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(追記あり)LGBT問題についていま私たちが考えるべきこと。

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)
LGBTの象徴、レインボーフラッグ(写真:アフロ)

(2018.8.1PM1:50追記あり)

自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が性的少数者(LGBT)について「生産性がない」と月刊誌に寄稿し、大きな批判を集めています。

筆者も、原文を読んだ上で本稿を記しています。

内容についてはさておき、LGBTについては認知度は上がってきたものの、企業現場や社会としての理解の浸透度はまだまだであると感じるところです。

そもそも、「性別」をどう捉えるべきかについては諸外国でも議論があり、タイでは性別が18あったり(それ以上とも言われています)国によっても多様な考え方があります。

 社会通念は時代によって変わります。今、正に時代が移り変わりつつあり、社会通念がどのように変わっていくか、社会としてLGBTの問題に対してどのような価値観を提示すべきかが問われていると感じましたので、本稿を執筆することにしました。

 しかし、筆者は、LGBTの当事者ではありませんので、その価値観を、アタマでは理解しているつもりでも、「心の底から」表現することは不可能です。

 そこで、本稿では、私の知人でLGBTの当事者である方の意見を紹介するという形式で、この問題について考えたいと思います。

 この問題に正解はありませんし、人それぞれ、感じるところは違うと思います。ですが、差別は許されません。そこで、当事者の声を聞くことは、その価値観を形成する上では必ず必要なことだと思いますので、以下、3名の意見を紹介します。なお、それぞれ、ご本人から引用・掲載の許可を頂いております。

その1 増原裕子さんの声

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先日、勝間和代さんとの交際が報じられたLGBTコンサルタント(株式会社トロワ・クルール代表取締役)増原裕子さんのコメントは下記リンクのとおりです。

https://masuhara-hiroko.hatenablog.com/entry/2018/07/28/134337

「マイノリティを不幸にするのは、杉田議員の言葉の数々と、それに同調したり、それを放置したりする社会です。」

その2 ある当事者の声

 事情から名前は明かせませんが、筆者の個人的知り合いの当事者から意見を貰っていますので、以下、長いですが引用したいと思います。

(以下引用)

「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。」

杉田議員の言いたいことは、正にこの一言に尽きている。おそらくこれが彼女の偽らざる本音なのだろう。

しかし、「いけない」のである。なぜなら、その枠組みにはめこむことのできない性的少数者が実際に存在し、事実、社会の中で差別や不利益を受けている以上、その存在を認めたうえで支援を進め、それにより差別や不利益を是正する必要があるからだ。

そして何より重要なのは、差別をされたくないという性的少数者の願望や欲求が、多数派である異性愛者や性的多数者の人権を阻害するおそれのない、純粋な自己決定の範囲に収まる性質のものといえるからである。他人に迷惑を掛けないのであれば、他人の自由は認めるべきだし、差別されるべきではない。

なお、誤解のないようにあえて言うが、上記範囲を超える「支援」は単なる行き過ぎた対応であり、およそ支援とは呼べるものではない。真の問題は、多数派の人権を阻害しない範囲の、共存可能な「支援」の枠組みや限界をどうしていくべきかという点にある。

今回杉田議員が持ち出した、支援すべきかどうか(しないべきである)などという入り口論は、既にオワコンである。

 むしろ杉田議員に問いたいのは、なぜ素直に「いろいろ読んだし、聞いたし、考えてみたけど、やっぱりLGBTというものが感覚的に受け入れられないです。」という本音を吐露できなかったかということである。そう正直に一言書いたほうが、よほど納得できる。

寄稿によれば、杉田議員はLGBTを巡る社会の動きを新聞各社の報道で知っており、また実体験でも当事者から話を聞くなど、知識がないわけではない。そのうえで、理由を断片的に並べて、さも冷静かつ合理的に批判しているように振舞っている。

しかし、結局のところは、そのどれもが論理破綻していることはもちろん、共感力に乏しい、また言いようのない嫌悪感と未知に対する恐怖心によるものでしかなく、支援を進める姿勢への批判として全く機能していない。

 そもそも、「実際そんなに差別されているものでしょうか。」という発言や感覚は、たまたま既存の社会常識の中を生きてこられた幸運な人間の、専売特許である。この付加疑問文を発すること自体、仮に悪意がなかったとしても、著しい過失がある。差別の存在を明確には認めようとしないこの姿勢は、自身と同様に公務員の立場の者の同性愛者に対する対応が大問題となった東京都青年の家事件(東京高判平成9年9月16日判タ986・206)の地裁すら認めた「従来同性愛者は社会の偏見の中で孤立を強いられ、自分の性的指向について悩んだり、苦しんだりしてきた」という実態を完全無視あるいは敢えて言及しないものである。議論のスタート地点で著しい事実誤認をしているがために、それに続く寄稿の内容は当然、破綻の一途を辿る。

