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崩壊寸前の核合意 イランが濃縮上限を破る 安倍首相はトランプ大統領の首に鈴を付けられるか

木村正人在英国際ジャーナリスト
ナタンツ核施設の遠心分離機。中央はアフマディネジャド前大統領(提供:Presidential official website/ロイター/アフロ)

イランが濃縮上限を5%に引き上げか

[ロンドン発]イラン核合意を巡って米国とイラン間の緊張が高まっている問題で、イラン政府は7日、ウランの濃縮上限の3.67%を突破すると発表しました。5%に引き上げたとみられています。

低濃縮ウラン貯蔵量はすでに核合意の上限である300キログラムを超えており、国際原子力機関(IAEA)は米国の要請を受け、10日に特別理事会を開催します。イラン政府は60日ごとに核合意違反をエスカレートさせていくと警告しています。

米国もイランも戦争は望んでいないものの、英海兵隊がイランの石油スーパータンカーを拿捕するなど、駆け引きはエスカレートする一方です。米国のドナルド・トランプ大統領が求めているのはイランの「全面降伏」なのでしょうか。

緊張が高まる中、欧州は平和的な解決を目指しています。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は核合意を守るため、15日までに協議再開の条件を模索することで合意したと発表しました。

しかし、13年間に及ぶ交渉の末生まれた核合意はもはや風前の灯です。

国連安全保障理事会常任理事国5カ国とドイツ(P5+1)、欧州連合(EU)とイランによる2015年7月の核開発合意(JCPOA)。昨年5月、トランプ大統領がこの核合意から一方的に離脱したことをきっかけに緊張は一気に高まりました。

核兵器製造までの期間を1年以上に引き伸ばした核合意

イランが核兵器 1 個分の濃縮ウランを製造するのにかかる期間を2~3カ月から 1 年以上に引き伸ばした核合意の内容を見ておきましょう。

(1)イランは遠心分離機約 1万9000 台を保有。うち約9000台が稼働していたが、ナタンツ核施設の遠心分離機を6104台に縮小。10 年間はこのうち 5060 台を使用できるが、少なくとも15年間は濃縮率を原子力発電に必要な3.67%以内に抑える

(筆者注)イランは南西部のブーシェフル原子力発電所で発電するために必要として濃縮率を5%に引き上げたとみられている。日本の原発でも濃縮度5%程度のウランを使用。核兵器を製造するには90%の濃縮が必要だが、20%以上になると兵器転用が可能とされる

(2)低濃縮ウラン(LEU)の貯蔵量を約10トンから300キログラムに削減する

(筆者注)イランは7月1日に300キログラムを上回ったと宣言し、IAEAもこれを確認。核問題を専門にする米シンクタンク、科学国際安全研究所(ISIS)によると、3.5%の低濃縮ウラン1080キログラムを高濃縮すれば核兵器1個が製造できるという。イランは核合意の前には核兵器10個分の低濃縮ウランを持っていたことになる

(3)フォルドゥ核施設の遠心分離機も大幅に縮小、15年間はウラン濃縮をしない

(4)兵器級プルトニウムを製造できないようアラク重水炉の設計を変更・改修する

(5)使用済み核燃料は国外に搬出

(6)15 年間は重水炉を建設しない

核合意で息を吹き返したイラン

イランがこうした制限を受け入れる代りに、欧米諸国の経済制裁は解除されました。これでイラン経済は息を吹き返しました。購買力で見た国民1人当たりの実質国内総生産(GDP、11年国際ドル換算)は13年の1万6383ドルから17年には1万8982ドルまで回復しました。

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イスラム教シーア派のイランが元気になってくると困るのがスンニ派の盟主サウジアラビアや、イスラエルです。サウジやイスラエルは同盟国の米国に働きかけて、トランプ大統領をして核合意は「史上最悪の合意」と言わしめて核合意から離脱させてしまったのです。

米議会の超党派はイランへの見方が厳しいため、バラク・オバマ米大統領(当時)は核合意について議会の承認を経ずに大統領権限で成立させ、対イラン制裁を一時停止しました。トランプ大統領が核合意から離脱した国内的な大義名分は、米議会が承認可能な合意をイランと結び直すことです。

「生命維持装置につながれた核合意を死亡させると後悔する」

英有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のマーク・フィッツパトリク前アメリカ本部長(核拡散防止担当)は今年1月に発表した共著『不確実な未来 核合意とイランの核・ミサイル計画』の中でこう指摘しています。

