今年こそ、87歳になる奥西死刑囚を救い出す年に。
1月14日は、私が弁護士登録以来、弁護団に参加している奥西勝死刑囚の87回目の誕生日だ。
昨年5月の不当決定後、体調を崩し、八王子医療刑務所に収容されている。
死刑囚への面会、手紙は日本では不当に制限されているが、弁護人なので、手紙は自由に出せるし、時々面会に訪れている。
今日バースデーカードを書いて、明日には投函する予定だ。
1961年に発生した名張毒ぶどう酒事件で、奥西氏は妻ら5人の女性を毒殺したとして逮捕され、一審無罪となる。
しかし、高裁では虚偽の科学鑑定が出され、逆転死刑判決。最高裁も1972年にこれを支持。
以来、獄中から無実を訴え、裁判のやり直しを求め続けて今日に至っている。高裁で唯一の物証として死刑判決の根拠となったぶどう酒の王冠の歯形が奥西氏の歯形に一致するとの鑑定はすでに虚偽であることが明らかになっている。
さらに、弁護団は、死刑判決で、使用された毒物として特定されていた農薬ニッカリンTが実は使用されていなかったことを科学鑑定で明らかにした。
2005年には、ついに名古屋高裁が「毒物が違う」との科学鑑定等を根拠として再審開始決定を出したが、2006年には異議審(門野博裁判長)が捜査段階の自白を重視し、鑑定結果について非科学的な根拠でその証明力を否定して逆転して再審請求を棄却、最高裁は2010年、異議審の判断に誤りがあるとして再び名古屋高裁に事件を差し戻した。
差戻し後、検察は最高裁での主張を撤回、検察が異議審、差戻審で提起した仮説は、裁判所が選定した鑑定人の鑑定により否定された。
ところが、2012年5月に裁判所は再び再審を認めない、との決定を出した。それは鑑定人も述べていないし、検察も主張していない、独自の仮説を裁判所がたて、独自の推論に基づき、毒物がニッカリンTでないということは明らかとはいえない、からだという。
そもそも、毒物がニッカリンT出ないという合理的疑いがあれば、総合的な証拠の評価により、「疑わしきは被告人の利益に」原則に基づいて判断を下すのが、再審の鉄則であるが、裁判所が独自の可能性を机上の空論で持ち出し、ウルトラC級の可能性を考え出して「だからニッカリンTでないとまでいえない」などとして再審の扉を閉ざすなど、あってはならないことであり、証拠裁判主義にも反しているし、「疑わしきは被告人の利益に」原則に明確に反している。
弁護団は直ちに最高裁に特別抗告をし、昨年12月25日に最高裁に新しい実験結果とともに意見書を提出した。
内容は、あまりに専門的にわたるので割愛するが、2012年5月の差戻裁判所の決定が呈した論拠、および突然持ち出した独自の推論が専門機関の実験の結果、全く間違っていたことを明らかにするものである。
直後の報道(このページ、事件の詳細な記録もまとめられてて嬉しい)はこちらである。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/nabari_case/
裁判所はもうこれ以上、後で否定されるような非科学的な机上の空論を持ち出して、正義を否定するようなことをしないでほしい。
もうたくさん、恥の上塗りである。2004年の再審開始決定から約9年、この不毛な引き伸ばしで奥西氏は今年87歳になる。
正義への執念で生き続けられているが、残された時間がたくさんあるとはだれにも言えない。
もしこのまま再審を開始しなければ、国家が意図的に無実の人を獄死させることになりかねない。
どうしても生きて救い出したいと思う。
二度もとんでもない非科学的判断をした名古屋高裁には、事件をこれ以上差し戻さず、人権の砦であるべき最高裁として公正な判断を急いで出してほしい。
相次ぐ再審無罪の流れで死刑再審だけは司法が頑迷である。司法は死刑判決が否定されれば、司法の権威が根本から否定されると考え、権威を守ろうとしているのかもしれない。しかし、袴田、飯塚など、ほかの死刑再審事件も、科学証拠により死刑判決の誤りが明らかになりつつある。誤った権威をなりふり構わず守ることではなく、誤った判断を勇気をもってただすことこそ、正義の砦である司法の役割だ。
今年は死刑再審が開始される年になると期待したい。
奥西さんの闘いについて、映画『約束』が、2月16日から東京・ユーロスペースを皮切りに全国公開される。
公式ウェブサイト www.yakusoku-nabari.jp
主演は仲代達矢さんで、出演・制作の皆様に心から感謝しています。
是非、皆さんに知っていただいてもっともっと注目してほしい。