泉ピン子「夫は私のファン」隠し子騒動乗り越えた愛のカタチ
泉ピン子さんと言えば、歯に衣着せぬ発言と強烈な個性で有名。女優としては、30年続いたTBS系国民的ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』に出演し、NHK連続テレビ小説『おしん』では最高視聴率62.9%という驚異的な数字を記録しています。そんなピン子さんが、初めての朗読劇『泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」』に挑戦することに。演じる主人公は、70代の女性。派手で毒舌でわがまま、夫はおとなしくて妻にベタ惚れだったのに、愛人と隠し子がいたことが発覚する…という、ピン子さんの人生とリンクする内容となっています。これまでの人生、今のテレビに思うことなど、じっくりお聞きしました。
—今回の役、受けた理由は?
夫にその昔(1995年)、同じこと(愛人・隠し子騒動が発覚)されたからね。もし今回この話を断って、「夫がしたことを、70歳を過ぎてまだ気にしているのか」と思われるのも嫌じゃない。
原作者の内館牧子さんは、私が、自分の過去が本とリンクしていることをあけすけに話すのを「申し訳ない」と言うんだけど、「いいんですよ。そんなこと気にしていたら受けないです。それよりも、この役を誰かに取られる方が嫌だから」と言ったら喜んでくれました。この役をやるのは私しかいないと思う。
失敗だったなと思うのは、(愛人・隠し子騒動の)記者会見で大泣きしたこと。“シナリオ”を作ったのは橋田壽賀子先生。「ご主人からもらったラブレターを会見に持っていって、大泣きしなさい。そしたら女性が同情するから」と言われたけど、嘘よ!真逆!反感買って散々だったわよ。
私は、騒動の影響で円形脱毛症になって38kgまで痩せて。夫が心配して「うちで寝ていてもダメだから、どこか美味しいものでも食べに行こう」と明るく言ってくれたけど、誰のおかげで外に出られなくなっているのよ!って内心思いましたよ。
しかも今回、この原作本を読んでの感想が「おもしろい本だね」だって。なんて脳天気!「これはお前のことだろう!」と思いましたね。自分がしたことを忘れているのか、本当に明るい人。
—でも、離婚はしませんでしたね。
夫から「離婚はしたくない」と言われましたから。相手の女性は、子供ができたことを夫になかなか言わなかったらしいんだけど、言わなくたって、医者のくせに一緒にいて気がつかなかったのかってね。
結局、相手の女性への慰謝料から失業手当まで、全額私が払いました。
—失業手当?慰謝料はピン子さんがもらう方では?
失業手当は、出産・育児で仕事を休むことになるからお金が必要だ、ということで夫に請求があったんです。慰謝料は…夫も悪いんだし、私も“泉ピン子”だからね。負けるのが嫌だったのよ。夫を追い出して、向こうの女性のところに行かれたりして、「ピン子捨てられた」とか「愛人を選んだ」と言われるのも嫌だったし。
でもね、「死後離婚」ということができるらしいので、夫が死んだ後に離婚することは考えています。
—「死後離婚」とはどういうことですか?
自宅は私名義なんだけど、その他も含めて、夫が死んだ後に私のモノがよく分からない夫の関係者に行くのが嫌だから、そうならないための手続き。(※編集部注:配偶者の死後、配偶者側の親族と法的関係を終了させたい場合、姻族関係終了の手続きを取ること)
私が先だったらしょうがないけどね。その場合は「信託」というシステムがあるらしいのよ。私が死んだら自分の選んだ人にあげられるの。でも、夫が住むところがなくなるのはかわいそうだから、最後まで夫を住まわせることが条件。お金がある程度ないとダメだけどね。託す人を誰にするかは考え中!うちはうちのやり方があるので、私と夫がいいならそれでいいんです。
私が先に死んだ場合処分に困るものは、だいぶ整理しました。特に、私が頑張った証は、遺された人は捨てるに捨てられないでしょ。だから、菊田一夫演劇賞・橋田壽賀子賞・日本アカデミー賞…賞関連は全部捨てちゃった。読売演劇大賞はまだもらってないから狙ってるけどね。
—「死後離婚」を考えながらも今、離婚しない理由は?
