E-1初戦で中国とドロー。韓国代表が「追い込まれている」理由
中国に引き分けて「しまった」韓国
9日、「EAFA E-1 サッカー選手権 2017決勝大会」の初戦・中国戦に臨んだ韓国男子サッカー代表。ここで2-2のドローを演じてしまった。
「前半がはじまってすぐ失点し、選手は集中し直した。その後、キープ力で上回った。前半のチャンスを活かせなかったのが残念」
シン・テヨン監督は試合後、力なくこう語った。
試合前から、韓国は”ガチモード”だった。
シン・テヨン監督は「2連覇できるのは我々だけ。狙っていきたい」(7日の共同記者会見にて)、「中国戦は体格の大きな選手と戦うゲーム。ワールドカップの前哨戦として捉えたい」(8日、試合前日に)と意気込みを語っていた。
東京に取材に訪れている記者団からも、今回久々に来日したキム・ジンス(元アルビレックス新潟/全北)にこんな質問が飛んだ。「優勝しないと評価されない。こういう声もありますが」。キムはこう言い返した。「優勝すればいいんでしょう」。
日本代表のハリルホジッチ監督は大会前に「この中から”A代表”に入ってくる選手が出てくれば」(メンバー発表会見時)と言った。中国代表のマルチェロ・リッピ監督は「今大会はテスト的な要素がある」(7日の共同会見)と言い、北朝鮮代表のヨルン・アンデルセン監督は「優勝候補ではないということは理解している」(同)と。韓国の雰囲気が、大会参加中の他国と少し違うのは確かだ。
韓国には今大会、「そうあらねばならない理由」がある。
大会最終日、16日には日本と対戦する。同国についてのプレビューとしても、チーム近況の紹介を。
チームの現在位置は「はじまったばかり」
今大会、韓国は日本と同じく国内組を主体とした選手構成で臨んでいる。そのなかでも目玉といえる、Kリーグ王者全北現代モータースの主軸MFイ・ジェソンは8日の練習後、こう口にした。
「ワールドカップに向けたチームは11月からスタートしたと考えている。始まったばかりの段階で、しっかりと力を発揮したい」
ロシアワールドカップ本大会まで半年となっているのに「ここから」だと。
今年6月15日に前監督ウリエ・シュティーリケ監督(ドイツ)を解任。7月4日にワールドカップ最終予選2試合を残した段階でシン・テヨン監督が就任した。
「最初の2試合はリスクを避け、突破を考えざるを得なかった」(11月14日の国際Aマッチ・セルビア戦後)。10月の国際Aマッチウィークでは春先にKリーグクラブが選手の早期招集に応じてくれたことを考慮し、シーズン中の国内組招集を回避。欧州組のみでの代表を組み、ロシアとモロッコに惨敗を喫した。
新監督の下で11月にようやくフルメンバーで代表を組み、心理的にも極端なプレッシャーのかからない状況で試合に臨んだ。結果、10日のコロンビア戦(@水原)に勝利。ここでシン・テヨン監督自身も「ワールドカップに向けて、今日がスタート」と宣言したのだ。
いっぽうでそこに至るまでの”ひどい事情”を決して無視できない。2015年1月にアジアカップで27年ぶりに決勝進出を果たしたチーム(開催国オーストラリアに1-2で敗戦)が、批判に晒されはじめたのは、2016年10月からだった。
同月6日のワールドカップ最終予選のカタール戦(ホーム)で3-2の勝利を挙げたが、当時のウリ・シュティーリケ監督が「失点は選手のせい」とコメント。さらに5日後の11日のイラン戦(アウエー)が0-1の結果で終わると、同監督の失言が大きく取り上げられた。
「我々にはセバスチャン・ソリア(ウルグアイから帰化したカタール代表)のようなストライカーがいない」。他国選手を引き合いに出し、選手の技量不足、と監督が言い切ってしまったのだ。
中国との因縁 勝たねばならない相手
2017年に入ると、より空気が悪くなっていく。
きっかけは他でもない、現在開催中のE-1選手権で9日に引き分けた中国との対戦からだった。3月23日のワールドカップ予選、アウェーで0―1の敗戦を喫した。韓国サッカー史上に残る敗戦だった。
なにせそこまでの通算対戦成績は韓国の18勝12分1敗。圧倒的な差をつけてきた相手に敗れたのだ。この時、中国が赤のユニフォーム、韓国がアウェーの白を着用したため、テレビ中継を見ていたファンがネット掲示板に「どっちが韓国だったんですか?」と書き込んだりもした。
