名古屋入管事件、ウィシュマさん1周忌で支援者が「歌」にのせた思いと事実とは
名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容中だったスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなってから、6日で丸1年が経った。
ウィシュマさんの遺骨が安置されている愛知県愛西市の明通寺で1周忌法要が開かれ、遺族や支援者らがあらためて彼女の死を悼み、入管を巡る問題の解決を訴えた。
ウィシュマさんの手紙の言葉を歌詞に
ウィシュマさんが亡くなる直前まで入管で面会を重ね、手紙のやり取りもしていた愛知県津島市の眞野明美さんは、シンガーソングライターでもある。
1周忌に合わせて、眞野さんはウィシュマさんの手紙を基にオリジナルの歌を作曲。寺の本堂で披露した。以下がそのときの動画と歌詞だ。
Wishmaのねがい−KARIHOMEN
やがて 私が 外に出たら
大好きな あなたのために
スリランカ 料理 作ります
外に 出られる日を 数えています
あなたが 教えて くれたように
体を大切に
※仮放免に なったら 一緒に じゃが芋 植えましょう
たくさん たくさん じゃが芋が 欲しいから
あなたが くれた シンハラ語の 手紙
がんばって 書いてあって 嬉しく なりました
着物を 着てみたい 2人で着ましょう
髪に 花を飾って 写真をとりましょう
※繰り返し
生きてゆく時 いろんな人に出あう
話したり 遊んだり 問題もおこります
友達が 敵になったり 敵だった 人が
友達に なったりします この人生の 道は
人間に生まれて来て よかった
許すこと 助けることが できるから
過ちを 直したり 悪いことなど 忘れて
みんな がんばって 欲しいから 「何度でも乾杯!」
※繰り返し
* * *
「仮放免」とは、入管に収容されていた外国人が一時的に身体の拘束を解かれ、外部の引受先の元で過ごすことだ。
ウィシュマさんは眞野さんが自宅で引き受けるはずだったが、入管は頑なに仮放免を認めず、その間にウィシュマさんの体調が急激に悪化して死に至ってしまった。
ウィシュマさんは仮放免の日を夢見て、眞野さんにスリランカ料理を教えたり、スリランカ料理でよく使うジャガイモを育てたりしたいと書いていた。
絵心もあったウィシュマさんは、着物を着た女性の絵や、花の絵などを添えて送っていた。
一方、収容前には元交際相手から暴力を受けたり、通帳やカードも奪われたりして、スリランカにいる家族とも連絡が取れない状態だった。
「友達が敵になったり、敵だった人が友達になったり」と書き残した言葉は示唆的だが、つらい経験をしながらも「人間に生まれてきてよかった」と、生きる希望は失わなかった。
眞野さんはそんなウィシュマさんの言葉を歌に紡いだ。最後の「何度でも乾杯!」は、ウィシュマさんが気に入ってくれた眞野さんの昔の歌詞の一部だ。
ウィシュマさんを思い出すたびに泣いてしまうと言っていた眞野さんはこの日、涙を流さずに歌い終えた。「泣いてる場合じゃないからね」と気丈に振る舞っていた。
「死ぬために日本に来るわけじゃない」
眞野さんは今も、名古屋入管から仮放免された外国人を自宅で引き受けている。この日はそんな大柄なウガンダ人やキリバス人が、ギターを抱えた小さな眞野さんを囲んで「KARIHOMEN〜」と合唱した。みんなウィシュマさんのことを我がことのように捉えているから、真剣なのだ。
ウィシュマさんの妹のポールニマさんは1周忌に先立つ4日、名古屋地裁で国を相手に損害賠償訴訟を起こした。事件の真相解明と再発防止を求めてのことだ。
ポールニマさんは「姉が亡くなって1年、こんなに時間が経つのに、真相や責任が明らかにならない」と憤りを見せ、こう訴えた。
「姉の身に起こった悲劇を二度と繰り返してほしくない。私たち外国人は死ぬために日本に来るわけじゃない」