【伊勢市】球速は160キロ プロ野球史上最高の投手 岩渕出身「沢村栄治」ゆかりの地を歩く
MLB初の「1シーズン50本塁打、50盗塁」を達成し、日本中が熱狂したロサンゼルス・ドジャーズの大谷翔平選手。類まれなる才能がアメリカでも絶賛されましたね。同様に今から90年前の1934年、アメリカ本土で一躍有名になった投手がいました。岩渕出身の投手「沢村栄治」(1917~1944年)。彼の功績とゆかりの地を紹介します。
近鉄宇治山田駅前広場
左足を高く伸ばす豪快なフォームを再現した等身大のブロンズ像は2019年、地元の「沢村栄治顕彰会」が近鉄宇治山田駅前広場に設置しました。年表に
昭和9(1934)年 全日本軍に入団し、日米野球に参加。静岡草薙球場で好投
の一文を発見。日米野球大会で「野球の神様」と称されたベーブルースやゲーリックなど名だたる選手を率いるアメリカメジャーリーグ選抜軍を相手に9奪三振の活躍。年齢は17歳でした。球速は約160キロだったそうです。同年、現・読売巨人軍に入団。1937年に24勝4敗、防御率0.81で最多勝・防御率1位になり、プロ野球初の最高殊勲選手(МVP)に選出。5年間の在籍でノーヒットノーラン3回達成などの記録を残し、プロ野球史上最高の投手と言われています。
明倫商店街
続いて、生家跡を目指して昭和レトロな「明倫商店街」へ。看板に「沢村栄治生誕の地(生誕碑徒歩3分)」と書かれています。
同商店街内に同顕彰会が建立した「全力石」が。沢村栄治が残した言葉「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ」が刻まれています。プロ野球という厳しい勝負の世界で奮闘した人の一言は心に響きます。説明板によると、「石に触れ、願いを込めてパワーを感じとり、目指す目標に向けて全力で進んでください」と。筆者も願いを込めて、石に触れました。
同商店街内には、生前の写真なども掲示されています。
生家の写真も見ることができます。
生家跡
生家跡に到着しました。説明板には、「大正6(1917)年2月1日 父賢二 母みち江の長男としてこの地に生まれ育つ」 昭和19(1944)12月2日 27歳の若さで台湾沖にて戦死を遂げる―との記載が。石碑の上に彼の背番号「14」と刻まれた野球ボールが。在籍した巨人軍は彼の功績をたたえて1947年、年間最優秀投手に贈る「沢村賞」を制定し、「背番号14」は永久欠番に。また、1959年には第1回野球殿堂入りを果たしました。戦時中で軍隊に3度招集され、手りゅう弾の投げすぎで肩を壊した沢村栄治。戦争がなかったら、もっと活躍できたのではと思うと無念でなりません。伊勢が生んだ大投手に思いを馳せてみませんか。
- 「沢村栄治ゆかりの地」
- 所在地:近鉄宇治山駅前、明倫商店街周辺