84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」中編
倉重:50~60年前の労働事件は主なテーマが労働組合による集団的労使関係が中心であるなかで、先生は弁護士人生を歩んで来られましたよね。
一方で、今でも労働組合の組織率が非常に下がったり、存在意義が低下しつつある最中ではありますが、とは言えこれからの時代、一人一人がどう働くかというのはかなり差異が出て来ると思います。
つまり、一人一人の価値観が違っている、昔のように集団で1つの価値観でまとまってというのではないがゆえに、やはり1人で会社と交渉することではなく、やはり労働者を代表する組織としての労働組合、これはまた新たな時代の役割があるのではないかと、個人的には思いますが、これはいかがですか。
森田:そこで面白い話が1つあって、実は中国の労働事情を調べに行ったことが2回あります。1998年でしたか、2回目行ったときに中国にも労働組合があります。労働組合の役割ですが、共産主義体制の中でどういう役割を果たすのかが大きな疑問としてありました。尋ねたところ、結局労働組合は社員の苦情処理機関であると。そういう意味では苦情処理の問題というのが、やはりこれから日本でも大きな問題になるのではないかとずっと思っていました。
倉重:なるほど。そういった不満をまず内部で自浄作用という形で吸収できるかは大きいですね。
森田:ハラスメントなどは自浄作用がなかなか働きにくい場なので、第三者の関与が多くなりつつありますが、自浄作用というのは絶対に必要であり、管理職のお役目というのは、自分の部下たちの苦情をどう処理できるか、それをもう少し組織化してもいいのではないか、だからそういう意味では人事部・労務部の役割というのも苦情処理問題が重要です。ハラスメントについては、どの様に解決できるかが問われることになり、組合の存在も重要です。
倉重:やはり昔ながらの労働組合の在り方というのと、今の在り方がどうかと考えるときに、先生の時代は集団的労使関係の紛争が多かったと、つまり集団で会社と戦うという意識を持っている組合員が多かったのではないかと思います。そこで現代はどうかと考えとると、戦って、先ほどの経営権を握ったら実際につぶれてしまったりするわけですから、倒してどうするという話で、雇用を守るという共通の目的がやはりあるはずです。そういう意味では本当の意味での労使協調といいますか、もちろん提案するべきところはするし、不満を聞いてぶつけたりはしますけれども、では目指すゴールはより働きやすい職場、働きやすい職場ややりがいのある職場のためには、きちんと人件費も払われる職場である。そうすると会社の売上を上げなければなりません。そういう目的は共通化しているわけなので、あたかも検察官と弁護士のように、真実の発見に向かって違う立場からものを言い合うことにより真実に到達するというのが刑事司法の考え方ですよね。それと同じことで、同じ方向を向いて、同じゴールを目指して、でも立場は違う。こういう関係性かなと現代的には私は思っています。
森田:組合の役割というのが昔のように戦う組合、労働者を保護するために戦ってきた人たちが妙に理解を示してしまい、戦わない組合になったときに、では労働組合はどうあるべきかということを今の組合の人たちが十分考えているのかというのは大変疑問です。だから組織率が低下するのは私から見ると当たり前ではないか、組合費のただ取りということを組合員からよく言われますが、労働組合がこの時代にどのような役割を果たすべきなのか、もっと真剣に考えなければいけない時代に来ていると思います。
倉重:そうですね。思考停止とは言いませんが、やはりそのベア一律何%、幾らや、これは違いますと、どうしても思ってしまいます。
森田:そう思います。組合こそ、今改革が必要なのではないですかということ、問いです。
倉重:さすがです。これはもう先生しか言えないので。
森田:はい。
倉重:では少しまた話題を変えまして、先生の世代と言ったら失礼ですが、やはり定年後再雇用というのはすごく増えてきていますが、先生はもっと若いですね。今ちょうど60歳定年。昔は55歳定年、先生が弁護士になられたころは55歳でしょう。
森田:55歳です。
倉重:そこから60歳定年になり、そして今は65歳再雇用義務になっていて、さらに今後これが70歳に延長されるかもしれないという報道も出ていましたし、さらに場合によっては厚労省も生涯現役社会と、つまりそれは定年を違法にするということかというような少し怖い検討などもしたりするわけですけれども。少なくとも65から70になるという方向性はある程度はなってくるのだろうと。これが高齢化の人数が増えていくとやはりある程度就労していただいたほうが国としてはいいだろうということは間違いない。そこがどこまで義務付けられるかという問題はありますが、そういうときに60歳を過ぎて働くということに関しては、先生はどのように思われていますか。
