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井上尚弥並みの強さを誇ったレジェンド、リカルド・ロペスは大の日本食ファン

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
98年11月、アルバレス(右)との再戦で判定勝ちしたロペス(写真:ロイター/アフロ)

大橋会長とトークショーで再会

 横浜駅近くに位置する大橋ジム。無双の強さで4階級制覇、バンタム級とスーパーバンタム級で一気に4団体統一王者に就いた井上尚弥を擁する大橋秀行会長(59歳)はプロモーター、マネジャーとしての手腕が世界的に評価されている。現役時代、ヨネクラジムに所属した大橋会長はWBCとWBAの世界ミニマム級チャンピオンに就いた。1990年10月25日、ボクシングの聖地、東京・後楽園ホールで大橋氏に5回TKO勝ちでWBC王座を奪取したメキシコ人、リカルド・ロペスは、その後22連続防衛に成功する名王者中の名王者であった。

 そのロペス氏(58歳)と大橋会長が24日、都内で開催されたトークショー「再会~ReUNION」に列席。懐かしい思い出話に花を咲かせた。翌25日には後楽園ホールで大橋ジムと八王子中屋ジムが共催したイベント「フェニックスバトル122」に招待されたロペス氏は井上、弟のWBA世界バンタム級王者井上拓真、WBO同級王者武居由樹ら大橋ジム所属の世界王者と試合を観戦。イベントの途中でロペス、大橋両氏を称えるセレモニーが行われ、WBCの記念ベルトなどが贈呈された。また井上尚弥もリングに上がりスピーチを行った。

トークショーで対面した大橋会長(右)とロペス氏(左から2人目)(写真:ボクシング・ビート)
トークショーで対面した大橋会長(右)とロペス氏(左から2人目)(写真:ボクシング・ビート)

プロ&アマ無敗で引退

 ミニマム級王座を無敗のまま返上したロペス氏はIBF世界ライトフライ級王者に就き2階級制覇に成功。2001年9月、ニューヨークでゾラニ・ペテロ(南アフリカ)に8回KO勝ちで2度目の防衛を果たす。この試合がラストファイトになり、22年11月、正式に現役引退をアナウンスした。プロ戦績は51勝38KO1分無敗。世界タイトルマッチ連続防衛記録はヘビー級のジョー・ルイス(米)の25回を筆頭に2位はライトヘビー級のダリウス・ミハエルゾウスキー(ポーランド)の23回。3位がロペスの22回。伝説のルイスは別格としても最初に獲得した王座が当時発足間もないWBO王座だったミハエルゾウスキーよりも世界的な知名度ではロペス氏が勝っている。しかもロペス氏はアマチュアでも40戦全勝と負けていない。

 前後するがプロ48戦目、唯一の負傷ドローに終わったロセンド・アルバレス(ニカラグア)とのWBC・WBA世界ミニマム級統一戦をメキシコシティで取材した。2回に“バッファロー”の異名で呼ばれるアルバレスの右強打でキャリア初のノックダウンを喫したロペス氏は7ラウンドまでのスコアカード(三者三様)に救われた印象がする。それでもどんな偉大なボクサーでもこういう試合を経験するものだと思う。あと一歩のところで大魚を逃したアルバレスには同情が集まったものだが……。8ヵ月後ラスベガスで両者は再戦し、体重オーバーしたアルバレスを破ったロペス氏がWBA王座を吸収した。

日本食レストラン通い

 さて、久々に来日したロペス氏を見て思ったのは現役時代とほとんど変わらない引き締まった体躯である。時々、メキシコのボクシング中継で見る姿もそう感じる。日本でベルトを獲得し、2度防衛戦を行ったロペス氏はその後、韓国やタイで行った防衛戦の時も日本に立ち寄って調整を図ったことがある。また他の選手の応援のため滞在したともいう。そのせいか、日本食が大好物。引退後、メキシコシティにある日本食レストランに足しげく通っているという話を聞いた。彼の側近の一人は私に「もしフィニート(ロペス氏のニックネーム)に会いたいなら、夕方ごろそこへ行けばかなりの確率で会えるよ」と話していた。ロペス氏がオーバーウエートしない理由はジャパニーズ・フードにあり?

 そこで関係者を通じてメキシカンレジェンドお気に入りの店を調べて見ると、メキシコシティで数か所チェーン店を持つ「ダルマ」(DARUMA)であることが判明した。街の北西部、中高級住宅地サテリテに自宅を構えるロペス氏は昔からその地区にある支店に通い詰めているそうだ。

 ダルマのオーナー、菅原譲治氏は古くからのロペス氏の友人でボクシングファン。ニューヨークの防衛戦を観戦に出かけたこともあったという。またWBCマウリシオ・スライマン会長もダルマのファンで、WBC本部があるソナロッサ地区の支店の常連であった。ロペス氏はダルマだけでなく、シティ南部にある日本とメキシコの文化交流の中心地「日墨会館」の日本食レストランにも顔を見せていたと聞く。

精巧な倒し屋の意外な一面

 ちなみに“フィニート”は倒し屋、素晴らしいと訳されることもあるが、私は「精巧な」が相応しいと思う。現役当時、とくにミニマム級王者時代の強さは群を抜いていた。専門誌の増刊「スーパー・チャンプ‘98」の記述は「繊細なフォーム、デリケートなリズム、高度なテクニックに鋭利なパンチ。ボクシング界の至宝と言うべき万能ボクサー。あらゆるパンチをハイレベルで使いこなすが、“打たれない”前提のボクシングでKOには固執しない」とある。まるで今の井上尚弥を彷彿させるような凄みを感じる。もしミニマム級という最軽量級でなければ、評価はもっと高いものになっていたはずだ。

 そんな常人をなかなか受けつけない雰囲気を漂わせていたスーパーボクサーが引退から数年後、メキシコのテレビ番組のコントに出演していたのには仰天した。役柄はボクサーだったが、「あのフィニート・ロペスが……」とイメージが崩れてしまった。

 それでも本業とするテレビ解説はわかりやすさ、知識の豊富さ、インテリジェンスで他者より一枚上の存在だ。長年にわたり継続していることがその証だろう。数年前、解説者としてラスベガスの世界戦にやって来たロペス氏と再会した。昔インタビューして以来何年も会っていなかったが、「あなたのことは憶えているよ、カツオ」と言われ、うれしい気持ちに浸ったことを想い出す。

 3年ほど前には米国のスペイン語テレビの「キエン・エス・ラ・マスカラ?」(この仮面をかぶっている人は誰?)という番組に出演。これは仮装大賞みたいなバラエティーショーで、ロペス氏は“野良犬”という設定で登場。派手な衣装を着てバックダンサーと踊ったり、マイクを持って歌ったりして喝さいを浴びた。ここでも「レジェンドはそこまでするの?」とツッコまれたが、引退後もテレビから恩恵を受けている同氏は恩返しの気持ちもあったのだろう。

バラエティー番組で野良犬に仮装したロペス氏(写真:ボクシング・ビート)
バラエティー番組で野良犬に仮装したロペス氏(写真:ボクシング・ビート)

 息子の一人、アロンソ・ロペス(スーパーフライ級)がプロ選手になり、13勝5KO3分無敗のレコードを残した。しかし13年3月の試合を最後にグローブを吊るしている。理由は不明だが、ビッグネームの父の業績の重圧に耐え切れなかったのではないか。フィニート・ロペスの偉大さが計り知れる。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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