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米大学「偽情報」研究の主要拠点に「閉鎖」報道、相次ぐ圧力受け

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
偽・誤情報研究を巡る圧力に揺れる米スタンフォード大学(写真:ロイター/アフロ)

米スタンフォード大学の世界的に知られる「偽情報」研究拠点の「閉鎖」報道が波紋を広げている――。

ウェブメディア「プラットフォーマー」は6月13日、同大学の研究プログラム「スタンフォード・インターネット観測所」が、「閉鎖へ」と報道。ワシントン・ポストや米公共メディア「NPR」もこれに続いた。

同プログラムは2019年創設。米ワシントン大学などとの研究グループで、2020年米大統領選などにおける偽・誤情報の実態調査を実施してきた。

だが「選挙不正があった」などの根拠のない主張を繰り返してきたドナルド・トランプ前大統領側近らが、これらの偽・誤情報研究の取り組みに反発。訴訟や議会への召喚、資料提出要求など相次ぐ攻勢をかけていたという。

スタンフォード大学は「閉鎖」報道は否定するが、同プログラムが「新たな体制」となることは認めている。

「インターネット観測所」のワシントン大学などとの研究グループはすでに活動を終了。2024年11月の米大統領選での偽・誤情報研究は行わないという。

●「研究抑制の試み」

選挙とワクチンに関する我々の研究への政治的動機による攻撃には、何のメリットもなく、憲法修正第1条[表現の自由]で保護された研究を抑制しようとする党派的な下院委員長らによる試みは、政府の武器化の典型的な例だ。

「インターネット観測所」の創設以来、中心的存在だった元ディレクターのアレックス・ステイモス氏と、リサーチマネージャーだったレネ・ディレスタ氏は、ワシントン・ポストNPRへの共同声明で、そう述べている。

ステイモス氏は、元フェイスブックの最高セキュリティ責任者(CSO)として、2016年米大統領選へのロシアによる介入にも直面した経験を持つ。同社退任後の2019年6月にスタンフォード大学サイバーポリシーセンターのプログラムとして「インターネット観測所」を創設、プログラムディレクターを務めた。

だが、2023年11月にディレクターを退任。「インターネット観測所」のウェブサイトでは、アフィリエイトとして紹介されている。

ディレスタ氏は2024年6月初めに退任したという。5月29日付で「ソーシャルプラットフォーム上で組織的な不正行為が続く理由」という論文が掲載されているが、筆者のプロフィール欄では、「インターネット観測所」元リサーチマネージャー、とある。

「インターネット観測所」は、同プログラムの母体であるサイバーポリシーセンターの共同ディレクターで、「ソーシャルメディアラボ」という別の研究部門も率いるジェフ・ハンコック教授の下で再編される、と「プラットフォーマー」は報じている。

ステイモス氏とディレスタ氏が言う、「選挙とワクチンに関する我々の研究への政治的動機による攻撃」とは何か。

●トランプ氏側近の「標的」

「表現の自由が再び勝利!」。米共和党下院議員のジム・ジョーダン氏は6月14日、「プラットフォーマー」の報道を受けて、Xにそう投稿した。これに対してXのオーナー、イーロン・マスク氏は「前進だ」と返信している。

ジョーダン氏は米下院司法委員会の委員長。トランプ前大統領の側近として知られる。

そして、「インターネット観測所」などによる偽・誤情報の研究プロジェクトへの攻撃の中心的人物だという。

攻撃の「標的」となったのは、「インターネット観測所」とワシントン大学情報公衆センターが中心となった選挙を巡る偽・誤情報の対策プロジェクト「選挙公正性パートナーシップ」だ。

このほかに米シンクタンク「アトランティック・カウンシル(大西洋評議会)」の研究機関「デジタルフォレンジック・リサーチラボ」、米ネット分析企業「グラフィカ」などが協力をしている。

同プロジェクトは2021年6月、根拠のない「選挙不正」の主張がトランプ氏を中心とする支持グループから広がった2020年米大統領選に絡む2,000万件超のツイッター投稿を分析し、偽・誤情報の拡散状況をまとめている

