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ヘヴィ・メタル筋肉超神THOR(ソー)、『エッジ・オブ・ヘル/地獄のヘビメタ』とプロレス挑戦【後編】

山崎智之音楽ライター
Thor / photo by Deb Freytag

ヘヴィ・メタル筋肉超神THOR(ソー)日本初インタビュー、全2回の後編。

前編記事では彼のニュー・アルバム『Ride Of The Iron Horse』とボディビルダー時代の逸話を語ってもらったが、今回は伝説の映画『エッジ・オブ・ヘル/地獄のヘビメタ』やプロレスのキャリア、1970年代末イギリスのヘヴィ・メタル・ブーム(NWOBHM)との関わりなどについて訊いてみよう。

Thor『Ride Of The Iron Horse』ジャケット(Cleopatra Records / 現在発売中)
Thor『Ride Of The Iron Horse』ジャケット(Cleopatra Records / 現在発売中)

<アブドーラ・ザ・ブッチャーやドン・レオ・ジョナサンと試合をした>

●1980年代に映画『ゾンビ・ナイトメア』『エッジ・オブ・ヘル/地獄のヘビメタ Rock’n’Roll Nightmarel』(1987)に連続して主演したのは、音楽から映画に軸足を移そうとしたのですか?

いや、ロックを続けながら、活動の幅を広げようとしたんだ。元々映画は好きだったし、『Recruits』(1986)という作品に出演に出て好評だったことで、俳優業への意欲が湧いたんだよ。『ゾンビ・ナイトメア』は脚本家のジョン・ファサーノから役柄にピッタリだって直々に指名されたんだ。バットマン役で有名なアダム・ウェストと共演出来て嬉しかったよ。彼はユーモアのある良い人だった。この映画はティア・カレルの実質デビュー作でもあったんだ。ジョンとはウマが合ったし、またやろうということになった。それが『エッジ・オブ・ヘル/地獄のヘビメタ』だった。こちらでは私が脚本を書いて、よりロック色の濃い内容にしたんだ。ロック・バンド“トライトンズ”がリハーサルしていると、実はその家が地獄の入口だった...とかね。ポートランドの“ハリウッド・シアター”で公開して、満員になった。最近でも再上映されたり、カルト的な人気が根強いんだ。ポートランドでの再上映では私もゲストとして招かれたり、フィンランドやスウェーデンでも上映された。

●『エッジ・オブ・ヘル/地獄のヘビメタ』は魔王ベルゼブブの造形など、かなりチープな部分もありますが、何故それほどの人気を誇っているのでしょうか?

低予算だからこその魅力があるんだ。大金をかけたり最先端のCGを使ったら、輝きを失ってしまうだろうね。“善vs悪”のドラマであるのと同時に、シリアスになり過ぎないエンタテインメント映画だし、音楽もたっぷり聴くことが出来る。映画用に書かれた曲は今では『オンリー・ザ・ストロング』エクスパンデッド・エディションのCDボーナス・トラックとして収録されている。「We Live To Rock」「We Accept The Challenge」はライヴでいつもリクエストされるんだ。すごい盛り上がりになるし、嬉しいね。

●ボディビルディングから転身するプロレスラーも大勢いますが、あなたにもプロレス界から誘いはありましたか?

いや、実際にプロレスをやったことがあるんだ(笑)。1970年代の前半、19歳の頃で、“ミスターUSA”というリングネームだった。ヴァンクーヴァーのプロモーションで、元プロレスラーのサンドー・コヴァックスが“オールスター・レスリング(ASW)”のプロモーターだったんだ。最初は“PNEガーデン”でのプロレス興行のインターヴァルで歌ったり鋼鉄の棒を曲げたりゴム製の湯たんぽを肺活量で破裂させるショーをやっていたけど、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ドン・レオ・ジョナサン、“ブルドッグ”ボブ・ブラウンなどと試合をしたこともあるよ。私は若手だったし、一度も勝ったことがなかったけどね。その時代プロレスは地元のショーだった。ヴァンクーヴァーには“オールスター・レスリング”があって、カルガリーには“スタンピード・レスリング”があった。でも1980年代、WWFの全米進出で、すべてが一変してしまったんだ。サンドーやジン・キニスキーは私に「何をするにしても頑張れよ」と励ましてくれたよ。

●“荒法師”ジン・キニスキーはジャイアント馬場との試合で、日本でもとても有名です。

ジンは団体の象徴的なプロレスラーで、私は試合する機会がなかった。彼はプロモーターでもあったからオフィスに行って、話したりしたよ。

●アブドーラ・ザ・ブッチャーとの試合ではフォークでめった突きされて大流血などしましたか?

