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ウディ・アレン自伝本が出版中止。「#MeToo」からは誰も逃れられない

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ウディ・アレンの次のプロジェクトは自伝本の出版だったが....(写真:Splash/アフロ)

 ハーベイ・ワインスタインが有罪判決を受けておよそ10日後、今度はウディ・アレンが「#MeToo」時代の現実を思い知らされた。4月7日に予定されていた彼の自伝本の出版を、アシェット・ブック・グループ(HBG)が取りやめたのである。

 グループ傘下のグランド・セントラル・パブリッシングがこの本の出版を発表したのは、今月2日。アレンの息子で、ワインスタインのセクハラ暴露を牽引したジャーナリストのローナン・ファローは、その取材過程をつづるノンフィクション本「Catch and Kill」を、やはりHBG傘下であるリトル・ブラウン・アンド・カンパニーから出版している。

 アレンは、ファローの姉ディラン・ファローが7歳の時、彼女に性的虐待を加えた疑いで、捜査を受けた過去がある。だが、裁判は棄却となり、業界はさっさとそんなことは忘れ、アレンはその後も尊敬されるフィルムメーカーとしてのキャリアを謳歌していった。姉を信じるファローは、父と険悪な関係になり、ワインスタインの取材を始めるよりも前の2016年には、「The Hollywood Reporter」に、アレンをいまだにちやほやするハリウッドを批判するコラムを寄稿している。

 そのように、バイアスがあると思われがちな自分がワインスタインのセクハラ疑惑の取材をすることについては悩み、姉の気持ちを十分聞くこともしたと、ファローは「Catch and Kill」の中で述べている。その本がアメリカで出版されたのは、昨年10月15日。グランド・セントラルがアレンの自伝の出版権を取得したのは、それより前の同年3月だった。つまり、HBG社内では、宿敵同士の本が同時進行していたのである。

 ファローにとっても寝耳に水で、このニュースを聞いた彼は即、ツイッターに怒りの投稿をした。そのメッセージの中で、彼は「僕の本を出版したアシェットが、ほかの会社が断ったウディ・アレンの自伝本の権利を獲得し、僕や社員に隠したまま、『Catch and Kill』の出版作業を続けていたことを報道で知り、非常にがっかりしています。『Catch and Kill』は、ウディ・アレンを含むパワフルな男たちが、性犯罪の責任を問われずに逃げおおせてきた状況を語るものなのですから」と語っている。さらに、アレンが書いた内容が事実であるのか、姉に確認を取ることもしていないのは、出版社としてプロフェッショナルでないとも批判。最後は、「このような会社とはもう仕事をしない」と、関係を断ち切る言葉で締めくくっている。

 これを読んだHBGのトップは、ファローに、同じグループ内でもほかの部署がどんな仕事をしているのかはわからないのだと言い訳をしたそうだが、ファローの心は動かなかった。また、ディラン本人もHBGを強く批判するコメントをツイートしたことから、現地時間5日、HBGのスタッフの間でもアレンの本にボイコット運動が起こる。報道によると、ボイコットでオフィスを出ていったスタッフは70人以上だったそうで、翌日、HBGは、アレンの本の出版中止を発表することになった。ファロー姉弟は、それぞれに、HBGのスタッフに感謝のメッセージをツイート。声を上げているのに誰にも信じてもらえないとずっと感じてきたディランは、「みんなが正しいことのために力を合わせる時、変化は可能になるのだとわかりました」と述べている。

アレンの過去の裁判が棄却になった背景

 2017年秋に始まった「#MeToo」のあおりをアレンが受けるのは、これが初めてではない。「#MeToo」勃発後に公開された「女と男の観覧車」はアメリカで大コケしたし、すでに完成していたその次の「A Rainy Day in New York」の公開は、無期延期になっている。さらに、その後には、「A Rainy Day〜」のアメリカ公開権をもっていたアマゾン・スタジオズは、アレンとの間に結んでいたパートナー契約を反故にした。これに対し、アレンは、「過去の裁判については報道されているものであり、契約の時点でアマゾンも知っていたはず。今さらそれを理由に契約破棄するのは不当」と、6,500万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こした。この訴訟は、昨年末、双方の間で示談がまとまっている。示談の条件は明らかにされていないが、「どちらにとっても決して美味しくない条件」だそうである。

 ところで、「#MeToo」にからんでアレンの名前が出てくると、「彼は裁判で無罪になったのに、一緒にするのはフェアじゃない」というコメントが必ず出るが、あの裁判の流れについても、ファローは「Catch and Kill」の中で説明している。

 ファローが読んだ裁判所の記録によると、アレンは、娘ディランが7歳の時、コネチカットの家で性的虐待を与えた。ディランはその出来事をセラピストに話したのだが、セラピストの雇い主がアレンであったためか、彼女はそのことを誰にも言わなかった。しかし、同じ頃に、ベビーシッターが、アレンの娘に対する不適切な行動を目撃している。警察に通告したのは、担当小児科医だった。

 容疑がかかったと知ったアレンは、ただちに10人以上の私立探偵を雇い、この事件にかかわる刑事や検察の粗探しをさせる。アルコールやギャンブルの問題などを見つけて、逆に警察をバッシングするのが狙いだ。この妨害作戦は成功し、コネチカット州の検事フランク・マコは、アレンに十分有罪の可能性があると感じつつ、起訴を諦めてしまった。マコは、裁判を行うことで被害者ディランにトラウマを与えてしまうことを表向きの理由に挙げたが、当時、彼は同僚に「捜査の妨害にふりまわされてしまった」と語っていたそうである。

 お金をばらまいて自分に対する不利な調査を妨害するやり方は、ワインスタインが使ったのとまさに同じ手だ。ファローも、ワインスタインの取材中、ワインスタインが雇った男たちにつけ回されたり、脅迫されたりしたのである。

 90年代、ワインスタインは、アレンの映画をいくつか製作配給し、一緒にお金を儲けた仲。そんな彼らには、悪い部分でも共通点があったのだ。その片方が罪を問われ、もう片方が逃げられるということは、許されない。「#MeToo」時代は、そんな時代だ。なんでも思い通りになった過去を持つ男たちにも、時の流れを戻すことだけは、どう頑張っても不可能。これからも何人かの男たちが、その厳しい現実を突きつけられていくことだろう。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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