 これに引き続き、日本社会が従来から同性愛に「寛容」などという評価を加えているが、その理由はつまるところ、同性愛が禁止・迫害された歴史がないからという短絡的なものである。

しかし、そうではない。日本では、同性愛はそもそも存在自体が「ないものとされてきた」のであり、存在を認めたうえで受け容れる「寛容」とは程遠い。LGBTをテーマとした各種の議論は、日本社会にとって従来ないはずとされていた概念をどのように社会全体で理解し、支援を構築していくかという、非常に難しい作業でもある。

さらに難しいのは、実はLGBTという言葉がいわゆる性的少数者を包含しきれていない概念だったりするので、その支援の範囲もまた、議論していかなければならないということである。「寛容」などという言葉で問題意識に蓋をすることは簡単であるが、それは複雑困難な議論に対する逃げでしかない。

さらに、LGBTが抱える「生きづらさ」に対して、両親がLGBTの子を受け容れれば解決するとしているが、社会とそのごく一部たる家族を混同するもので、的外れな指摘である。その多数が異性愛者である両親が、子のLGBTであることを受け容れられない背景には、当然に、社会の中で差別などを受け苦難して生きて行かざるを得ない、子がLGBTなどと他人に知られたら不利益を受ける、という心配や認識がある。そのような心配や認識を変えるものこそが、社会制度である。

次に、杉田議員は行政の支援=「カネ」をLGBTに投入することの疑義を述べるが、当該指摘はLGBTを超えて、子供を作らないないし諸般の事情で作れない夫婦その他の人々をも侮蔑したものとして、激しい批判にさらされている。

それにとどまらず、「生産性」を局部的に解釈している点に大きな問題がある。杉田議員が重視する日本の生産性の維持や発展という観点で言えば、産まれてくる子供について支援するのと同時に、今現在生きている人間の生活を維持する、すなわち自殺者やメンタルヘルスを患う当事者などを保護することもまた当然に含まれるはずである。

そしてその保護のためには、社会制度、支援を充実させる必要のあることもまた、自明である。日本において、LGBTを苦にして自殺等する若者は、統計上でみても相当数存在するし、筆者自身も、LGBTの友人が自殺したりメンタルヘルスを患う例を見てきており、身近な問題と捉えている。これに一切言及しないまま、単純に産んで増やせるかという点に注意を向けさせており、乱雑な指摘と言わざるを得ない。

その後、「LGBとTを一緒にするな」という、さもLGBTについて一見して深い理解を得ているかのような表題を置いたうえで寄稿を展開している。要するに、Tは障害であるため一定の保護の必要性は感じるが、それ以外は一過性のもので、大人になれば「軌道修正」するのであるからメディアが騒ぎ立てて性的少数者を煽る、作出するようなことをすべきでないとの趣旨の主張である。さらにこれに交えて、制服にかかる配慮からトイレの話を持ち出し、自分の好きな性別のトイレに入れるとすれば大混乱であるなどと警鐘も鳴らしている。

この一連の寄稿は大前提として、性的指向を性的「嗜好」と表記している点に問題がある。すなわち、当事者は自ら好き好んでLGB(Tも含む)に「なる」のではない。その多くが、思春期に自分の中に生まれるいわゆる違和感がなんであるか理解できないまま自分を責め、また、社会の中での差別や親の心配・批判を恐れ、「なるべくそうならないように」と、もがき苦しむ。しかもそれは、軽々に他人に相談できるものではなく、孤独感にさいなまれる。性的指向や性自認は、自分で選択できる性質のものではなく、その人自身を構成する根幹的な人格そのものであって、「嗜好」とは全く異なる。これを敢えて理解して使用しているのであれば、杉田議員は確信犯的にLGBTを侮蔑していることに等しい。

LGBTについて教育するということは、上記のような苦しみを抱えた若者に、まずはそのような人の存在を知らしめる、そして、自分もこれでもいいんだという安心感、つまり自己肯定感を与えるものとして非常に重要な意義を持つ。そして、当事者でない人間に対しても、そのような人が一定程度当然に存在し、社会の中で共存しているということを認識させる機会となり、差別や偏見などの防止につながるのである。このような考え方は、至極「常識的」ではあるまいか。

そのほか、トイレ問題については、確かに防犯の観点などから、更に充実した議論が必要であることは否定しない。また、性的少数者の分類が多岐にわたりすぎるという危惧も、そもそも性的少数者がLGBTという枠でとらえきれないと言われる今日においては、重要な指摘ではある。

しかし、これらの指摘はいずれも、LGBTを中心とする性的少数者の支援をどの範囲まで行うかという限界に対する指摘として傾聴に値するものではあっても、支援そのものを批判する根拠とはなり得ない。

