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LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

LGBT法案は、次回の選挙の「裏テーマ」になるのではないかというのが、私の見立てである(G7でLGBT法案が議論の俎上にあげられなかった訳)。(現時点では)貧乏くじを引くのは自民党かもしれない。

自民党は、性的マイノリティに関する特命委員会と内閣第1部会の合同会議で、反対が多数あったにも関わらず、部会長らに一任という結論を強引に取り付けた。新聞やテレビの報道では「保守派の反対」であるとしか報じられていないが、この時点での懸念はほぼ、「女性と子どものトイレや風呂の安全」をめぐるものであった。それはそうであろう。この時点で「日本の伝統文化が」「皇室の危機が」といった、いわゆる「保守」的な言説を前面に押し出せば、即刻、叩かれただろう。自民党議員のYouTubeなどの発信を大量に初めて見たが、なかなかに海外事例などを勉強されているようであった。

首相の命を受けて、自民党はどうしても法案を国会に提出しなければならなかったといわれている。新聞やテレビの取材を受ける自民党議員は、映像を見る限り、争点がわからないような曖昧なはぐらかしをしていた。「女性や子供たちの安全」が問題になっていると言えば、「それはどうでもいいと判断しているのか」という問いかけが来るに決まっている。争点を積極的に明らかにすることは、できなかったのだろう。

かくて、この法案は何が焦点なのかわからないまま、紛糾するに至っている。LGBT法案に反対しているのは、「統一教会の人たち」「家族の価値を保持したい人たち」「男女の2分法を維持したい、反フェミニスト」なのだという報道を聞くと、これほど大騒ぎになっているのに、争点自体がわかられていないように感じる。もちろん、そういう側面はあるだろう。この法案に反対する自民の「保守派」は、確かにそういう人たちであろう。しかし報道はされないできたが、でてくる反対の論拠は、そういったものよりもむしろ「女性の安全」に軸足がある。

この法案に危惧を呈しているのは、保守派ばかりではなく、女性たちである。強く懸念を示しているのは、かつては左派と言われる政党を支持していたが、この問題を機にそこから離れた人たちが多い。作家の笙野頼子さんは共産党を支持していたが、前回のLGBT法案をめぐって「山谷えり子に投票する(した)」と公言している。研究者を含む人たちが、これらを「右派」「原理主義の女性たち」とラベルを貼って終わりにしているが、それは明らかに事実と異なっている。

むしろあらたな政治課題を、労働の場における搾取から正義へと移した左派政党から「追い出された」ひとたちが、耳を傾けてくれた自民党へと支持を移したといっていいだろう。前回のLGBT法案の際に、山谷えり子氏は「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、理不尽なことが起きている」と発言し、運動団体から「明らかな五輪憲章違反」だと抗議されている(山谷えり子氏のLGBT差別発言は「無知」「明らかな五輪憲章違反」 撤回求め署名も)。マスコミでも、かなりの批判がなされたように記憶している。

ただ山谷氏のこうした発言支持を「極右」であるとレッテルを貼るのであったら、LGBT法案をそもそも強力に推し進めた稲田朋美氏が、そもそもは「百人斬り裁判」の弁護人であったことはどうなるのか。こうしたLGBT法案を従来の左右の政治の軸で考えると、見落とすものも多いのである。そこはきちんと、研究者が分析しなければいけないことではないだろうか。

2年前のLGBT法案のときは、こうした山谷氏の発言に賛同するひとは少数派だった。しかし日本でも、多くの公共のトイレから女性トイレが消え、男性用と男女共同のトイレのみが作られているニュース、そして何よりも歌舞伎町タワーの「ジェンダーレストイレ」が危険だというトラブル報道を経て、急速にトイレでは安全が担保されるべきだと考えられるようになってきている(すべてのひとにトイレの安全は保障されるべきである。トランスジェンダー当事者も、こうしたトイレに恐怖を示していることも、当然である。あきらかになったのは、こうしたトイレがトランスジェンダーの当事者の要望でもなければ、多くの人の安全を保障しないという事実である)。

また東京オリンピックで43歳のハバード選手が、重量挙げで20代の女子選手に交じって出場したときには、ハバード選手の可愛らしい人柄や、結局棄権をしたことによって、まだ好意的に受けとめられていた(メダルを取った選手たちは、報道陣によるハバード選手にかんする問いかけに冷たく「No Thank You」とだけ返したとはいえ)。しかしアメリカで、リア・トーマス選手が圧倒的な強さで、水泳の記録をつぎつぎと塗りかえていったこと、そして更衣室で性器を見せながら隠しもしないと女性たちが涙ながらに、「大学は何もしてくれない」と訴えたことで、少なくともそこになんらかの解決しなければいけない問題、制度的調整が必要な問題があることは、認識され始めている(繰り返すが、トランスジェンダー当事者に問題があるのではない。誰も取りこぼさずにどのような制度設計をしていくかという問題である)。

LGBT法案、国会前で女性たちが反対集会「ジェンダーレスの名のもとに女性用トイレが消されている」の記事などに対するネットの反応などを見ると、多くの女性たちが女性スペースをめぐる危惧をもっていることに、むしろ驚かされた。デモの参加者はわずか20人に過ぎないが、「できるなら私も参加したかった」の声の多さ。デモでは顔を隠す女性たちに対して、撮影を敢行したりする姿も映っているし、日頃からSNSでも批判の声が多いため、実際に参加することのハードルは非常に高いだろう。なるほどこのコントラストをみれば、この問題が表では語られないがゆえに、むしろ強力な「裏テーマ」となることは道理だなと、納得させられた。

解散総選挙がいつになるのか、先行きは不透明である。ただひとつ言えることは、この問題は選挙が延びれば、女性たちも自民党の振る舞いを忘れるだろうという類のものではないということである。こうした女性たちが自民党に失望したときに、今度、向かう先はどこなのか。次回こそ、「LGBT法案で漁夫の利を得るのは、維新・国民か?」で論じたい。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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