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【熊本地震】被災地の益城町にソフトバンクが『Pepper』を派遣。そこで見た子供たちは笑顔だった

篠原修司ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門
子供たちに囲まれるロボ『Pepper』。筆者撮影

「熊本県益城町の小学校に『Pepper(ペッパー)』を派遣するのですが、取材にこられませんか?」

先週木曜日の昼ごろ、そんな内容のメールが届いた。差出人はソフトバンクの広報担当者。筆者が震災関連の記事を書いていたことを目にし、連絡を取ってきたのだという。

「いま、被災地に行っても大丈夫なのだろうか?」そんな不安が頭をよぎったが、現地がどんな状況なのか、実際に見に行かなければ分からない。そこで、スケジュールを調整して翌金曜日6月3日に益城町へと向かうことにした。

意外なほどに普通な熊本市

取材地は九州自動車道インターチェンジの近くにあり、自動車で行った方が便利な場所にある。しかし、道路事情も分からなかったため公共の交通機関を利用することにした。

博多駅から新幹線みずほに乗り、一路熊本市へ。熊本駅で降りると、目の前にこんな看板が飛び込んできた。

ホワイトボードに張り出された即席看板
ホワイトボードに張り出された即席看板

「熊本も元気を取り戻します」「がまだせ熊本」

熊本にやってきた人へのメッセージだ。地震の情報を追っている人はもう何度も目にして知っているだろうが、「がまだせ」は熊本の方言で「頑張れ、精を出そう」という意味だ。

さて、目的地の益城町へは、ここからさらにバスで移動しなければならない。駅前のロータリーに出てみると、そこには筆者が毎年旅行で訪れているときと何も変わらない熊本があった。

駅前は平和そのもの。当日はかなり暑かった
駅前は平和そのもの。当日はかなり暑かった

もちろん行きがけの新幹線の窓からは補修工事を行っている神社仏閣などが見えたり、駅前も目を凝らせばビルの外壁が崩れていたりしたが、熊本市は震度7の地震があったというのに昔と変わらない姿を見せてくれた。

人々は普通に生活し、笑顔だ。熊本・大分は今回の地震で観光客のキャンセルが相次いでいるというが、少なくともこの熊本市に観光に訪れることは何も問題がない。筆者はそう感じた。

徐々に見え始める地震の爪痕

しかし、そう思えるのは熊本市内までだった。バスがだんだんと益城町に近づくにつれ、崩れたビルの柱や倒れかけている電柱が目に入るようになったのだ。

行きがけにバスから見た熊本城。石垣の上の塀が倒れている
行きがけにバスから見た熊本城。石垣の上の塀が倒れている

「最も揺れの大きかった熊本県益城町では……」ニュースで繰り返し聞いたリポーターの言葉通りに、益城町の被害は大きかった。

益城町にある熊本県の常設展示場『グランメッセ熊本』の前を通りすぎたときは、被災者とみられる家族が芝生のうえにキャンプを張っており、うだるような暑さのなか日陰で涼んでいるのを目にした。さすがに、写真を撮るのははばかられた。

バスから降りて歩くこと10数分、今回の取材の目的地である広安西(ひろやすにし)小学校に到着した。ただ、断っておくとここまでの道のりで大きな断層があったり、人をまったく見かけなかったりということはなかった。

町も、道路も普通に機能していた。自動車で取材に行っても、全く問題なかっただろう。

「これ知ってる! Pepperだ!」

小学校の門をくぐり、必要な手続きをすませて校舎へと入る。広安西小学校は、木質の美しい校舎だった。

視聴覚室の前に行くと、2台のPepperが子供たちに囲まれていた。プールの授業がおわったあとらしく、まだ頭が濡れたままで水着姿の子供たちがPepperを囲んで楽しそうにしている。

Pepperはつねに囲まれており写真を取るのも一苦労
Pepperはつねに囲まれており写真を取るのも一苦労

「あとでまた見にこれるから早く教室へ!」

先生が大きな声で注意していた。どうやら、プールから教室への帰り道にPepperを見かけ、そのまま騒いでいるようだった。そうこうしているうちにチャイムが鳴り、子供たちは慌てて教室へと駆けて行った。

教室についてもあれから着替えないといけないだろうに、と心のなかで少しほころんだ。

視聴覚前のPepperのもとへは、先生が子供たちを連れて代わる代わるやってきた。子供たちはPepperの踊りを見て笑ったり、野球ゲームをしたりして楽しんでいた。

子供野球ゲームをするPepper
子供野球ゲームをするPepper
ホームランを打たれて呆然と見送るPepper
ホームランを打たれて呆然と見送るPepper
子供相手に本気を出して勝ち誇るPepper
子供相手に本気を出して勝ち誇るPepper

そこに震災の影は見えなかった。あるのはどこにでもいる子供たちだ。

3球投げて1つでも落とせば勝ち!

