実は雅子さまのルーツは岩手に…知られざる被災地との繋がりは? #知り続ける
雅子さまが天皇陛下と結婚されて、初めて公務で訪れた場所は、みちのく岩手県であった。目的は、第29回献血運動推進全国大会へのご出席であったが、雅子さまのお姿を一目見ようと沿道には大勢の人びとが集まり、歓声に沸きあがった。
熱烈な歓迎を目の当たりにし、感に堪えないご様子の雅子さまであったが、実は雅子さまにとって岩手県は、特別な思いを抱く場所でもある。
■雅子さまと東北 知られざる繋がり
そのことを語ってくれたのは、田園調布雙葉学園の中学時代の恩師で、岩手県出身の元教師・伊藤修文さん。
雅子さまが陛下と結婚されて間もない頃のこと。伊藤さんと会った時、雅子さまは初めての地方公務の話題を口にされたという。
「この前、先生の故郷である岩手県に行ってまいりました。先生と同じように、私にも岩手県人の血が流れていますので、感慨深い思いを新たにいたしました」
実は、雅子さまの母方の曽祖父は、明治から大正期にかけて活躍した、岩手県出身の海軍大将・山屋他人(やまや たにん)という人物である。
曽祖父と恩師が同郷であったことや、初めての地方公務が岩手県だったことも、偶然とは言え、なにか奇しき縁で繋がっているように思われたのだろう。
雅子さまにとって岩手をはじめ東北は、より身近に感じられる懐かしい場所なのである。
ところが、そんな素朴で自然豊かな思い出の地に、未曽有の災害が襲った。2011年3月11日、あの東日本大震災で、北海道南部から東北、そして茨城、千葉にかけて甚大な被害を受けた。特に、岩手、宮城、福島の沿岸部の津波による被害は、壊滅的な惨状をもたらした。
当時、皇太子同妃だった両陛下のお見舞いは、4月に避難所となっていた調布市の味の素スタジアムから始まり、5月には埼玉県の三郷市立瑞沼市民センター、6月には宮城県の被災地に足を運ばれ、7月には原発の苛酷な被害を受けた福島県へ。そして8月に岩手県を訪問された。
お二人は、家族を失い辛く悲しい境遇に呆然とする人びとの手を握り、励ましのお言葉を掛けられたが、雅子さまにとって岩手は自らのルーツに繋がる場所である。地元の人びとの心情は、我がことのように切実であったことだろう。
■さらに再び、岩手へ
震災から2年後の2013年、両陛下は再び岩手県沿岸部の釜石市を訪問された。
被災者が暮らす仮設住宅を訪れ、住民から被災した際の状況を聞いた雅子さまは、思わず涙ぐまれるシーンもあったという。
このご訪問は、雅子さまにとって3年9か月ぶりの宿泊を伴う地方公務。療養中だった雅子さまにとって、被災者の話にじっと耳を傾け、直に触れ合ったことは、皇族として国民を支える立場であることを、さらに自覚された出来事となったのではないだろうか。
翌年の歌会始で、雅子さまはこのようなお歌を詠まれた。
「悲しみも 包みこむごと釜石の 海は静かに水たたへたり」
ご訪問になられた日の釜石湾は、静かに凪いでいたが、その湾の様子をご覧になった雅子さまは、地域の人びとの悲しみが凪いだ海のように、少しずつ癒やされてほしいと思われたのだろう。
そして、海が穏やかに人々の暮らしを守り、豊かな恵みをもたらしていってくれるよう、お歌に願いを込められた。
■被災地に寄り添い続けてきた両陛下
2016年には、お二人は1泊2日の日程で岩手県宮古市へ。田老地区の津波防潮堤をご覧になり、お二人で海に向かって黙礼された。このご訪問で感じたことを、雅子さまは文書回答でこのように綴られている。
「東日本大震災も、これまで常に私の心に懸かってきていることです。(中略)今なお仮設住宅にお住まいの方々などから、ご苦労が続いていることのお話を伺い、心が痛みました。さらに、そのような中、台風第10号が岩手県岩泉町や北海道に大きな被害をもたらしたと知り、被災された方々の受けた衝撃の大きさを思いました。(中略)今後とも、皇太子殿下(当時)とご一緒に、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」
去年は東日本大震災から10年にあたり、両陛下はコロナ禍のため、オンラインを活用して東北3県の被災者らと交流された。たとえ対面できなくても、両陛下は片時も震災で傷ついた人びとを忘れることはない。
そして岩手の地と繋がる雅子さまの東北への思いは、変わることのない祈りとなっていくことだろう。
「愛子さま初めての記者会見『生んでくれてありがとう』 あふれる両陛下への感謝」https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20220318-00287067
「愛子さまの素顔とは? 陛下のご学友が明かす、20歳になる前と後」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20220322-00287694