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【戦国こぼれ話】豊臣秀吉の大坂城は、黒田官兵衛の助力がなければ完成しなかった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
大坂城の築城には、黒田官兵衛も関わっていた。(写真:アフロ)

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は11月に復興90年を迎え、記念事業「復興90周年~市民とともに歩んだ90年」が催されている。大坂城といえば豊臣秀吉であるが、黒田官兵衛の助力がなければ完成しなかったという。

注)明治以降は「大阪城」、それより前は「大坂城」と表記されていた。

■大坂城築城の背景

 黒田官兵衛(孝高)は、大坂城(大阪市中央区)の普請に加わったことで知られている。大坂城といえば、今も大阪のシンボルであり、豊臣秀吉のシンボルでもあった。

 天正10年(1582)の織田信長の死後、後継者として天下人への階段を順調に上がりつつあった秀吉には、その地位にふさわしい立派な城郭が必要だった。そこで、秀吉が計画したのが、大坂城の築城なのだ。

 大坂城の淵源をたどると、明応5年(1496)に蓮如別院が設けられたことにはじまる。もともとは一向宗の拠点だった。

 天文元年(1532)、山科本願寺(京都市山科区)が焼き討ちされると、証如によって本願寺が大坂の地に移された。それは、石山城と称されるほどの城塞であり、堅固さには定評があった。

 のちに本願寺は織田信長と対立するが、天正8年(1580)に和議が結ばれ、本願寺は大坂から退去した。ところが、その後は信長によって、跡地が有効活用されることはなかった。

■大坂城の築城はじまる

 先述した天正10年(1582)6月の本能寺の変後、秀吉は大坂の経済上、地理上の重要性に着目して、大坂城の築城を決意した。

 工事が開始されたのは、天正11年(1583)8月頃である。秀吉は各国から職人や作業員を動員して、大工事を敢行した。

 各国から職人や作業員を動員することにより、秀吉の権力を顕示する意味合いも強かったといえよう。いうまでもなく官兵衛も、大坂城の工事に動員された。

 官兵衛は築城の縄張りに優れており、晩年に移った福岡城(福岡市中央区)の縄張りも行ったといわれている。

 むろん、官兵衛が実際に作るというよりも、職人を動員して的確な指示ができることを意味しよう。

 官兵衛は、大坂城普請の監督的な地位にあったようだ。なにしろ巨大な城郭だったので、持ち場によって複数の監督が置かれていた。前野長泰もその1人だった。

 この2人に対しては、秀吉から指示が与えられている。その一つひとつを次に確認しておこう(「光源寺文書」)。

■秀吉による細かい指示

 「普請石持付而掟」という掟には、5つにわたって条文が定められている。まず第1条は、石について採取は自由であるが、奉行があらかじめ取り置いた石は取ってはならないとある。

 第2条は、作業員の宿が石の採取場から遠いため、石場に野宿をしていたようであるが、大坂に宿をとる者もおり、その場合は覚悟次第であるという。

 第3条は、石を運搬する際、片側通行にすることを定めた。また、重い石を運搬する際には、軽い石を運搬するものが助勢するように取り決めた。

 第4条は、喧嘩口論の禁止である。現場には荒くれ者もおり、喧嘩が絶えなかったと考えられる。ただし、一方が我慢して秀吉に訴え出た場合は、喧嘩口論を吹っかけた者を処罰すると決められた。

 第5条は、農民に対して乱暴狼藉を働く輩を処罰するという規定だ。本来、処罰すべき者を見逃した場合は、当人はもとより主人まで処罰すると定められた。

 このように見るならば、大坂城の工事では、不特定多数の職人や作業員が一気に押し寄せたため、一定の秩序を保つ必要があったと考えられる。

 官兵衛や長泰には、大坂城の円滑な普請はもとより、築城現場における秩序の保持も求められたのである。

■まとめ

 ところが、やがて官兵衛の姿は、大坂城から見えなくなる。官兵衛の役割は、普請の初期の段階において、筋道をつけるところにあったのかもしれない。大坂城の築城に際して、官兵衛の果たした役割は大きかったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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