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がんを克服して復帰した日本女子ツアー1年目、イ・ミニョンの初優勝に隠された秘話

金明昱スポーツライター
初優勝したイ・ミニョン(写真:Matt Roberts/Getty Images

人懐っこい性格

腎臓がんという重い病気の宣告を受けてから、それを克服して完全復帰を遂げたとはいえ、ここまで明るくいられるのはなぜだろうか――。

今季、日本女子ツアーの5戦目、ヤマハレディースオープン葛城でツアー初優勝したイ・ミニョン。彼女を見ながら、改めてそう思う。

イ・ミニョンは昨年、日本ツアーのファイナルQTで4位という好成績を収めて、今季レギュラーツアーの出場権を得た。年齢は24歳。韓国ツアーで通算4勝し、韓国でも期待の若手として注目されていた。そんな彼女が一念発起し、日本ツアーを選択した。理由は日本ツアー3年目のペ・ヒギョンに強く誘われたからだった。

「親友のヒギョンから日本ツアーは素晴らしい場所だというところをよく聞いていて、チャレンジしてみようかなと思ったんです」

ほとんどの韓国人女子プロゴルファーが夢に描くのが“米ツアー進出”だ。イ・ミニョンも同様で、元々は米ツアー志望だった。だが、その希望を打ち砕く出来事が起きる。2年前の2015年3月、欧州女子ツアーの「ミッションヒルズ・ワールドレディスチャンピオンシップ」に出場している最中、急な腹痛に見舞われた。

「最初はそれほど気にならなかったのですが、徐々に気絶しそうなほどの痛みに変わりました。試合を途中棄権して、すぐに韓国に帰国しました。病院へ向かうと、医師からは『膀胱炎か、それに似た何かの症状だから、心配することはない』と言われたのですが、まったく痛みが治まらないんです。それで再び精密検査を受けたら、“腎臓がん”と診断されたんです」

この話に一瞬、ためらっていると、彼女はこう切り出すのだった。

「そんな驚かなくてもいいですよ。早期発見で、そこまでたいした手術じゃなかったんです。幸い、盲腸(急性虫垂炎)の手術のような軽いものだったので。それにこうしてゴルフできていますしね!」

そういってケラケラと笑うので拍子抜けしてしまった。この人懐っこい性格が、日本に早く順応できる要因の一つなのかもしれない。

”不屈のゴルファー”と呼ばれ

それでも当時は辛い思いを消し去るには時間がかかった。

「がんであることを告げられた瞬間、涙があふれ出ました。あまりにもショックで、あっけにとられて、怒りも込み上げてきました。家に帰ってからは、両親に『ごめんなさい』と言って、また泣きました」

そのときは死をも覚悟していたという。ゴルフをするために物心両面で支えてくれた両親に、病気をして親不孝をさせてしまったことを彼女は悔やんだ。

ただ、大手術には至らず、早期発見で回復が早かったことが幸いした。彼女は懸命にリハビリに励んだ。“命”を取り戻したことで、より懸命にゴルフに取り組むようになった。1カ月後には韓国ツアーに復帰し、2016年7月の韓国ツアー、クムホタイヤ女子オープンで1年9カ月ぶりに優勝した。劇的な復活劇に韓国メディアは“不屈のゴルファー”という見出しをつけて、大々的に報じた。

「不屈のゴルファー、なんて大げさすぎて笑っちゃいます。そこまで素晴らしい復活劇でもないですよ(笑)。それに日本に慣れていくには、まだまだ課題がたくさんあります。アプローチとパターの感覚が日本のコースだと慣れないので、もっと練習しないといけません。あ、食べ物はすごくおいしい。最近はまっているのはきつねソバです(笑)」

周囲の評は「人が変わった」

そう言ってからイ・ミニョンはまったく別の話に切り替えてきた。

「私、旅行がすごく好きなんです。最近は欧州やアジアなど8カ国くらいは回りました。だから日本に来ても毎週が旅行みたいですごく楽しい。どこでも一人で行っちゃうんです」

言葉が通じない海外では、不安要素のほうが多い。慣れない環境にストレスが溜まり、それがゴルフのプレーに影響が及ぶことは大いにあり得る。だが、彼女からはそうしたストレスがほとんど感じられない。

「本当に人が変わった」

イ・ミニョンを見て、そう言う人が多いという。明るくなったというだけではない。彼女は今、心底ゴルフを楽しんでいる。がんを経験して、日々の生活を普通に送ることの大切さ、ありがたみを知ることで、常に周囲に感謝することを覚えた。そこから一回りも、二回りも大きく成長した。

「私の目標は日本ツアーで活躍されている表純子さんのように長くゴルフを続けることです」

日本ツアー1年目にして手にした初優勝は、決して偶然ではない。絶望を乗り越えた彼女が手にしたのは、必然の勝利だったに違いない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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