【中津川市】別名「ふんどし橋」と呼ばれた美恵橋。何度も洪水で流されながらも復活してきた不屈の橋
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木曽川にかかる橋がいくつもある中で、ドラマチックな歴史があるのが美恵橋。
今回は美恵橋にまつわるお話です。
江戸時代までこの辺りは橋がなく、船の渡しで移動していました。
苗木藩の参勤交代の時も船。明治時代になり、橋を架けようという話が持ち上がります。そのアイデアを提案したのは、旧苗木藩藩士、鈴木三蔵。
鈴木三蔵は苗木藩の足軽出身。苗木藩の勧農係として牛耕技術を導入、恵那郡南北農区連合農談会の会頭をするなど、頭角を現していきます。
鈴木三蔵は、1881年に東京上野で行われた第2階内国勧業博覧会での吊り橋の模型を博覧し、地元で吊り橋を架ける事を思いつきます。が、岐阜県庁は金銭的に難しいと判断。地元の人々に重要性と公募を募り、三蔵は「6尺のふんどしは贅沢だ!3尺で十分!」とふんどしの幅まで節約するほどの節制。全財産をつぎ込みながら14年後、橋の工事に着工。1890年頃に完成したものの、今よりずっと低い場所かつ、川の高さも今より高かったため、大正、昭和時代に3回も洪水により流されてます。
3回目の洪水は1983年だそうですから、そんなに昔のことじゃないんですね。
今の橋は4代目、1986年に完成。
鈴木三蔵の想いが今も引き継がれ、今日も美しい景色が広がっています。
【美恵橋】
住所:岐阜県中津川市駒場~苗木