森田:僕らが最初に定年延長の問題が出て来たときに思ったのは、その義務化ということが本当に正しいのかという疑問です。はっきり言うと60歳になったら労働力の新しい労働市場と考えて、好きな人を好きなように採用するということがあっていいと、実は思っていました。義務化をした結果、結局は賃金を下げて、会社としては、辞めてもらいたい人も渋々雇用しなければいけない。
あまりキャリアアップしなかった人たちにとっては嫌々働く、それは決して幸せではないのではないかと思いました。私が若いころ、ある著明な会社が採用年齢を60歳以上と定めました。日本で初めてではないでしょうか。
倉重:採用年齢をですか。
森田:そうです。採用年齢を60歳と定めて、60歳以下の人は採用しないと。
倉重:どういうことですか。
森田:つまり、その会社で60歳になるには、それ相当の経験をしてきたはずだ、その経験を有効に活用しないのは、自分たちがきちんと対面していなかった結果ではないか、だとしたら広く特定の分野の世界で、きちんとキャリアアップしてきた人たちを積極的に雇用しようではないかと考え、この会社はそういう定めを30年前につくりました。その会社と私は関わったものですから、若い人たちがその経験を積んだ外から来た人たちに敬意を持って、自分たちと一緒に働く仲間だと意識して働いていることが非常に新鮮に映りました。
倉重:それは理想的ですね。
森田:そういう意味で、今のように義務化をして、悪い言い方をすると、とても採用できない人たちを法律の規定に従って嫌々雇用する。働くほうも、他に行く場所がないからというような話は双方にとって幸せではないのではないかと思います。
倉重:そうですね。正直言って先生がつくられたこの解雇権濫用法理がやはり厳し過ぎるものですから、解雇したいけれどもぎりぎり解雇できない人というゾーンがいて、そういう人は正直言って、定年まで指折り数えて、もうすぐこの人は定年だと待っていたりするケースが実際にあるわけですが、しかし定年になって、また再雇用だということになって、しかもこれが5年だったのが10年などとなると、これは一体どうしたらいいのだと、それはお互いによくないですね。
森田:そういう意味では、日本では事実が先行する前に法律が先行してしまった結果、本当に働きたい人たち、能力のある人たちをどのように生かすかという方向で、もう少し考えていいのではないかと思います。私の顧問先に病院があります。そこで30人ぐらいお預かりしているホスピスの看護師の職場では、上は83歳、80代の人が3人ぐらいいました。要はホスピスの末期がんの人たちのお世話には若い人たちではとても共通の認識を持てません。だから自分たちと同じ世代の人が看護をしてくれるということが患者にとってはものすごくうれしい、そのように80を過ぎても働ける職場がある。そのように何かもう少し今の日本の社会、老人化していく社会の中で、定年後の雇用の問題について考えると、もう少し視点を変えて考えてもいいのではないかというのが私たちの経験則が教えるところです。
倉重:なるほど。やはり60歳を過ぎた後、嫌々、あるいは義務感として生活のため仕方なく働くには10年間となると少し長過ぎますよね。
森田:むしろ労働者にとって気の毒ではないか、賃金もらうために嫌々働くって、これつらいよね、というのが僕ら老人の嘆きです。
倉重:でも先生のお友達などをご覧になっていて、この60、70を過ぎて、楽しく働いている人とそうでない人がいると思いますが、先生から見てどのような違いがあると感じられますか。
森田:やはり大企業の経営者の経験を積んだ人たちは、それなりの人生の過ごし方があると思いますが、一般的なサラリーマンで65歳で終えてしまった人たち、それからもう20年近くたっている中で、結局は体力・気力・知力もみんな落ちています。しかし個人差があって、もっと活用してよいのではないか、どうして若い人たちが老人を支えているなどということを言わせているのかなということをやはり思います。
倉重:と言いますと?
森田:つまり働ける能力のある人というのは、やはり知力・気力・体力と3つが必要だと思いますが、60歳を過ぎると個体差が非常にはっきり出てきます。
倉重:かなり出てきますね。70を超えたらなおさらでしょうね。
森田:だからそうなると、やはりセレクトしていかざるを得ないのではないか。それは個人の場合もそうですし、組織から見てもそうです。それを法律で一律に縛るなどと考えるから、弱者救済もいいけれど、それは双方にとって負担ではないかという感覚を持ちますね。
倉重:その60以降を楽しいシニアライフというものを送る上では先生は若いころ、40代、50代のころから意識されてきたことがありますか?
森田:やはり趣味を持たなければ駄目だと思います。仕事は命がけでやると短命に終わりかねない、趣味はどんなに死力を尽くしても、これは自分が好きでやっているのだから、その趣味で死ぬことはないということです。
倉重:なるほど。幾ら何時間やっても、睡眠時間を削ってやっても好きでやっていることだと。
森田:どんなにやってもストレスになることはないし、だから趣味を持って、それは何でもいいのではないか、私は人に言うだけでなく、自分でやろうというようにしています。
(後編に続く)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。