ニューヨーカーの2023年10月21日の報道によれば、この調査が「政府と連携した保守派に対する検閲」だとする陰謀論が拡散。「選挙公正性パートナーシップ」はトランプ支持者らからの集中的な攻撃を受けるようになる。

さらにそれは議会の要求、という形をとる。

2022年11月の米中間選挙で、共和党は下院の多数派を獲得する。前述のジョーダン氏が下院司法委員長となり、新たに「連邦政府の武器化に関する小委員会」を設置。司法省や連邦捜査局(FBI)などによって、保守派の言論が「標的」にされているとして、包括的な調査を実施するとした。

その一環としてステイモス氏は2023年6月、ジョーダン氏の委員会で8時間に及ぶ証言を行っている。

あわせて委員会から、「インターネット観測所」に対して、電子メールなど関連文書の提出命令を出し、要求に完全に従わなかったとして法的措置についても警告している。提出命令の対象には、学生のものも含まれていたという。

2023年5月には、訴訟起こされている

大統領時代のトランプ氏の上級顧問を務めたスティーブン・ミラー氏率いる保守派NPO「アメリカ・ファースト・リーガル」は、保守派サイト創設者らを原告として、「連邦政府と共謀して言論を検閲」したとして、「インターネット観測所」に加えてステイモス氏、ディレスタ氏のほか、ワシントン大学情報公衆センターのディレクター、ケイト・スターバード准教授、「グラフィカ」、「デジタルフォレンジックラボ」などを訴えている

訴訟では、やはり「インターネット観測所」とワシントン大学情報公衆センターが中心となった新型コロナ関連の偽・誤情報研究の「バイラリティ・プロジェクト」も対象なっている

教育ニュースサイト「インサイド・ハイヤー・エド」によると、スタンフォード大学が被告となった訴訟は、このほかに2023年5月、テキサスの連邦地裁にも起こされている。

●保守派の反撃

研究者らへの圧力は、偽・誤情報対策への、保守派の反撃の一環と位置付けられている。

2020年の新型コロナ禍における米大統領選から2021年1月の米連邦議会議事堂乱入事件、トランプ氏のソーシャルメディアアカウントの停止、という経過の中で、偽・誤情報、陰謀論などの有害コンテンツの氾濫と対策強化が注目を集める。

中でも「選挙不正」などの根拠のない主張は、トランプ氏支持者ら保守派を中心に広がった。

選挙後、「選挙不正」を主張する62件の訴訟が相次いで起こされたが、少数の郵送投票を無効としたペンシルベニア州の1件を除く61件は、2020年のうちに却下か取り下げとなった。

偽・誤情報対策への保守派からの攻勢は続く。2021年には、共和党州知事のフロリダ州で5月、テキサス州で9月に、大手ソーシャルメディアに対して「検閲」を禁じる州法が成立する。

これに対してフェイスブック(メタ)、ツイッター(X)、グーグルなどが加盟する業界団体「ネットチョイス」と「コンピューター&コミュニケーション産業協会(CCIA)」は、2つの州法が「表現の自由」を保障した憲法修正第1条に違反するとして、仮差し止めを申し立てた。

判断は最高裁に持ち込まれている。

※参照:SNSは「新聞」か「電話」か、米最高裁の4時間の議論に広がる「地雷」とは?(03/04/2024 新聞紙学的

また、共和党主導のミズーリ州とルイジアナ州の司法長官が、2022年5月、バイデン政権下のホワイトハウス、FBI、疾病予防管理センター(CDC)、サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CICA)が、ソーシャルメディア企業に「表現の自由の検閲を強制した」として、差し止めを求めて提訴している。

この訴訟でも、「選挙公正性パートナーシップ」と「インターネット観測所」などが国務省などと連携したとして、訴状で言及されている。

これに対して最高裁は2024年3月に口頭弁論を開いたが、多くの判事からこの訴訟への疑問の声が上がったという

政府の新組織も焦点となった。2022年4月、米国土安全保障省が新たに偽情報対策の組織「偽情報ガバナンス委員会」を立ち上げることを巡り、保守派のインフルエンサーらが、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する「真理省」だと批判

