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セナがポールポジションを獲得! 高校野球秋の陣

楊順行スポーツライター

"セナ"がトップに立った。

「相手が研究してくるのはわかっていました。だからいつもよりフォークを少なめにし、スライダー系を多くした。今年は春も夏も僕で負けていますが、新チームになって"走者を出しても、自分のピッチングができれば抑えられる"と意識が変わりました」

佐藤世那はいう。

神宮大会高校の部は、東北大会1位の仙台育英が、決勝で浦和学院(埼玉・関東大会1位)を4対1で下して優勝を飾った。その原動力となったのが、3試合25回を投げて2失点のエース・佐藤世那だ。

F1の名レーサー、アイルトン・セナ(故人)と、生まれた前年の96年に大ヒットしたテレビドラマ「ロングバケーション」で、木村拓哉の演じた主人公・瀬名秀俊から名づけられた。「めずらしくていい」と、自分でも気に入っている。

1年秋からベンチ入りすると、東北大会では最速144キロをマークしたストレートのほか、2種類のフォークとスライダー、カーブで、この秋は公式戦全16試合に先発し、13完投で7完封。ややアーム式のフォームは、打者からすればボールが見えやすいのだが、 

「九州では見たことがない速さがあり、同じフォームからフォークがあるので、ワンバウンドでも空振りしてしまう」

というのは、準決勝で完封負けした九州学院(熊本・九州1位)の中原力也だ。優勝できたのはとにもかくにも世那の成長、四球から自滅していたのが、いまは2ボールからでもいろんなボールを投げられる……と仙台育英・佐々木順一朗が評価したのには、

「家に帰ってからの時間を有効に使うために、おもにシャドウピッチングをやりました。また試合では、意志のないタマは1球も投げないように魂をこめたつもりです」

という姿勢がある。それが敵将・森士監督に「今大会ナンバーワン」と舌を巻かせた。

"セナ"と"ショウリ"のライバル関係

そして、縁は異なもの。佐藤世は、仙台育英の系列校・秀光中の3年時、Kボールの日本代表として15Uアジア選手権準優勝に貢献しているが、浦和学院のエース・江口奨理(しょうり)はそのときのチームメイトだったのだ。

ストレートは130キロそこそこながら、ナチュラルに動く。そこにチェンジアップ、カーブなどの多彩な変化球をは織り交ぜ、関東大会では2試合完封などで優勝の原動力になった。神宮でも決勝まで、5回コールドの完封含む2試合14回を1失点だ。

ただ1年前からは、想像もできていない。期待されて浦和学院に入学したものの、昨年9月、起きると目が腫れていた。次第に右目に白いもやがかかり、ボールが見えなくなった。視神経の異常だった。運動は制限され、練習の手伝いがせいぜい。黙々とグラウンドの石を拾い、草を刈る日々だ。くじけそうになったとき背中を押してくれたのは、

「ここで折れたら終わりだぞ!」

という森監督や、仲間の声だった。ようやく今年1月、至近距離のキャッチボールから練習を再開し、5メートル、10メートルと徐々に距離を伸ばしていく。7月末、紅白戦で約1年ぶりにマウンドに上がると、練習試合でイニングを積み、信頼を勝ち取っていった。

「スピードはなくても思い切り腕を振り、芯を外して打たせて取るのが持ち味です」

というように、東海大菅生(東京1位)との準決勝では初回、球数を費やした三者三振の立ち上がりがむしろ不満。以後はテンポよく内野ゴロの山を築き、1失点完投だ。

「目のことがあり、なにしろトレーニング不足」(森監督)のため、3連投となる決勝は先発を回避し、救援で1失点だが、

「野球ができていることに感謝したい」

と、来春センバツに向けて体力強化に努める覚悟だ。

おもしろいのが、東海大菅生の二刀流・勝俣翔貴投手。2年生四番・一塁手として出場した夏の西東京大会では、日大三との準決勝でアーチをかけ、早くから好打者として注目されており、持ち前の強肩を生かして「8月末から本格的に投手の練習を始めました」(若林弘泰監督)。それも、西東京大会の決勝で左手薬指を骨折しながらのことで、「もともと体が強いんです」(若林監督)。

すると、最速142キロの速球を駆使して、横浜との練習試合ではノーヒット・ノーランを記録。東京大会でも帝京を下すなどして、来春センバツを確実なものにした。

強打でならす静岡(東海1位)との初戦も、6四死球を出しながら4失点に踏ん張り、三番として6回には右中間に弾丸でぶち込む同点アーチ。あの打球が入っちゃうんですもんね……と、プロ野球経験のある若林監督の度肝を抜き、11奪三振ながら四死球の多さを問われると、

「帝京戦では12四死球でしたから。でも、投げるより打つほうが好き」

と本人は涼しい顔。来春センバツは、3月21日開幕だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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