彼は、私のよき理解者だからです。仕事のことについても「やらない方がいい」とか一切言わない。何でも必ず観に来るし、私を褒める人がいたらとても喜ぶの。「周りの人が、さよちゃん(ピン子の本名)のこと褒めてたんだ。だから僕は、その人たちに飴でもお菓子でも配りたかった」って。
彼は、何があっても絶対私の味方だね。今回の舞台も来ますよ。自分がいる病院に「ポスター貼る」って言ってたから、私のファンね。だから、他の女性のところに行ったのは、私が仕事を優先して寂しい思いをさせてきたせいでもあるんです。夫と仕事、どっちを選ぶかという時に、仕事を選んできましたから。
夫は、私が入院した時の主治医なんです。「結婚したい」と言われた時に、「私じゃない方がいい」とハッキリ言いました。「家に帰っても電気はついてないし、冷暖房も入ってない。冷たいビールも出ないよ」と言ったんですが、それでも「結婚してほしい」と押されたんです。
夫婦で行きたいところを聞かれれば、私は「船で世界一周したい」、夫は「博多の屋台でとんこつラーメンを食べたい」という感じだけど、生まれ変わっても私と結婚したいと言うのよ。そんな人です。
—夫婦としての今後は?
ボケて迷惑かけてやりたいわね。夫は「ボケたもの勝ち」だっていうから、今まで散々迷惑かけられた分、最後くらい迷惑かけたいわね。でもボケたくないし、あいつより先に死にたくないとも思う。夫は「自分が先に死ぬ」と言ってるけど…これは、夫婦の最後の勝負だね。
—これからやりたい役とかありますか?
そういうことは、昔から答えたことない。なぜかというと、私たちは待つ仕事だから。相手が決めて「どうですか」と言われるものなので。いくらアピールしても来なかったらアウトだし、待つ仕事なんですよ。今回の『すぐ死ぬんだから』は私にピッタリでしょ。
—ところで、ピン子さんの名前は雑誌でもよく目にしますね。
昔、雑誌の人に「泉ピン子・宮沢りえ・松田聖子を書けば売れるんです」と言われたことがあります。売れようが売れまいが私には関係ないし、関わっていられないけど、私は嘘がないのよ。「怖い」とかよく書かれたけど、本当のことを言ってきたからじゃない?
昔、大学生の若い女優に「上の番手をやるなら現場か大学か、どっちか選びなさい」と注意したら、「うるさい」となって、そこから雑誌に面白おかしく書かれるようになったのよね。
撮影現場は、子供でも大人でもスタートラインに立ったら同じで、年は関係ない。昔の役者さんは厳しかったけど、私は「へた子」と呼ばれながらもそれで育ててもらいましたから。
—今のテレビをどう思いますか?
“カラー”がなくなっちゃった。局ごとの個性がない。昔は、日本テレビはこう、TBSはこう、と見ればそれぞれ分かったのに、今は夜8時台を見ていても、同じ出演者で似たような番組ばっかり。
私の仕事もなくなりましたけど、自負しているのは、一番お金の使えた時代にテレビをやってきたこと。橋田壽賀子先生だけで1000本以上の作品に出ているし、ほかの番組を入れたらもっと多いです。今、BSの2時間ドラマを見ると私が出演した作品ばかりよく放送していますよ。そのくらいおもしろかったのね、と思っていますけど。
ドラマは今でも全部見てます。地上波はもちろん、BS、Netflix、ディズニープラス、U-NEXT、WOWOW、スターチャンネル、ケーブルは全部入ってます。ニュースも朝から全部見てます。スポーツもドキュメンタリーも見ます。見てないものはないから、何でも聞いて。テレビは最近誰かが死んでもあまり放送しないけど、映画は遺作になるから出ておきたいわね(笑)。
もう私に仕事は来ないかもしれないけど、ギャラは安くするから、ババア役があったらよろしくお願いします。『すぐ死ぬんだから』は命がけでやりますので、今のうちに見ておいてほしい、生存確認の意味でも!
【インタビュー後記】
とにかくパワフルでした。話の流れで途中、私の人生相談のようになってしまった場面もありましたが、とても優しく大きく受け止めてくれて、インタビュー終了後には、アドバイスをくださいました。仕事については厳しいですが、自分のやるべきことを十二分にしようとされる方で、取材者には「手ぶらでは帰さない」とばかりに、満足しているか、こまめに確認してくれたりもします。今のテレビに対して言いたいこともある中、テレビへの愛情も優しさも伝わってきます。本当にありとあらゆる番組を見ていらっしゃるので、この知識をどこかで披露する機会があればいいなと思います。
■泉ピン子(いずみ・ぴんこ)
1947年9月11日生まれ、東京都(銀座)出身。1965年、18歳で歌謡漫談家としてデビュー。1975年より、日本テレビ系『ウィークエンダー』でリポーターを務め注目される。以降数多くのドラマで女優として活動の幅を広げ、代表作にNHK連続テレビ小説『おしん』、TBS系ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』など。1988年日本アカデミー賞助演女優賞『次郎物語』、2000年菊田一夫演劇賞『渡る世間は鬼ばかり』、2006年橋田賞など多数受賞。朗読劇『泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」』は8/4~14、あうるすぽっと(東京・豊島区立舞台芸術交流センター)にて上演。