グラウンドでは、ソフトバンクホークスのOBたちが5・6年生を相手にストラックアウトやバッティングを楽しむ野球教室を開いていた。

ストラックアウトの説明をするホークスOB
ストラックアウトの説明をするホークスOB

ストラックアウトとは、ホームベース上にあるパネルに向かってボールを投げ、パネルを何枚倒せるかを競うミニゲームだ。今回の野球教室では、子供たちは3球のボールを投げ、そのうち1枚でもパネルを倒せば勝ちということだった。

子供たちの目は真剣そのもの。成長途中の腕に力をこめ、パネルめがけて力いっぱいボールを投げていた。ボールの多くは、明後日の方向に飛んで行った。

パネルめがけてボールを投げる子供たち
パネルめがけてボールを投げる子供たち

ストラックアウトでひとつでもパネルに当たった子供は合格ゾーンへ、ひとつも当たらなかった子供はダメダメゾーンへと振り分けられた。

すべての子供たちが投げ終わったあと、OBらがダメダメゾーンの子供たちに「もう1度チャンスをあげよう、諦めないでもう1回挑戦しよう」とパネルまでの距離を近づけたうえで、さらに2球投げるチャンスを与えていた。

じつは、子供たちを振り分けおわったときに“パネルに当てた人だけ”ホークスのタオルをあげるという話がされていたのだ。合格ゾーンの子供たちは喜び、ダメダメゾーンの子供たちは悔しがる。そこにもたらされた、再度の挑戦権。

距離も近いからかなり当てやすい。さっきの落ち込みっぷりはどこへやら。太陽の暑さに負けないほどの熱意で子供たちはボールを投げ始めた。「おっ」と思ったのは、最初の距離から投げる子供もいたことだ。

彼なりにハンデをもらうよりも、最初の位置からボールを当ててやるという強い意気込みを感じた。ボールが当たったかどうかは語らないが、その心意気はとても良かった(ちなみにタオルは全員分用意されており、あたりはずれ関係なしに配られたとのこと)。

バッティングでは、「日頃のストレスを発散しろ!」とポールの上に置いたボールが打ち放題だった。ボールは動かないので振れば当たる。しかも目の前にはネットがあるため、どこか遠くへ飛んで行く心配もない。

力いっぱい振ったバットがポールを曲げる
力いっぱい振ったバットがポールを曲げる

バットを打つ順番の列には、次々と子供たちが打っては並び、打ってはまた並びを繰り返していた。男の子も女の子も、みんな笑顔だった。

最後は生徒全員が集まって授賞式
最後は生徒全員が集まって授賞式

「楽しかった」「バッティング最高」

野球練習の合間を見て、5年生の子供たち何人かに感想を聞いた。

――ホークスの選手が来てくれたけどどうでした?

男児A「楽しかったです。またやりたい」

――野球はよくやります?

男児B「野球は初心者です。ボール投げは(結果が)微妙だったけど、バッティングが最高でした!」

震災のことを思い出させるのは違うと思い、子供たちとは終始このような会話に努めた。その代わり、広安西小学校の井手校長先生に詳しく話を聞くことにした。

――今回ホークスの選手が来られましたが、これはソフトバンクから働きかけがあったのでしょうか?

井手校長「ご縁があってご提案頂きました。きっと子供たちも元気が出ると思いましたので、おいで頂くことにしました。高学年は野球――ベースボール型の教育もやってまして、興味もあって良い機会だったと思います」

――震災の影響はどうでしょうか? 視聴覚室に避難されている方もおられましたが。

井手校長「もちろん避難所から来ている子供もいますし、家も被災した子供たちもいます。ただ、見るかぎりでは元気そうに見えます」

校長先生の話でもそうだが、筆者が見るかぎりでも子供たちはとても元気そうに見えた。もちろん震災のショックは残っているだろうが、今回のようなイベントがその心の傷を癒やすものになれば良いと思う。

「ニーズがあれば今後も続けたい」

次に、今回のイベントを実施したソフトバンクCSR室の太田さんに話を伺った。

――今回、どういった経緯でこのイベントをやることにしたのでしょうか?