いや、普通の試合だった。流血はしなかったよ(苦笑)。彼はアフリカのどこかの出身で、英語は出来ない設定になっていた。でも試合後、シャワー・ルームで「石鹸を取ってくれないか」と完璧な英語で話していたよ!ドン・レオ・ジョナサンとの試合はあまり記憶に残っていないんだ。もう半年前のことだからね。私は若手だったし、一方的にやられたよ。

Thor / courtesy of Cleopatra Records
Thor / courtesy of Cleopatra Records

<音楽そのもののパワーを売りにしている>

●イギリスでヘヴィ・メタルのブーム(NWOBHM)が下火になりつつあった1984年、あなたはイギリスを訪れ、ロンドンの“カムデン・パレス”で映像作品『THOR筋肉ライヴ1984 Live From London』を収録しています。当時のロンドンのメタル・シーンはどんなものでしたか?

“カムデン・パレス”でのライヴ(1984年2月8日)は大勢のお客さんが集まって、すごい盛り上がりだった。ジミー・ペイジやロック・ゴッデスも見に来ていたし、あまりの声援に、3回もアンコールに応えたんだ。イギリスのメディアはTHORがキワモノだと偏見を持っていたけど、ライヴの凄さに衝撃を受けていた。“He came, he saw, he conquered(来た、見た、勝った)”のパロディで“He came, he THOR, he conquered”という見出しを付けたほどだった。ブームが下火という印象は受けなかったよ。私がロンドンに滞在していた頃、ビジネス面を担当していたダグ・スミスはモーターヘッドのマネージャーでもあった。それでギャラの支払日の金曜日にレミーとお茶をしたよ。...ロサンゼルスの“レインボー・バー&グリル”に行くとレミーの銅像があって、不思議な気持ちになるんだ。彼とお茶をしたのが昨日のように思えるのにね。彼はレコーディングしたばかりの新曲を聴かせてくれた。「なあジョン、聴いてくれよ。『キルド・バイ・デス』っていうんだ」とか言ってね。当時、彼はボートに住んでいたのを覚えているよ。私はニューヨークとロンドンのアパートを行ったり来たりしていた。モーターヘッドはギタリストのワーゼルとも友達だったし、“ファスト”エディ・クラークとは『Metal Avenger』(2015)のタイトル曲で共演したんだ。モーターヘッドの弟バンド的存在だったタンクのメンバーとも飲みに行ったよ。懐かしいね。

●『Alliance』(2021)にはレイヴンのジョン・ギャラガーがゲスト参加しましたが、1980年代から交流がありましたか?

レイヴンと一緒にショーをやったことがあるんだ。1985年、カリフォルニア州オレンジ・カウンティの“カントリー・クラブ”だったと思う。『オンリー・ザ・ストロング』を出して、アメリカでやったツアーで、THORとレイヴンのダブル・ヘッドライナー・ショーだったんだ。

●ニール・タービンとの対談では『Unchained』(1984)をフェリックス・パパラルディがプロデュースする予定だったと話していますが、どんな経緯があったのですか?

私はクリームやマウンテンのファンだったし、ぜひフェリックスにプロデュースして欲しかった。それでマネージャーを通して、オファーしてみたんだ。彼は私がニューヨークでやっていたTVCMソングを知っていたし、デモを聴いて、「Lightning Strikes Again」や「Anger」を気に入ってくれた。人間としても波長が合って、一緒にやろうということになったけどスタジオで作業に入る直前、フェリックスは奥さんにピストルで撃たれて、亡くなってしまったんだ。コカインでハイになっていたとも、彼が別の女と出歩いていたとも言われているけど、本当のところは判らない。それで『Unchained』は自分でプロデュースすることになったんだ。

●...TVCMを歌っていたとのことですが、何のコマーシャルをやったのですか?

