さんは、今後、ホールスタッフにはさらにトレーニングを重ねてもらおうと考えている。
「メニューの理解度、電話応対、接客態度など、プロとしての知識と対応をさらに磨いてもらいたいと考えています」
少し先だが、5月にはキッチンスタッフのグループ対抗料理対決も予定している。
「8人のスタッフを2グループに分けて、懐石メニューの料理を出してもらうんです。それを20人ほどのVIPのお客様を審査員としてお招きして、味見していただき、勝敗を決めます。勝ったチームのメニューは、その後、正式メニューに取り入れる予定です」
これもまた、それまでの忙しさではなかなかできなかった取り組みだ。
「大事なのは、元通りの営業ができるようになることです。その時に、より高いレベルでサービスが提供できるようにしたい。それがきっと、事態が鎮静化したあとの営業に生きてくると思います。今できる準備をしっかりする、という感じですね」
今だからできることに知恵を絞ろう
台湾政府はすでに、新型コロナ肺炎の発生による経済対策として、2月中旬には観光業や交通機関への経済支援をスタートさせ、3月末には融資、就業、税務の3本を支援の柱にした補助金を打ち出した。政府も打てる手を打っている。補助金も大事だが、それだけに頼って生活が成り立つわけではない。
このところ台湾の人々の間では「非常時期」という言葉を頻繁に耳にする。つまりは、大変な時期、という意味だ。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災に次ぐ、もしくはそれを上回る渦の中にいるのだろう。連日のように報道では過激で耳慣れない言葉が行き交い、得体の知れない方向に向かっている気さえしていた。卑近な例だが、筆者の仕事はレギュラーだった仕事がストップすることになったし、感染を避けるべく取材への制限が厳しくなってきている。
ところが--。
2人の陳さんの話を伺った後、なんだか元気が出てきた。まだまだ、自分にもやれることはあると気づいたからだ。2人目の陳さんの話を聞いていた友人のカメラマンからは後日「人が少ないからこそ、観光地に撮影に行くことにしました」とLINEが入った。筆者も、忙しくて手が付けられないでいたテーマに取り組んでみようと考えている。
悪い側面にばかり目を向けるのではなく、脳みそをフル回転させてありとあらゆる知恵を絞り、この危機を乗り越えていきたい。