リベラル派からも批判の声が上がり、委員会はわずか3週間で閉鎖となる。

※参照:「フェイクニュース対策委」がわずか3週間でとん挫、炎上騒動のわけとは?(07/08/2022 新聞紙学的

プラットフォーム側にも変化が起きる。

偽・誤情報対策に注力していたツイッターを、2022年10月、「表現の自由の絶対主義者」を標榜するイーロン・マスク氏が買収し、大規模リストラの中で偽・誤情報対策部門を解体。

翌11月には連邦議会議事堂乱入事件以来、停止されていたトランプ氏のツイッターアカウントを、680日ぶりに復活させた。

※参照:680日ぶりのトランプ氏Twitter復活、広告主・社員の離反で「イーロン・リスク」の行方は?(11/20/2022 新聞紙学的

さらにマスク氏の主導で、買収前のツイッターによる偽・誤情報対策に関する社内メールなどの文書を数人のジャーナリストらに提供し、その内容をツイッター上で公開する「ツイッター文書」キャンペーンを展開。対策の内幕に注目を集めた。

※参照:「シャドーバン」「トランプ追放」Twitter文書の公開に、元CEOが投げかけた課題とは?(12/16/2022 新聞紙学的

そして、ツイッターの後退が連鎖するように、メタ、ユーチューブでもトランプ氏のアカウント復活、偽・誤情報対策への慎重姿勢が示されるようになる。

※参照:「マスク流」フェイクニュース対策の後退がMeta、YouTubeに広がるわけとは?(08/28/2023 新聞紙学的

そんな中での、スタンフォード大学での「インターネット観測所」の「閉鎖」報道となった。

●現実の脅威としての偽・誤情報

このような研究所の閉鎖は、どのような場合も大きな損失だが、世界的な選挙の年を迎えている現在、それを行うことは全く理解しがたい。

偽・誤情報対策NPO「ファースト・ドラフト」の責任者だったブラウン大学教授、クレア・ウォードル氏は、ワシントン・ポストにそうコメントしている。

「選挙公正性パートナーシップ」のウェブサイトには2024年5月末に、「活動は2022年中間選挙後に終了しました。2024年以降の選挙に関する活動予定はありません」と追記された。

偽・誤情報研究への保守派からの圧力は、財政的なインパクトも伴う。

「プラットフォーマー」などによれば、すでにスタンフォード大学には、訴訟で数百万ドル(数億円)単位のコストがかかっているという。

ワシントン・ポストによれば、ヒューレット財団、ピュー慈善財団からの期限つきの資金提供は終了したという。

ただし「インターネット観測所」が取り組んできた、子どもの安全やその他のオンライン上の危害に関する活動、査読付き学術誌『ジャーナル・オブ・オンライン・トラスト・アンド・セーフティ』の発行、カンファレンスなどの取り組みは、新たな体制でも継続されるという。

スタンフォード大学広報担当者は、こうコメントしているという。

スタンフォード大学は、訴訟や議会の調査など、本学とアカデミア全体に対する、調査の自由と、正当で必要とされる学術研究を委縮させる取り組みに深い懸念を抱いている。

偽・誤情報の氾濫は現実の脅威だ。生成AIの急速な高度化と普及で、その脅威は新たな次元に入りつつある。

オープンAIは2024年5月、中国、ロシア、イランなどの外国勢力が、同社の生成AI「チャットGPT」などを使った、欧米や日本などの世論に影響を与えることを狙う「影響工作(IO)」キャンペーンの実態を、初めて報告書にまとめた。

※参照:「原発処理水」非難、中ロの影響工作にチャットGPT、そのインパクトとは?(05/31/2024 新聞紙学的

欧州連合(EU)では、2024年2月から偽情報対策のプラットフォーム規制法「デジタルサービス法(DSA)」を全面施行し、同年6月の欧州議会選に備えた。罰則には前年のグローバルな売上高の6%という制裁金が科せられる。

またEUでは、生成AIの普及も取り込んだ初の包括的な規制法「AI法」も5月に成立。ディープフェイクスに開示義務を課すなどの規制を盛り込んだ。

日本でも偽・誤情報対策の検討が続く

情報空間の信頼を確保するという議論の起点を、改めて踏まえておきたい。

(※2024年6月17日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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