フェリックスが見たのは、シヴォレーのCMだった。私がトラックの荷台で敵と戦うものだったよ。それともう1本、「Crunch, Crunch, Yum, Yum」という、子供に野菜を食べさせるキャンペーン・ソングを歌ったんだ。私がブロッコリなどのバンドを従えるアニメーションだった。映画『I Am Thor』サウンドトラックCDにボーナス・トラックとして収録されているよ。気恥ずかしくてちょっと躊躇したけど、いずれネットに流出してバレるよりは、自分から明かしてしまうことにしたんだ(笑)。

●フェリックスと知り合った1980年代初頭、ニューヨークのクラブ・シーンに関わっていたそうですが、どのような形で?

クラブ・シーンに関わっていたといっても、ショーに出演していただけだよ。シェイプアップしなければならないし、大量の酒やドラッグには手を出さなかった。元々そういうのは好きではなかった。私にとってはアドレナリンがドラッグだったんだ。1980年代の終わりから1990年代前半、人生の暗い時期があったけど、私はそういったものに逃げなかった。71歳になった今でも生きていて、こうして君と話しているのも、悪いものに手を出さなかったおかげだよ。

●さすがに現在のライヴでは鋼鉄の棒を曲げたり湯たんぽを肺活量で破裂させたりはしていませんが、観客からリクエストが飛んできたりしますか?

今ではショーアップされた部分よりも、音楽そのもののパワーを売りにしているんだ。もちろんコスチュームやハンマーは必需品だけど、音楽を聴いてもらいたいんだ。ショーが終わって、不満を漏らすお客さんはほとんどいないよ。

●2022年、元奥方で1980年代のバック・シンガーだったパンテラさん(ラスティ・ハミルトン)のご自宅に台風で大樹が倒れ込んで、修理のための寄付金を募っていましたが、彼女と連絡は取っていますか?お元気でしょうが?

彼女とは1990年代の終わりに離婚してから、ほとんど連絡を取っていないんだ。でも家が大変なことになったと聞いて、何か出来ることがあったら助けたいと考えた。彼女はノースかサウスカロライナ州に住んでいて、1980年代のドラマーのマイク・ファヴァータとは連絡を取っているかもしれないけど、別々の人生を歩んでいるよ。幸せであることを祈っている。

●今日伺ったあなたの人生はドキュメンタリー映画『I Am Thor』(2015)、その続編『The Return of the Thunderhawk』(2019/アルバム『Hammer Of Justice』とカップリング)でも描かれています。

『I Am Thor』は北米やヨーロッパの映画祭でスタンディングオベーションを受けて、ブルーレイ/DVDも好評なんだ。THORがどこから来て、どこに向かおうとしているかを知ることが出来るよ。私は自分がしてきたことを何も恥じていない。ぜひ日本のファンにも楽しんでもらいたい。

●今後の予定を教えて下さい。

秋頃から『Revenge Of The Crimson Mask』という映画のプロジェクトに着手する。監督はレン・カバシンスキーで、まだロケ地などを探しているところだけど、クールな映画になるよ。それから1915年にスタンレー・カップで優勝したことのあるカナダの伝説のホッケー・チーム、ヴァンクーヴァー・ミリオネアーズの復刻マーチャンダイズの制作にも関わっているんだ。彼らは“BCスポーツ・ホール・オブ・フェイム”に殿堂入りするんで盛り上がっていて、大忙しだよ。もちろんツアーは続けるし、ぜひ日本でプレイしたい。呼んでくれれば、すぐにでも行くよ。

【最新アルバム】
THOR
『Ride Of The Iron Horse』
https://thormusic.bandcamp.com/album/ride-of-the-iron-horse

【公式サイト】
http://thorcentral.net/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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