「中国よりも国は小さくとも、サッカーでは圧倒する」という点は韓国サッカーにとってのプライドの一つでもあった。対戦の度に韓国メディアは中国の「恐韓症」という言葉を用い、相手を挑発してきた。 中韓はこの後、9月1日にソウルワールドカップスタジアムで対戦。韓国が3-2で辛勝したが2失点を喫したことに対して批判が噴出した。
ちなみに韓国の同国相手の初の敗戦は、7年前のこの大会だった。2010年2月10日、同じく東京スタジアムで0―3の敗戦。02年ワールドカップの守護神、イ・ウンジェがゴールマウスに立っていた時代だった。その他近年では、98年フランスワールドカップ直前の親善試合で対戦し、当時エースだったファン・ソンホンが相手ファウルにより負傷を負い、本大会を棒に振るなど少なからぬ因縁のある対決だった。
ヒディンク問題、そして協会会長謝罪
その後、シュティーリケは6月13日のワールドカップ最終予選カタール戦(アウェー)に2-3敗れた後に解任。前述の通り、シン・テヨン監督がなんとか残り2試合をスコアレスドローで切り抜け、本大会出場を決めた。
しかし、その後も火種は燻り続け、そして再度爆発した。
9月上旬頃から、「ヒディンクが韓国代表監督再就任に関心を持っている」という話がメディアで報じられるようになった。大韓サッカー協会のキム・ホゴン副会長は「根拠の無い話。シン・テヨン監督が仕事をしているなかで、不愉快」とこれを一蹴した。
しかし後日、これが「携帯メッセージ(カカオトーク)の重要性認知不足」だったことが発覚する。ヨーロッパにいるヒディング財団の韓国人担当者が、確かに今年6月にキム副会長あてに「ヒディンクが韓国代表監督職に興味を持っている」と記したメッセージの送信記録を有していたことが発覚。キム副会長は「当時の協会内の役職では、監督選任の権限はなかった」と主張した。
代表の不振に、ヒディンクスキャンダル。これに追い打ちをかけるように、大韓サッカー協会上層幹部の法人カードの不正使用も発覚した。
これに対し、今年3月の朴槿恵大統領弾劾時に原動力となった市民運動よろしく、「サッカーを愛する国民」なる小規模の市民団体が立ち上がった。20人の小規模でソウル市内にて「ヒディングを迎えろ」とデモ活動を展開。
さらに10月15日には韓国代表の欧州遠征帰国を見計らい、仁川国際空港に集合。抗議行動を繰り広げるや、予定されていたシン監督の会見が場所変更になるハプニングもあった。小さな抗議行動だったが、これがメディアで報じられるや火種が一気に大きくなっていった。
10月19日、ついに大韓サッカー協会チョン・モンギュ会長の謝罪会見という異例の事態へと至る。ソウル市内で同会長が「協会人事と組織改編に取り組む」と背中を90度に曲げて謝罪した。
大韓サッカー協会のチョン・モンギュ会長はかつて同協会会長を努め、FIFA元副会長としても力を発揮したチョン・モンジュン氏のいとこに当たる。チョン・モンジュン氏と比べ、「相手の話はよく聞くが、積極的なアクションが少ないために『静観しすぎ』と見られている」(韓国スポーツ紙サッカー担当記者)。
この後、改革の第一歩として大韓サッカー協会はホン・ミョンボ氏を専務理事、パク・チソン氏をユース戦略本部長に、また94年、98年フランスワールドカップ代表のDFチェ・ヨンイル氏を副会長に据えるなど、人事改変を発表した。
12月1日のファイナルドローでは、日本と最後の最後で運命が分かれ、スウェーデン・メキシコ・ドイツと対戦することになった。今回取材に来ている韓国記者からも「結果について、覚悟はできている」といった声や「日本の組に入っていたら、すでに『3連勝』といった見出しが飛び交っていただろう」といった声を聞く。シン・テヨン監督は「ドイツとの対戦が3戦目である点は幸い(すでにグループリーグ突破を決めている可能性がある)」とコメントしている。
そういった先の話よりも、まず当座の「火消し」あるいは「信頼回復」が重要。今回の中国戦のドローで再び冷ややかな目を向けられることは必至だ。
要は中国に勝てない、ということは「いかに韓国サッカーが地盤沈下している」かを示す分かりやすい指標なのだ。
11月のコロンビア戦での勝利で一気に雰囲気が好転したが、この「貯金」を使い果たしてしまいかねない結果だった。
欧州組がいない、メンバー構成がどうこう、という問題にはこの際、構ってはいられない。続く12日の北朝鮮戦、16日の日本戦はシン・テヨン監督率いるチームにとって、崖っぷちの戦いになる。