京都で一番の人気寺院、清水寺へのお勧めの参詣路とは
まず最寄り駅は京阪電車の清水五条駅となる。最短ルートをとるなら、地上に出ると五条通を東へ直進すると、そのまま五条坂となり、清水寺への参道にもなっている。門前まで約1.5キロの道のりだ。
ただせっかく行くなら、昔ながらの清水道を歩くのも面白い。五条通北側を東に歩いて目指してほしいのは大黒町(だいこくまち)通だ。ホテル秀峰閣を過ぎて次の道を左手(北側)に曲がる。少し進むと町名が大黒町(だいこくちょう)となり、交差点の角には大黒湯の看板も見えてくる。この裏側にあるのが人気のあじき路地。メディアでもよく紹介される京都の人気路地のひとつ。そこを過ぎていくと、この「大黒」の由来となった大黒天を祀る寿延寺(じゅえんじ)が左手に見えてくる。看板、駒札などがないので注意したい。
寿延寺は日蓮宗の寺院で、創建は江戸初期。奥まった路地を進むと、庶民的な洗い地蔵さんが見えてくる。昔ながらのポンプで水を汲み、たわしで洗ってお参りするというユニークな形式。そして本堂には伝教大師作の大黒天や鬼子母神も祀られている。
寿延寺を後にすると、すぐに松原通に出る。右手(東側)に曲がるとあとは一本道で清水寺まで歩いていける。この道は旧五条通でもあり、清水寺への古くからの参詣路。途中に六道の辻の石碑があり、傍らに西福寺という弘法大師空海が刻んだ子育て地蔵を祀る寺院もあり、その向かい側には幽霊子育て飴も売られている。
ここがあの世とこの世の境目の六道の辻と呼ばれるのは、この道が京都三大葬送地である鳥辺野へ向かう道でもあったためだ。したがって、すぐに左手にみえてくる六道珍皇寺には、お盆前の8月7日~10日に「六道まいり」といって、約10万人の人が参拝し、お盆を家で過ごすご先祖を迎えにくる行事が今も脈々と続いている。
東大路通を過ぎると清水道の視界が広がる。電線の地中化が済んでおり、景色が格段に見やすくなるのだ。
ほどなく清水寺の駐車場が現れ、ここで五条坂と合流する。さらに産寧坂もほぼ同じ場所に繋がっている。ここから混雑必死の一本道で、仁王門前までずらりと土産店が並ぶ風景が続く。
清水寺であまり知られていないスポットに、善光寺堂の首振地蔵がある。願いを叶えたい方向へ首を回して祈願するのが定番だ。想いを寄せる人がいるなら、その方向に回して祈願する人も多い。ちなみにお地蔵さんは正面を向いている場合、南の方向を向いていることになる。したがって、例えば東京に恋人がいる人は、向かって右(つまり東)に90度回して、祈るというやり方をとる。
そもそもお地蔵さんに触れられること、さらには首が360度回るのが衝撃すぎて、案内をしたら皆さんに驚かれる。そして誰もが心情として回してみたくなるものだ。実は2代目で、初代のものは、みんなが回し過ぎて、ついにすり減って回りにくくなり、引退して格子戸の中に鎮座されている。
しかし、このお地蔵さん、もとは鳥羽八という幇間(ほうかん:花街でお客様と芸舞妓の間を取り持つ人)だったのだ。鳥羽八は花街で仕事をしていたゆえに、周囲に芸舞妓に入れ込みすぎて、借金する人が多かった。人の好い鳥羽八は、そういった人々の借金の肩代わりをしてしまい、ついには自身のお金が回らなくなって、それを苦にして命を絶ったという。
この話を聞いた花街の芸舞妓さんや関係者が憐れんで、その菩提を弔うために、彼の姿を模して奉納したのがこのお地蔵さん。だから前垂れをとると、扇子を持っていており、ちょんまげもしている鳥羽八の姿をしている。以下の写真はたまたま昔撮った、前垂れのない首振地蔵。扇子を片手にしたまさに鳥羽八の姿をしていた。
実際はお地蔵さんではなくても、人々の願い(当時は借金)を自分の身を顧みずに叶えた鳥羽八の像(首振地蔵)、清水寺の入口あるので忘れずに参拝したい。