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自己責任論の正体【安田純平氏解放と日本型ネオリベラリズムの蠢動】

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
安田純平氏解放を受けて記者会見する妻の深結氏(写真:ロイター/アフロ)

【1】またも噴出した自己責任論

 3年4ヶ月の拘束を経てフリージャーナリストの安田純平氏が解放された。通常の国民国家、近代国家では「海外で危険な目に遭った国民同胞の無事解放」を歓迎こそすれ批難の対象とするなど考えられないことだ。が、この国では被害者に責任を求める醜悪な自己責任論が、もはやインターネットの壁を越えて噴出している。

 曰く、

「安田氏が拘束されたのは自己責任であるから、まず謝るべきだ」

「安田氏は救助費用を国に弁済するべきだ」

「道ばたで会ったら安田氏に文句のひとつも言いたい」

 などなどである。このような醜悪な自己責任論は、世界広しといえど私は日本でしか観たことが無い。そしてこの自己責任論がこの国で氾濫する背景は、単に社会の右傾化とか「ネット右翼」特有の所業、というものだけに収斂されるべきものではない、「日本型ネオリベラリズム」というべき考え方が、この国に深く根付いてしまった結果だと分析するのだ。

【2】「努力して納めた自分の税金が不道徳者に使われるのは許せない」という発想

 図らずも、冒頭の安田純平氏解放の報(10月23日)と時を同じくして同日、麻生太郎財務大臣の発言が大きな波紋を呼んだ。

「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」

出典:不摂生な人の医療費負担「あほらしい」に麻生氏が同調-朝日新聞

 麻生氏は、くだんの「先輩」の見解に全面的に賛同したわけでは無い、とエクスキューズを挟み込んでいる。が、この発言の大意は、「努力して納めた自分の税金が不道徳者に使われるのは許せない」という典型的なネオリベラリズム(新自由主義=ネオリベ)の世界観が根幹にある。

 自己努力で財をなし、相応真面目に納税をしてきた自分の税金が、怠惰で不道徳な人間に野放図に使われるのは許せない、という発想は、世界中のネオリベ主義者の世界観の根底である。

 アメリカのトランプ大統領を支持するある種の共和党支持層にも、この世界観は濃密に存在する。曰く「努力して納めた自分の税金が不道徳者に使われるのは許せない」という部分の「不道徳者」をメキシコ系不法移民や、難民、イスラーム教徒、同性愛者、アメリカ以外の国家に置き換えれば極めてわかりやすい。

 だから彼らは、「アメリカファースト」という図式に飛びつくのである。

【3】国家の警告に従わなかった不道徳者

 これが安田純平氏の解放とそれに伴う自己責任論にどう結びつくのかと言えば、「努力して納めた自分の税金が社会秩序を乱したり、国家の警告に従わなかった者に使われるのは許せない」というロジックに容易に変換できるのである。

 自己責任論の背景にあるのは、「真面目に努力して納税してきた者」と「不真面目で怠惰な非道徳的な人間」との対比であり、安田氏は後者の典型として自己責任論のやり玉に挙がっている。

 自己責任論を叫ぶ多くの日本人のほとんどには、前述の麻生大臣が「自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん」という部分を、

「自分で危険を犯して、自己防衛も全然しない人の救助費を、秩序を守って努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん」

 と置き換えれば驚くほど意味としてイコールになる。ここに私は、自己責任論の背景に醜悪なネオリベラリズムの正体を見るのだ。

【4】「日本型ネオリベラリズム」=「ムラ社会」+「ネオリベ」

 ところが、米国を含め世界中のネオリベラリスト(新自由主義)は、不道徳者への再分配を極端に禁忌するが、海外で危険に遭った同胞を呪詛するという方向には一切向かない。

 なぜなら、ネオリベは国民国家を前提とした思想であり、国家による采配や「不道徳者」への再分配を禁忌する一方、「夜警国家」に代表される国家による私有財産の保護を最も重視しているからである。つまり日本以外のネオリベは、国民国家に内包される国民同胞の生命・財産の保護という点でもっともタカ派的(積極的)なのである。

 ところが日本の自己責任論は、「まず謝るべきだ」という、意味不明の儀礼的行為を要求して自己責任論を第一に正当化させている。要するに「世間をお騒がせして申し訳ない」という通過儀礼を経ないと、共同体への帰還を許さないという発想である。

 これは極めて前近代的で、部族社会的な通念である。要するに日本の自己責任論というのは、ネオリベ的世界観を根底に置きながら、日本社会のみに通じるムラ的概念、―つまり「まず世間様に謝れ」などという部族的通過儀礼を強要する点で、世界標準のネオリベの世界観とは大きくかけ離れた亜種と言わなければならない。

 だから私は、日本の自己責任の正体を「日本型ネオリベラリズム」と名付け、これがインターネット空間を越えて蠢動している事への危機感を募らせているのだ。

【5】「日本型ネオリベラリズム」と「二重構造」社会のゆくえ

 日本は、国民同胞の帰還に対し「まず世間様に謝れ」などの部族的通過儀礼を強要する極めて遅れた世界観を持つ一方で、ニュートリノ観測などの物理分野や、重粒子線・陽子線治療など世界最先端の科学技術を有する「二重構造」を有する特異な社会を持つ国家だ。

 部族的通過儀礼の強要と米国にすら存在しないネオリベの亜種が同居する社会は、肯定的にとらえれば(良い意味での)混沌の坩堝(るつぼ)、悪い意味では不寛容と潜在的分裂要素を内包した低俗なモザイク社会といえる。

 今回の自己責任論で、改めて日本型ネオリベラリズムの蠢動が明るみになったことは、この国の社会の、将来においての悲観的要素を幸か不幸かあぶり出したように思えて、悲しいかな興味深いと言える。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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