甲子園準優勝2回!湖国勢初の甲子園優勝の夢は愛弟子に託す! 近江の名将・多賀監督が3月で退任
湖国の名将が、ついにユニフォームを脱ぐことになった。近江(滋賀)の多賀章仁監督(タイトル写真=65)は、春夏の甲子園へ計23回(春7、夏16)もチームを導き、春夏とも滋賀県勢最高の準優勝を果たした。甲子園での勝利数28(春9、夏19)も、もちろん滋賀の監督としては断トツの数字で、監督歴35年を超える全国屈指のベテラン。年度末の3月で退任し、後任には夏の甲子園準優勝時の主将だった小森博之コーチ(41)が就く予定だが、4月以降も多賀監督は、総監督としてチームを見守る。
「三本の矢」で夏の甲子園準優勝
多賀監督は彦根市の出身で、平安(龍谷大平安=京都)から龍谷大で強打の捕手として活躍。大学卒業後、近江に赴任し、コーチを経て平成元(1989)年、監督に就任すると、投手を中心とした守り重視の野球で甲子園常連校に育て上げた。その「多賀野球」が花開いたのは、平成13(2001)年の夏。本格派右腕の竹内和也(元西武)、カーブが武器の左腕・島脇信也(元オリックス)、横手投げの清水信之介(東海大)と、タイプの違う3投手を巧みに起用し、県勢初の決勝進出という快進撃を見せた。惜しくも準優勝に終わったが、そのミラクルぶりは「三本の矢」と称され、当時としては画期的な投手起用法として全国から注目された。
北村、林、そして山田らのスターを輩出
その後しばらく、甲子園での上位進出はならなかったが、平成30(2018)年に4人の多彩な投手と、強打の4番・北村恵吾(ヤクルト)を擁し、初戦で智弁和歌山を破るなど8強へ進出。金足農(秋田)の逆転サヨナラ2ランスクイズでは、林優樹(楽天)と有馬諒(ENEOS)の2年生バッテリーがグラウンドに崩れ落ちた。夏の100回大会を象徴し、高校球史に残るシーンとしてファンの脳裏に焼き付いているはずだ。さらに令和3(2021)年夏から翌年春夏まで、山田陽翔(西武)の投打にわたる活躍で、3大会連続4強入り。特に令和4(2022)年のセンバツは補欠校からの代替出場で準優勝に輝き、山田は一躍、甲子園のスーパースターになった。
最も印象に残るのはやはり山田
「最も印象に残っている選手は?」と尋ねると、多賀監督はしばらく考えて「やはり山田」と答えた。多賀監督のもとからは、12人のプロ野球選手が誕生している。阪神の代走の切り札・植田海(28)やDeNAの速球派右腕・京山将弥(26)、中日の若手内野手・龍空(本名・土田龍空=22)ら、一軍で活躍する選手も少なくない。
それでもやはり山田のインパクトは絶大だったようで、甲子園11勝という記録もさることながら、山田の感動的なパフォーマンスの連続に、還暦を過ぎた指揮官が、何度も感涙にむせんでいたシーンを思い出す。先日もあいさつに訪れ「着実に力がついている」と、たくましくなった山田を見て思ったそうだ。山田も恩師と再会して、プロ3年目での飛躍を誓っているに違いない。
新監督には「殻を破って」と期待
年末に監督退任のニュースが流れたが、現役選手と保護者、中学野球関係者には、秋の段階で連絡を入れていた。心残りは、あと2勝に迫っていた自身の甲子園30勝が達成できなかったこと。山田が卒業後の一昨年夏、昨春と初戦で敗退したのが悔やまれる。現在の1年生には、最速147キロを投げる上田健介や強打の箕浦太士ら逸材が揃い、愛弟子の小森新監督にその思いを託すことになった。「(近江は多賀という)イメージが大きく、コーチとして気を遣っていたと思うが、殻を破ってほしい」と、思い切った采配に期待する。秋の1年生大会では、すでに指揮も執っていて、選手たちにも違和感はないだろう。そしてこの師弟には、忘れられない試合がある。
9回に大逆転された25年前の忘れられない試合
小森新監督が正捕手で主将だった2年生の秋。今から25年前のことになる。近畿大会に出場した近江は、のちにオリックスやヤクルトで活躍する1年生エースの坂口智隆を攻めて、神戸国際大付(兵庫)から8回までに2点をリードする。勝てばセンバツという9回に波乱があり、好投していた島脇を救援した竹内が、満塁から併殺を焦って本塁へ悪送球。一挙6点を失って、3-7で敗れた。
「あとは捕手だけだ」と周囲から言われ、捕手出身の多賀監督もそれを痛感した。春には有望な捕手が入部予定だったこともあり、「(主将と捕手)どちらか外そうか」と打診すると、小森新監督は「どちらもやらせてください」と意を決して譲らなかった。その後は多賀監督の猛練習に耐え、「三本の矢」を束ねて、翌夏の甲子園準優勝につながったという次第。この試合が、小森新監督の行く末を決めたと言っていいだろう。
新体制で「滋賀県勢甲子園初優勝」を
連絡を入れた日も、多賀監督はグラウンドに出ていた。「コーチと違って監督は大変。結果が問われる。これだけのチームになってしまったので」と、自身が積み上げた実績が、新監督の重荷になることを懸念している。とはいえ、「あまりかかわってもやりにくいだろうし」と愛弟子を思いやり、4月以降の指導者としての立ち位置は思案中のようだ。小森新監督の2学年上で、多賀監督を支える武田弘和部長(43)だけでなく、30代の2人の顧問もすでに指導陣に加わり、体制は大きく変わる。それでも思いは不変。多賀監督が成しえなかった「滋賀県勢初の甲子園優勝」は、愛弟子がしっかりと受け継ぐ。