<朝ドラ「エール」と史実>「あの娘の気持をいちばんよく理解して…」古関裕而は娘の結婚にどう応えた?
いよいよ最終回を間近に迎えた朝ドラ「エール」。最後の山場のひとつは、一人娘・華の結婚のようです。
かなり創作性の高いエピソードですが、該当する実話がまったくないわけではありません。今回はその解説をしてみましょう。ただし、有名人のこどもとはいえ、あくまで一般人なので、ここでは公刊されている資料にのみもとづいて話を進めます。
■長女は医者と結婚。その縁で聖マリアンナ医大校歌を作曲
最初に確認しておくと、古関裕而・金子夫妻には、3人のこどもがいました。長女の雅子、次女の紀子(みちこ)、そして長男の正裕の各氏です。娘は戦前、息子は戦後に生まれています。ドラマでは、この娘ふたりから華のキャラクターを作っているものと思われます。
もっとも、ロカビリー歌手を連れてくるドラマとちがって、古関の娘たちは堅実な結婚相手を選びました。長女の結婚相手は、聖マリアンナ医科大教授などを務めた、医師の染谷一彦です。その縁で、古関は同大の校歌を作曲しただけでなく、同大の病院で最期を迎えています。
ちなみに、演劇の仕事で多忙になった古関が、胃潰瘍で倒れたのは事実です。1956年2月9日、東宝ミュージカルの第1回公演「恋すれど恋すれど物語」のときのことでした。
その後回復した古関は、東宝の演劇担当重役に迎えられた菊田一夫に全面協力して、つぎつぎに音楽を担当。東宝劇場、芸術座、帝国劇場、新宿コマ・スタジアム、梅田コマ・スタジアム、明治座などを股にかけ、仕事を演劇にシフトしていくのです。
ただし、胃潰瘍のときの入院先は、聖マリアンナ医科大病院ではなく、関東逓信病院でした。
■次女は会社員と結婚。関西電力常務が橋渡し
いっぽうで、次女は見合いで会社員と結婚しました。そのことは、金子が「見合いから恋愛へ」というエッセイで詳しく書いています。
同じエッセイによると、次女は、当時の感覚でいえば晩婚だったそうです。また、大学生のときより非行青少年の更生をめざすBBS運動に加わり、結婚まで続けていたのだとか。華のまじめなキャラクターは、このような事実を踏まえて造形されたのかもしれません。
なお、この結婚について、古関はつぎのような気持ちを漏らしています。
ドラマではどのような反応を示すのか、来週が気になるところです。
■長男はヴィレッジ・シンガーズに所属するも、日本経済新聞社に就職
では、ロカビリー歌手・霧島アキラのモデルは存在しないのでしょうか。もしかすると、長男の正裕氏が少しばかりインスピレーションを与えているかもしれません。というのもかれは、若いころよりピアノを習い、早大在学中にはグループサウンズのヴィレッジ・シンガーズに所属していたからです。
古関が、その音楽的才能にいささか懐疑的だったのも、ドラマと似ているかもしれません。ある座談会の発言を引いてみましょう。
そんな意見もあったからか、正裕氏は大学卒業後、日本経済新聞社に就職し、やはり安定的な道に進みます。そのため、ヴィレッジ・シンガーズが「亜麻色の髪の乙女」をヒットさせ、一躍有名になったときには、もはやメンバーではありませんでした。
このように、古関裕而はふだん優しくとも、音楽にたいする評価は厳しいものがありました。こうした部分が、ドラマにも生かされてくるのかもしれません。