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左フックで12連続KO勝ちを収めた元王者の愛弟子は、公認会計士ボクサー

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
撮影:筆者

 左フックで12連続KO勝ちを収めた元OPBF東洋太平洋・日本ウエルター級&日本スーパーウエルター級チャンピオンの吉野弘幸が、故郷、葛飾区青戸にエイチズスタイル・ボクシングジムをオープンしたのは2005年3月。間もなく20周年を迎えるこの冬、同ジムから3名の選手が東京都代表となり、ケガ人を除いた2名が全日本社会人選手権大会へ乗り込む。

撮影:筆者
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 そのうちの一人、フライ級の徳永泰士(30)は千葉大学3年次に公認会計士の試験に合格した秀才だ。

 「小学生時代は空手と水泳、中学、高校はソフトテニスに打ち込んでいました。大学の頃、スポーツはしていません。

 1年生の授業で簿記があったんです。2級を取得すると単位が取れるという不純な動機で勉強したところ、1カ月半程度でパス出来たんですよ。『この調子なら、公認会計士の試験も受かりそうだな』と思いまして(笑)。大学と並行して予備校に通いました。そこで東大や一橋に通う大学生と出会って、『負けないぞ!』と感じました」

撮影:筆者
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 合格すると、即、大手から声が掛かる。 

 「公認会計士が所属する監査法人には、俗に“BIG4”と呼ばれる大手があります。そのうちの一つである有限責任監査法人トーマツに採用され、学生ながら非常勤で勤務しました。4月から6月までの決算繁忙期に仕事したのですが、正直なところ『こんなにつまんねぇのか』としか思えませんでしたね。

 そんななか、井上尚弥の試合をTVで目にしたんです。2016年の9月でした。確か井上は腰を痛めていたんですが、左一本で挑戦者を料理してWBOスーパーフライ級王座を守った。その美しさに胸を打たれ、自宅から自転車で15分弱にあったこのエイチズスタイル・ボクシングジムに入会したんです」

撮影:筆者
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 大学入試に向けた受験生時代、そして大学入学後と4年ほどスポーツから離れていた徳永だったが、ボクシングにハマっていく。

 「サンドバッグ打ちでいい音が出るようになるだけで嬉しくて……。卒業まで、楽しく通いました。その後、トーマツの常勤スタッフとなり、およそ4年でシニアスタッフとなって10名ほどの部下を抱えるようにもなったのですが、やっぱり面白くないんですよ。『生きていくために金を稼ぐって、こんなものか…』と思ってしまって。

 ジムには土日に顔を出していましたが、その程度では上達しませんよね。そのうちコロナになり、在宅勤務をしながら『このままで、本当にいいのか?』と自問し、ボクシングをやれる時間はそれほど長くは無いんだと、転職を決めたんです」

 2022年2月末、徳永はトーマツを去る。そして週に6回、エイチズスタイル・ボクシングジムで汗を流すようになった。

撮影:筆者
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 「僕はずっと、75点くらいの人生を無難に過ごしてきました。でも、本気で生きたいなと感じたんですね。アマチュアボクシングの試合には、ドローが無い。相手を上回らないと結果は出ない。自分を120パーセント出さなきゃいけない。

まだまだな選手ですが、多少は強くなったな、少しはマシになったなと、自分で感じたいですね」

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 徳永を指導してきた吉野は、教え子に向かって言った。

 「泰士は35歳で全盛期を迎えるよ。1勝5敗だったのに、今、3勝5敗になったじゃないか」

 全日本社会人選手権東京都フライ級代表は応えた。

 「僕は絶対に諦めません!」

撮影:筆者
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 12月18日より、滋賀県東近江市で開催される同大会で、徳永は己の感情を拳に込める。そのゴングまで自身を苛め抜く日々だ。かつて後楽園ホールを超満員にしたレフトフッカーの眼差しが温かかった。徳永泰士の闘いに注目だ。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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