囲み取材に答える熊本出身の高波 元選手
囲み取材に答える熊本出身の高波 元選手

太田「もともとソフトバンクグループで熊本の地震に対して何か支援ができないかと考えていまして、とくにCSR、社会貢献は活動基本方針として次世代、子供たちの支援を重点に置いています。

その子供たちに何か笑顔を届けられないかと考えたところ、ホークスが持っている野球教室、それにPepperが一緒に子供たちと触れ合うことが案になって、今回のイベントが企画・実現しました」

参考:ソフトバンクグループCSR基本方針

――この企画は今回が初めてだと思いますが、今後は?

太田「そうです、初めてです。(今後の)お約束はできませんが、ニーズがあればやっていきたいと思っています。ただ、小学校のグラウンドを借りたりするので学校側の都合もあり、また、ホークスもシーズン中で野球との兼ね合いもあって、全て行けるかどうかは分かりません。押し付けるのは違うと思ってますので、今後もニーズと相談しながら一緒に決めていきます」

――ということは、阿蘇にも行かれるのですか?

太田「阿蘇も行きたくて探ったのですが、道が寸断されていてアポにも行けませんでした。準備の段階でルートがなかったため、訪問して調整することができなかったんです。そのため、今回は益城町や西原村で行うことになりました」

まだ始まったばかりの今回の企画だが、取材したかぎりでは子供たちはとても楽しそうだった。各所との調整は大変だと思うが、子供たちのためにも長く活動が続くことを願いたい。

益城町を歩く

取材後、帰りのバスまで時間があったため、益城町の中心部へと徒歩で向かった。

中心部に近づくにつれ、広安西小学校あたりでは見かけなかったものが見えてきた。多くの崩れた家屋だ。いわゆる「赤紙(個人的にはピンクに見えた)」が貼られ、内部には入らないよう警告されていた。

遠目に見る「赤紙」
遠目に見る「赤紙」

一方で、無事な家もそれなりにあった。パッと見て分かる違いは、住宅の築年数だ。洋風住宅は遠目にはあまり傷のない状態で建っており、古くから建っている住宅の方が崩れている。

歩道の直ぐ側にある日本家屋は完全に崩れていた
歩道の直ぐ側にある日本家屋は完全に崩れていた

電柱や塀などもそのほとんどが崩れるか傾くかしており、熊本市内とは違い益城町はまだ震災の真っ最中なのだと強く感じた。益城町が復興するには、まだまだ時間と支援が必要だ。

被災地取材をおえて

筆者は、本来はスマホやITのライターだ。今回、ロボット派遣の取材のため熊本県へ向かったが、予想以上のことを現地で目にできた。ここからは、熊本県によく旅行に訪れるいち福岡県民として語りたい。

少なくとも筆者が見た範囲では、熊本の人たちは普通に暮らしている。普通に、というと語弊があるかもしれないが、元の生活へ向けてもう歩き出している。

メディアの報道では避難所など被害の大きい地域のことをよく目にするが、すでに復興後の熊本もそこにあるように思う。復興中の熊本には多くの支援が必要だが、復興後の熊本とはこれまでと同じように付き合っていきたい。移動も、仕事も、観光も問題ない。

今回訪れた益城町のような被害の大きい場所に行くのは復興の邪魔になるため避けた方が良いが、それ以外の場所には行って良いように思う。とくに筆者のような熊本によく行く観光客がお金を落とさないとなると、観光業はいつまでたっても苦しいままだ。

筆者は次に被害の大きかったと言われている阿蘇の近く、南小国町に今は住んでいない親の家もある。今回の取材を何かの縁と思い、今後は阿蘇、大分の被災地情報の発信もしていくつもりだ。すでに、来月は阿蘇と黒川温泉を訪れる予定を入れた。

このYahoo!ニュース個人のページではこれまで通りスマホやIT系の記事を多くお届けるするつもりだが、復興状況について興味がある、何か応援したいと思っている方は今後書く熊本・大分の記事も読んで頂けると幸いだ。

被害の大きさを伝えるのではなく、「もう大丈夫ですよ」と言えるようになった場所を伝えていく。それが、筆者の役割だと思う。そして記事を読んだあなたが「もう大丈夫だな」と思ったら、ぜひ熊本と大分を訪れて見て欲しい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。また、「ウチを取材しにきて欲しい」という現地の方は、このページ下部にある筆者の『Twitter』アカウントのプロフィールに掲載しているメールアドレスか、直接DMにてご連絡を。

ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門

1983年生まれ。福岡県在住。2007年よりフリーランスのライターとして活動中。インターネット(SNS)で起きる炎上の解説、デマのファクトチェック、スマホやガジェットの話題、生成AIが専門。最近はYouTubeでも活動しています。執筆や取材の依頼は digimaganet@gmail.com まで

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