Yahoo!ニュース

【中津川市】別名「ふんどし橋」と呼ばれた美恵橋。何度も洪水で流されながらも復活してきた不屈の橋

中津川&恵那ゆるゆるニュースライター&坂めぐり好き(中津川市・恵那市)

関連・周辺記事はこちら。

木曽川にかかる橋がいくつもある中で、ドラマチックな歴史があるのが美恵橋。

今回は美恵橋にまつわるお話です。

美恵橋の入り口には記念碑があります
美恵橋の入り口には記念碑があります

こちらは苗木方面。この前取り上げた城山大橋と苗木城跡が
こちらは苗木方面。この前取り上げた城山大橋と苗木城跡が

こちらは恵那方面。笠置山が見えます
こちらは恵那方面。笠置山が見えます

江戸時代までこの辺りは橋がなく、船の渡しで移動していました。

苗木藩の参勤交代の時も船。明治時代になり、橋を架けようという話が持ち上がります。そのアイデアを提案したのは、旧苗木藩藩士、鈴木三蔵。

鈴木三蔵は苗木藩の足軽出身。苗木藩の勧農係として牛耕技術を導入、恵那郡南北農区連合農談会の会頭をするなど、頭角を現していきます。

下をのぞくと、エメラルドグリーンの木曽川が!
下をのぞくと、エメラルドグリーンの木曽川が!

鈴木三蔵は、1881年に東京上野で行われた第2階内国勧業博覧会での吊り橋の模型を博覧し、地元で吊り橋を架ける事を思いつきます。が、岐阜県庁は金銭的に難しいと判断。地元の人々に重要性と公募を募り、三蔵は「6尺のふんどしは贅沢だ!3尺で十分!」とふんどしの幅まで節約するほどの節制。全財産をつぎ込みながら14年後、橋の工事に着工。1890年頃に完成したものの、今よりずっと低い場所かつ、川の高さも今より高かったため、大正、昭和時代に3回も洪水により流されてます。

3回目の洪水は1983年だそうですから、そんなに昔のことじゃないんですね。

ここからの風景は、恵那峡八景の美恵帰帆と呼ばれる景勝地。奇岩も楽しめます
ここからの風景は、恵那峡八景の美恵帰帆と呼ばれる景勝地。奇岩も楽しめます

今の橋は4代目、1986年に完成。

鈴木三蔵の想いが今も引き継がれ、今日も美しい景色が広がっています。

美恵橋

住所:岐阜県中津川市駒場~苗木

ライター&坂めぐり好き(中津川市・恵那市)

岐阜県中津川市&恵那市の楽しい&不思議&懐かしい&あるある情報、 え、そこ?な情報をお伝えしていきます! 日頃のつぶやきはX、時々Instagramでもつぶやきます。 公式サイトでは過去の記事やその他の活動についてもお知らせしています。

中津川&恵那ゆるゆるニュースの最近の記事