今、LGBTの問題として議論すべきは、どこまでが合理的かつ正当な権利主張として支援の対象となるものか、どこからが単なるLGBTのワガママとして排除されるべきか、という棲み分けである。冒頭で述べたとおり、多数派である異性愛者や性的多数者の人権を阻害するおそれのない、純粋な自己決定の範囲に収まる性質の支援を模索するべきである。

日本を代表する国会議員には、是非とも共感力とバランス感覚をもって、LGBTに対する必要かつ相当の支援について、闊達な議論をしていただきたい。

その3 To-Ruの声

最後に、雰囲気をガラッと変えて、オネエ占い師「To-Ru」さんからのご意見を紹介します。

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先日の杉田水脈の「LGBTは生産性がない!」発言

正直言って怒りよりも、呆れ、開いた口が塞がらないという感じね。

ワタシはLGBTという言葉がない昭和時代から常に闘ってきたわ。

「オカマ、女オトコ」といった

誹謗中傷、激しいイジメ石も投げらつけられたこともあったわよ。

ただ昨今は美輪さま、マツコさん、IKOOさんたちのメディアの露出、活躍によって私たちオネエの社会地位も少しは確立されたかと思っていたので

今時こんな時代遅れ智慧、知性のかけらもない政治家がいるなんて「日本の恥」だと思っているわ。

LGBTが生産性がないなら

・子供を欲しくても産めない女性

・子供のいない家庭

・子供をあえて持たないご夫婦

・未婚の男女

も全く一緒ってことよね…

確かに子孫繁栄は人として生まれたお役目のひとつでもあると思うけど

ただただ子孫を残すだけがお役目じゃないはず☆

さらに

相模原障害者施設殺傷事件の犯人も

「障害者は生産性がない!」と全く同じことを言っていたわ

思考回路は全く一緒!!

そう!アンタは殺人鬼とたいして変わらないの。

さらにそれと同時に垣間見えるのは

炎上目的の彼女の稚拙な目立とう精神や、編集者の思惑。

なんだか負のスパイラルを引き出しているとかしか思えないわね。

確実に言えることはこういった思考の政治家が蔓延ることが「生産性のない」

人類滅亡に繋がるんじゃないかしら。

甘くすましたくはないけど、まともに相手にするのもバカみたい!

即刻辞めて頂くことが日本の未来の為よね。

(2018.8.1PM1:50追記あり)

その4 堀川歩さんの声

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本記事をお読み頂き、ご意見を下さった当事者の方がいますので追記します。心は男性、身体は女性として生を授かり、現在はベンチャー企業で人事部長を務める堀川歩さんです。

あくまでも一、個人の意見として、聞いてもらえたらと思います。

普段からLGBTに限らず障害者や高齢者、様々な人の視点に立って向きあい行動し、「百人いれば百通りの意見がある」と伝えてきました。

今回ばかりは多様な意見の一つではなく、杉田議員は公人という立場でご自身が発言した意味、重さを本当にわかっているのかと問いたくなる内容でした。

私自身はLGBTに関する理解云々というよりも、人間の価値を「生産性」という基準で測ることに疑問を感じました。

たとえ杉田議員本人に差別的な意思がなかったとしても、誤解されるような発言をしてしまい現実に杉田議員の発言に傷つき苦しんでいる人がいます。その「事実」には目を向けてほしいと思います。

世の中には「知らなかった」では済まされないことがあると思います。

まさに今回のケースは「無知だった」では済まされないことではないでしょうか。

オリンピック・パラリンピック開催国の条件でも、性的指向、性自認による差別が禁止され、

調達コードにも追加されています。同性パートナーシップを導入する自治体も出てきました。

LGBTの当事者の方、理解・応援しようとする方の、小さな思いが、大きなうねりになりました。

ひとりの議員の発言で終えるのではなく、「政治家の仕事とは一体何か?」「今政治家には何が求められているのか?」を改めて考えてもらいたいです。

政治に携わる人の中にもLGBTの問題に対して、熱心に取り組んでくださる方もたくさんいらっしゃいます。

今回の件を契機に、LGBTに関する法制度を整備が進んでいくことを願っています。

私個人としては、性的マイノリティであるなしに関わらず、全ての人が自分らしく生きられる。

そんな社会であってほしいし、そんな生き方を選んでいきたいと思っています。

以上です。繰り返しですが、この問題に正解はありません。但し、差別は許されません。

一言だけ、私の意見を言えば

「本気の人の生き様を笑うな」

です。

日本としての「社会通念」をどのように形成していくかは、私たち一人一人の価値観によります。この問題を正面から考える人が一人でも増えると言うこと、少なくともそのことは悪いことではないと思います。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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