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イニエスタがバルサ退団を発表。メッシすら及ばない才能とは?

小宮良之スポーツライター・小説家
スペイン国王杯決勝でゴールを決めたイニエスタ。(写真:ロイター/アフロ)

 2018年4月27日。アンドレス・イニエスタが今シーズン限りでFCバルセロナ(以下バルサ)を退団することを発表した。移籍先はまだ決まっていない。「バルサとは戦わない」。それだけが条件だ。

「僕は自分を絞り出したと思う。バルサのために出し尽くす。それは幸せな日々だった。人生の順番で、そのとき(退団)がやってきたのさ」

 イニエスタは会見でそう振り返っている。

 ラ・リーガ優勝8回、スペイン国王杯優勝6回、チャンピオンズリーグ優勝4回、クラブワールドカップ優勝3回。数々の栄光に浴したが、意外にも個人賞は目立ったものはない。リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドと比べたら、雲泥の差だ。

 その点、イニエスタの偉大さを説明するのは難しい。

 フットボーラー。

 そう評するしかないだろう。フットボールをする。その点で、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドをも凌ぐ、完全無欠のフットボーラーだった――。

イニエスタとは何者だったのか?

 スペインの首都マドリードから南西にあるアルバセテ。その田舎町で、イニエスタは8才にしてフットボーラーとして頭角を現している。まだよちよちとし、ボールのほうが大きく見えたが、いざグラウンドで球体に触れると、異彩を放った。入団テストの日、周りの子どもたちがいくら挑みかかっても、まったくボールを奪えない。

「その子はいいから。ピッチから出しなさい。もう、見る必要はないよ」

 当時、アルバセテのコーチは言い、わずか5分で入団が決定した。

 そして12歳のとき、イニエスタの名前は関係者の間で広まり、名門バルサからスカウトを受け、入団を決意している。もっとも、当初は田舎から都会に引っ越し、本人は環境の変化を受け入れられなかった。家族や友人が恋しく、毎晩のように泣いていたという。

「大袈裟に聞こえるかも知れないけど、ラ・マシア(バルサの下部組織)に入団したときは、人生最悪の日だったと思う。見捨てられ、迷子になったような感じかな。今までずっと両親がそばにいてくれたのに、それがいなくなってしまって。将来のためにって、来るのを決めたのは自分自身だったんだけど、本当に辛い日々だった」

 イニエスタ本人の回顧である。

王になる選手

 生活面は適応するのに時間はかかったが、ピッチでは傑出していた。誰も敵わない。無敵の存在だった。背は小さく、体も細く、顔は青白く、病人のようにすら見えるのに、誰もが翻弄された。

「俺はおまえに引退させられる。しかし、おまえはアンドレスにいつか引導を渡されるだろう。アンドレスは王になる選手だ」

 日本で言えば、まだ中学生だったイニエスタのプレーを目にしたジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督、当時はバルサの選手で後に監督)は、自分の後継者と言われていたシャビ・エルナンデスに予言的にそう伝えたという。グアルディオラも、シャビも、退団は彼らの事情と言えるが、アンドレスがバルサの王位に就いたことは事実である。

 イニエスタはまさに、ピッチにおける静かなる王だ。彼がボールを触ることで、プレーの渦が創り出される。敵を引きつけ、なん手も先を見越し、パスを弾く。それは例えば、パスやドリブルがうまい、というレベルではない。周りの選手を活かし、更にその次の選手を活かすような判断を天才的に選べる。そのおかげで、チーム全員が力を得る。イニエスタ一人で二人分の選手ではない。他の10人全員を2割増しにするような感覚だろう。

ボールが声を出す

「ボールの運命を知っている選手」

 イニエスタのプレーはそう説明されるが、ボールと会話し、どこに行くべきか、を直感的に知り、そこに誘える。まるで漫画の世界のような選手だ。

「伝説となっているチェルシーとの(2008-09シーズン)チャンピオンズリーグ準決勝。終了間際にアンドレスは決勝ゴールを決めている。あのとき、俺はたしかにボールの声を聞いたんだ」

 バルサでチームメイトだったサミュエル・エトーはそう洩らしている。イニエスタに蹴られたボールが喜びの声をあげた。その瞬間、ネットに入るのも見ずに、エトーはゴールを確信し、歓喜に打ち震えたという。

フットボールの極意

 イニエスタは体格的には恵まれていない。また、足が速いわけでも、力があるわけでもなかった。

 それでもプレーを支配することができたのは、空間や時間を自分のものにできたからだ。相手の裏をとれる目と技術を持っており、相手のスピードを、敵の力を容易に奪うことができた。相手の力を利することによって、周りを活かすことで、たちまち優位に立った。

 それこそ、フットボールの極意である。

 イニエスタは、集団戦であるフットボールを進化、発展させた。それが、真のフットボーラーと言われる所以で、その点、メッシも、ロナウドも及ばない。

 たしかに個人賞には恵まれなかった。しかし、本人はそれに何のひがみもやっかみもない。ひたすらチームメイトを祝福する。

 そこに、イニエスタのイニエスタ足所以はある。

世界最高のフットボーラーの人生

「僕は日常で煩わしいことがあっても、ピッチに出てみんなとボールを蹴っていれば、段々と自分がリセットされていく。これは素晴らしい贈り物なんだ」

 かつてイニエスタは自身のフットボール哲学をそう語っている。

「贈り物に対しては、なにかを返さなければならない。その使命感はあるけど、緊張することはないね。なぜなら、多くの試合を積み重ねてきて、自分がわくわくしていなければ、良いプレーはできないと確信しているから。僕はピッチで自分を解き放つだけさ。自分はどこまで行っても自分でしかなくて、フットボールを平常心で生きる、というのしかできない」

 イニエスタは、誰よりもフットボールに愛されていた。

「もし最後があるなら、こんな最後を求めていた。みんなに必要と思ってもらい、惜しまれるような。12歳で家族と離れたときは辛かったけど、それに値するものだったね」

 バルサで過ごした22年間(トップチームは16年)に、最高のフットボーラーであるイニエスタは別れを告げた。会見では記者だけでなく、チームメイトやフロント関係者も同席。気持ちを揺さぶる拍手はなかなか鳴り止まなかった。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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