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戦国三大梟雄【松永久秀】は後世に伝わる三つの悪行を本当に行ったのか?

歴ブロ歴史の探求者

戦国三大梟雄の一人として悪人のイメージが強い松永久秀。

2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で吉田鋼太郎さんが演じた松永久秀は、極悪人と言われている従来の人物像とは違うと私は思いました。近年の研究では後世に伝わっているほど悪人でないとも言われているようです。そこで、今回は松永久秀について書きます。

三好家に仕え重臣へ

松永久秀の生まれは1508年で斎藤道三・織田信秀と似たような年代で信長の親世代。久秀が20代半ばころに三好長慶に仕え頭角を現し、三好家重臣の仲間入りを果たします。

茶人としても有名で『平蜘蛛』や『九十九髪茄子』といった名品を所有していました。茶の湯を通して京や堺の文化人と交流をし、その人脈を広げていたことから三好政権下では公家や寺社、将軍家との交渉役を担っています。

松永久秀の三つの悪行

『常山紀談』では織田信長が久秀のことを「この老人は天下に名を轟かす三つの悪行を犯した」と紹介した逸話が残っています。この悪行が【将軍の暗殺】【主家乗っ取り(三好義興殺し)】【東大寺大仏殿の焼き討ち】で、これらは松永久秀の三悪と呼ばれ戦国三大梟雄と呼ばれるゆえんともなっています。

この悪行が本当なら悪者扱いを受けて当然ですが、研究が進むにつれてこの悪行が少し違うのではないかと言う事がわかってきました。

三好義興を毒殺はしていないのか?

当時、三好長慶の嫡男・義興が死去した際に「久秀が毒殺したのでは?」と言う噂が流れたと言いますが、毒殺を証明する一次史料は今のところ発見されていません。逆に久秀が義興の病状を心配し、三好家への忠誠を誓う文章が残っています。

むしろ『足利季世記』や『続応仁後記』には、毒殺のうわさはあったが久秀に対する妬みで根拠のないものだと毒殺説を否定しています。

足利義輝襲撃には関わっていない!?

1565年に13代将軍・義輝の二条御所を襲撃する永禄の変が起こり、将軍は奮戦するも討たれます。実行犯は三好義継と三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)と久秀の嫡男・松永久通でした。

当日に久秀は京にいなかった事から、「事件に関与していないのでは?」とも考えられています。とは言え、松永久通が関与している事から、何らかの情報は手にしていると思われます。そのため、計画を知りつつも(黒幕として)黙認していた可能性もあります。

また一説には永禄の変自体が、三好・松永が将軍に異議を申し立てるため御所に行ったとされ、通常なら穏便に終わるはずが何かの手違いで武力衝突が発生した偶発的な事故とする説もあります。もしこの説が本当なら、松永久秀黒幕説が覆りそうです。

東大寺大仏殿の焼き討ち

三好長慶の跡を継いだ三好義継は、三好三人衆と共に新たな将軍を擁立して政権を維持していましたが両者は次第に対立します。この頃すでに久秀は三好三人衆達とは決裂しており、内乱を繰り広げていました。

三人衆との対立が激化して義継が久秀を頼ると、久秀・三好義継VS三好三人衆の構図ができあがり大仏殿の戦いが起こります。この戦いで久秀が三人衆を討ち取るべく大仏殿に火をかけたとされますが、いくつかの史料には以下のように書かれています。

  • 穀屋から飛び火して大仏殿が焼失した:多聞院日記
  • 三好軍の小屋に張ったむしろに誤って火がついた:足利季世記
  • 三好軍が誤って鉄砲の火が火薬に移り:大和軍記
  • 三好軍忠のキリシタン兵士が放火した:日本史

※読みやすくしています。

この文章を見る限り、三好軍側に過失があるように見えます。

しかし、いくさには火計はつきものな気がしますので、松永軍が火をかけたのかもしれません。いずれにせよ久秀が意図的に大仏殿に火をかけたのではなく、偶然の失火の可能性があると考えられ、最近では「いくさの不慮の失火説」が有力となっているようです

これまでゲームや小説などで松永久秀は信長を裏切り、主家である三好家を乗っ取った稀代の悪党とされています。しかし、上記の事を踏まえると久秀は三好義興を殺してはいないし、足利義輝も殺していません。また、東大寺大仏殿の焼き討ちは意識的なものでないようにも解釈できます。

実際に久秀は自分をここまで押し上げてくれた長慶に忠義を示していたようですし、義興にも忠誠を誓う文章を送っています。義継とは一時対立しましたが、最終的には行動を共にして織田信長に臣従しました。これらの行動から決して主家をないがしろにしているようにはみえず、松永久秀は後世に伝えられるような悪者ではなく、三好家を支えた忠義の武将だったように思えます。

参考文献:2020年『誰も知らない明智光秀の真実』宝島社

歴史の探求者

歴史好きが講じて歴史ブログを運営して約10年。暗記教科であまり好きでないと言う人も少なくないはずです。楽しく分かりやすく歴史を紹介していければと思います。歴史好きはもちろんあまり好きではない人も楽しめるような内容をお届けします。

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