【河内長野市】小山田住吉神社に元日初詣!山の中なのに海の神様をお祀りしているのはどうして?
令和五年、明けましておめでとうございます。私は日付(年)が変わって早々、さっそく初詣に行きました。
新年最初に行ったのは、小山田にある住吉神社です。
住吉神社の社殿は1813年のもので、このときに流造(ながれづくり)という神社建築様式を採用したそうです。
今年の初詣は昨年と比べて境内に行列ができているような気がします。ついでに動画にも撮影しました。
さて、毎年当たり前のように参拝している住吉神社ですが、考えれば考えるほど疑問がでてきました。
それは、住吉神社の神様は本来海の神様なのに、なぜ海から遠く離れた河内長野で祀られているのか、また河内長野の他神社と違い、秋祭りのだんじりの存在が無い事です。とても気になったので、さっそく参拝前の昨年暮れに調べてみました。
住吉神社は、住吉大社の住吉と同じで、住吉大神を祀っています。これは3つの神様で、底筒男命(そこつつのおのかみ)・中筒男命(なかつつのおのかみ)・表筒男命(うわつつおのかみ)のことです。
この神様はは国造りを行った神様、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊祓(みそぎはらえ:罪やけがれを水で払い除くこと)を行った際に、海の中から現れた神様です。
そのようなエピソードから、住吉三神は海に関係する航海関係者や漁業関係者から熱い崇敬(すうけい:あがめて、敬うこと)を受けています。
ところが、河内長野は山に囲まれた地域です。山の神様ならわかりますが、海の神様がこの地にあるというのは不思議ですね。もちろん漁業関係者も航海関係者もいません。いったいどういうことでしょうか?
その理由のひとつは、神霊を分けてもらう勧請(かんじょう)をした可能性があります。流谷の八幡神社も京都の石清水八幡宮から神霊をいただいて安置しています。住吉神社も住吉大社かそれに関係するところから霊を分けてもらったのでしょうか?
結果的にはそのような意味合いになりますが、ただ住吉の神様が鎮座している理由を調べるとある事実が解りました。
「住吉大社神代記(外部リンク)」という住吉大社につたわる古くからの秘蔵書によれば、かつての住吉大社の社領がこの辺りにも及んでいるほど広かったそうです。
神饌田(しんせんでん)という神に奉げる田んぼのある場所として「小山田」の名前、さらに小山田の南西にある「天野」と「高向」という周辺地名が出ていることから、この小山田には、住吉大社の領地(社領)があったというのです。
ちなみに小山田という地名は、河内長野の他に東京都町田市、三重県四日市市、秋田県、埼玉県、神奈川県、鹿児島県にもあるようですが、住吉大社から最も近い小山田は河内長野なので、住吉大社に出てくる小山田はこの地のことで間違いないと思われます。
さらに調べると、住吉大社の神輿(みこし)の渡御式(とぎょしき)に際して「小山田人足揃ったか?」と唱えるそうで、これは小山田から16名の神輿を担ぐ人が、住吉大社に派遣されていたという伝承だというのです。
それだけ住吉大社と関係が深い小山田の住吉神社だから、海から離れている場所なのに海の神である住吉神を祀っているのですね。
ちなみに住吉神社は、明治のころまでは「豊浦神社」とか「清崎神社」という名前だったそうです。
また境内にある古い由緒を見ると次のようなことが書いてありました。一部抜粋して引用します。
文字がかすれて少し読みにくいのですが、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓(朝鮮半島)討伐のときに、住吉三神に祈願して、勝利の凱旋の後、住吉大社を創建します。
皇后はそのあと巡行し、和泉国から河内国に入り、弓を射て矢が落ちたところが、神社のある場所だったそうです。そこで名主の與三五郎という人が河内に来た皇后を迎えて、神社の南方にあたる高天原に行きました。
その後、皇后が摂政となってから、52年が経過したときに、この地に斎宮を建立し、皇后が斎宮に入って自ら神主となって祭祀をしました。
内容の信ぴょう性はともかく、それほど大事な場所だったことは間違いないようです。
ちなみに住吉神社の主祭神は住吉三神のほか、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)という名前で神功皇后、それから竹内宿禰(たけのうちのすくね)が祀られています。
次に住吉神社には、この地域の秋祭りの顔である地車(だんじり)の影がありません。住吉神社の秋祭りといえば馬駈(うまがけ)神事が有名です。
これは毎年秋のスポーツの日に行われるもので、元々は神功皇后が征韓祝賀のために西暦252年に裸馬の競争催したことがきっかけです。つまり1750年の歴史があり、神社内の馬場300メートルを馬が走るお祭りです。
ちなみに文化財課の方の話では、神事が終わってから走った馬と一緒に関係者が宴会をするそうで、コロナ対策で迷った末、昨年2022年の秋も取りやめたとのことでした。その話を聞いて今年の秋こそ再開してほしいなと思いました。
さて、だんじりが無いのは馬かけ神事が関係しているのかと思えはそうではなく、住吉神社の氏地を調べるとわかりました。それは旧小山田村の他、旧下里村・天野山・与通です。
このうち与通というのは、夏の蓮がきれいで、冬至の柚子味噌が配布される盛松寺のあたり、現在の松ヶ丘町や楠町辺りが含まれます。
このふたつの町には、だんじり(地車)がありますね。明確な理由は解りませんが、現在は千代田神社に宮入りしています。
さて、昨年はありませんでしたが今年は参拝客への振る舞いがあります。神社の敷地内に小山田小学校区自治会連絡会のテントが貼られ、その中にはテーブルとイスがが用意されていました。
この時間はちょうど年を越した直後だったので、年明け早々年越しのおそばをいただきました。
2023年になった直後は少し寒さが和らいでいた感じですが、それでも焚火は温まれる気がします。
ということで小山田の住吉神社で気になっていた謎を元日直後に参拝しながら紹介しました。非常に古くからある由緒ある神社なので、年初めに参拝するといいことがあるかもしれませんね。
それでは本年もよろしくお願いいたします。
住吉神社
住所:大阪府河内長野市小山田町453
アクセス:南海千代田駅からバス 神社前または福祉センターあかみねバス停下車 徒歩5分。
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