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かつては危険視された「女性のひとり客」 今では女性の「ひとり温泉」は市民権を得た――。その背景とは?

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
群馬県草津温泉「湯畑草庵」にて、ひとり温泉中の筆者(写真撮影・筆者スタッフ)

私は2012年に『おひとり温泉の愉しみ』(光文社新書)を刊行している。

そもそも10年以上前に「ひとり温泉」というテーマで上梓したきっかけは、私自身の個人的な趣向というよりも、出版業界の情勢によるところが大きかった。

かつては取材と言えばカメラマンや編集者と私というチームで行われたものだが、2000年代の半ばを過ぎると、取材経費削減の波が押し寄せた。カラーの写真付きの雑誌の仕事も、私が三脚を持ち歩き、自らの入浴写真を撮影するようになり、1人で2役、3役をこなす旅が始まった。

よってひとり温泉を始めた当初は、負担を減らすような旅を考えてばかりいた。

動きやすいように荷物は少なく、身軽に。人に頼めることは頼んでしまう。すると、ひとりで旅する気軽さや気ままさを知っていくことにもなった。

ただ、颯爽とカッコ良く旅をしていたかった。

その心理にはこんな背景がある。

かつては――温泉宿に女性ひとりが泊まろうものなら、マークされた。「女性ひとりで、なんかよんどころのない事情があるのではないか」と疑念を抱いたという話は、親しい旅館オーナーや女将からよく聞く。

ただ、私がひとり温泉を始めた2000年前半は、「おひとりで取材とは大変ですね」と同情されることはあっても、警戒はされなかったし、変化の兆しはあった。

事実、『ひとり温泉の愉しみ』のまえがきには、こんな出来事を綴っている。

『あるラジオ番組で、松任谷正隆さんとお話ししたときのことです。

「山崎さん、ひとりで温泉へ行くの?」

「はい、はじめは仕事でしたが、いまではひとり温泉っていいものだと思っています」

「カッコいい!! 僕さ、ひとり飯できる人もカッコいいと思うけど、ひとり温泉できる女の人、カッコいいと思うな」

様々な分野において才に秀でた松任谷正隆さんに「カッコいい」と言われて、すっかりその気になってしまいました。』

女性のひとり温泉がポジティブに捉えられる風潮が始まったのだろう。

ひとり温泉はまだ珍しかったが、ひとり旅の楽しさをテーマにした書籍は多くの作家が出しており、なかでもドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんの『ひとり旅は楽し』(中公新書)『なぜかいい町、一泊旅行』(光文社新書)や、放浪画家の山下清さんの『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫)などは、私の愛読書だった。

ちなみに『ひとり旅は楽し』には、

『のんびりするには勇気がいる。知恵がいる。我慢がいる。というのは、いまの世の中の構造が、人をせかし、動かし、引き廻して、お金を使わせるようにできているからだ。だから世の中の仕組みと知恵くらべするようにして、自分の旅をつくらなくてはならない。

それにしても、ひとり旅は、ほんとうにひとり旅なのだろうか。ひとりになると、とたんに想像のなかに、いろんな人がやってこないか。最初の恋人とも、二十年前に死んだ友人とも自由に会える。話ができる。ひとり旅ほど、にぎやかな旅はない』

という一節がある。

そうか、ひとり旅とは寂しさなどはない。ひとりでありながら、求めれば故人にも会えるのか、ふむふむ。

(中略)

ひとり旅の先人達はいたが、ひとり温泉は、あの鄙びた哀愁漂う、つげ義春の世界くらいだっただろう。そこには女性は皆無だった。

それが、ここ数年で情勢が大きく変化した。

女性誌がひとり旅、ひとり温泉の特集を組むようになったのは2017年頃から。私も「まだマーケットがあるか不確かですが、ひとり温泉の特集を組むので手伝ってください」と依頼され、女性のライフスタイル誌『CREA』(文藝春秋)に協力した。結果、『CREA』の「ひとり温泉」特集号は、結果的に2017年で最も売れた号だったと聞く。その後も、毎年のようにひとり温泉ムックが刊行されており、売り上げも好調とのこと。

他にも女性をターゲットにした雑誌の温泉特集では、ひとり旅が大きな柱となり、ひとり温泉のマニュアル本も多数刊行された。

密を避けるようにと求められたコロナ蔓延中に、さらにこの市場は膨らみ、現在も拡大中だ。

こうしたニーズに伴い、温泉旅館側もより懇切丁寧に対応してくださるようになった。ひとり客お断りも少なくなった。食事処は半個室を用意してくれ、ライブラリー設置等のひとり客が心地よく滞在できる環境が整ってきた。むしろ女性のひとり旅を歓迎する傾向にある。

ひとり温泉、特に女性のひとり温泉は真に市民権を得た

そうした社会の変化を見て、情報を新しくし、この10年でスキルアップしたひとり温泉の術を本書『ひとり温泉 おいしいごはん』でお伝えすることにした。

こうしたひとり温泉の愉しみに加え、ひとり温泉ゆえの、ごはんの楽しみ方も心得た。『温泉ごはん 旅はおいしい』(河出文庫)にも綴っているが、ひとり旅の身軽さを活かし、現地でくんくんと鼻を利かせ、おいしいものにありつく。それは旅館の名物料理だけでなく、土地の方が使う食材や郷土料理の数々であり、そうしたニュースソースを得ることは、我ながらスキルアップしたと思う。

気持ちがいい。癒される。ただそれだけに留まらず、ひとり温泉だからこそ、温泉情緒を存分に感じ取って頂きたい。食を愉しみ、読書に勤しみ、内省して、身体と心を整えて欲しい。

それでは、めくるめく魅惑の“ひとり温泉”をご案内しよう。

※この記事は2024年9月6日に発売された『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。

群馬県草津温泉「湯畑草庵」客室(撮影・筆者)
群馬県草津温泉「湯畑草庵」客室(撮影・筆者)

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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