「核合意は核兵器能力獲得に急速に向かうイランを停止させた。核分裂性物質の貯蔵量を劇的に減らし、生産能力を後退させた。それだけでなく核問題を巡って戦争が勃発する恐れを防いだ」

「イランが1年以内に核兵器 1 個分の濃縮ウランを製造できなくなったことで、イスラエルがイラン核施設の攻撃を検討する理由はなくなった」

「米国の離脱と制裁再開に対してイラン政府がどれだけ長く核合意を守る忍耐力を保てるかは不確実だ。イランのハッサン・ロウハニ大統領に対する『イランだけが合意を守り続ける必要はない』という国内強硬派からの圧力は増し続けている」

「その一方で欧州や他のパートナーは合意を守るイランに金融機関のチャンネルを開放して助け舟を出している。核合意は生命維持装置につながれている。死亡させると後悔することになる」

米国がイランに突き付けた12項目

米国もサウジもイスラエルも、イランが北朝鮮のように事実上の核兵器保有国になることは絶対に許容できません。このレッドライン(越えてはならない一線)を越えることが確実になれば、米朝首脳会談が開かれた北朝鮮問題とは違って間違いなく戦争になるでしょう。

イランの目的は原油の全面禁輸や金融制裁の解除です。これに対して、米国はイランに対し12項目の要求を突き付けています。

・IAEAに対してこれまでの核兵器開発計画の全容とそれを永遠に破棄したことを明らかにする

・ウラン濃縮の中止。重水炉の閉鎖を含むプルトニウム再処理の断念

・IAEAにイラン全土のすべての関係先への自由なアクセスを認める

・弾道ミサイルの拡散を止める。核搭載可能なミサイルシステムの発射や開発を中止する

・米国民や米国のパートナーや同盟国の市民を解放

英国とイランの二重国籍を有するナザニン・ザガリ=ラトクリフさんの釈放を訴える夫のリチャードさん(筆者撮影)
英国とイランの二重国籍を有するナザニン・ザガリ=ラトクリフさんの釈放を訴える夫のリチャードさん(筆者撮影)

・レバノンのシーア派組織ヒズボラ、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス、ジハーディスト(聖戦主義者)を含む中東の“テロ”グループへの支援を終結

・イラク政府の主権を尊重し、シーア派武装勢力の武装解除や解散に応じる

・イエメンの武装組織フーシ派への軍事的支援を止め、平和的で政治的な和解に努力する

・イラン司令官の指揮下にあるすべての武力をシリアから撤退する

・アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンや他の“テロリスト”への支援や、国際テロ組織アルカイダ幹部を匿うのを止める

・イラン革命防衛隊による世界中の“テロ”や“武装組織”への支援を止める

・イスラエルやサウジ、アラブ首長国連邦(UAE)など近隣諸国や国際輸送への脅し、サイバー攻撃を止める

仲介に動くのが日本の責務

トランプ大統領は米朝首脳会談を見れば分かるように緊張をギリギリまで高めて相手に譲歩を迫る交渉術です。

安倍晋三首相はトランプ大統領の要請で現職首相として41年ぶりにイランを訪問している最中に日本のタンカーが攻撃を受け、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルに「中東和平の初心者が痛い教訓を味わった」と叩かれました。

中東の石油に依存する日本の国益は中東和平とホルムズ海峡の安全です。トランプ大統領の首に鈴を付けられるとしたら、今の西側諸国の中では安倍首相しかいません。「中東和平の初心者」と叩かれても仲介に動くのが国際的な責務でしょう。

日本もフランスのマクロン大統領と協力して、イランに核合意を維持しながら、米国とその同盟国への敵対行為を止めるよう働きかけていく必要があります。トランプ大統領もイランとの戦争ではなく、交渉を求めています。

イランはまず「人質」の解放に応じるべきです。

2016年4月にイラン革命防衛隊に拘束されたナザニンさん(筆者撮影)
2016年4月にイラン革命防衛隊に拘束されたナザニンさん(筆者撮影)

(おわり)

参考:「アメリカのイラン核合意離脱が意味するもの」(防衛研究所理論研究部政治・法制研究室、有江浩一著)

「米国による『最強の対イラン制裁』の効果」(日本エネルギー経済研究所中東研究センター長代行・研究理事、坂梨祥著)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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