樹木希林と親しかった温泉関係者が明かす「希林さんは裏表がなく、テレビのまんま」ユーモラスな秘話も!
名作「夢千代日記」が撮影された温泉
昭和五十六(一九八一)年からNHKで ドラマが三部作として放映され、映画化や 舞台化された「夢千代日記」は、昭和を代 表する名作のひとつだろう。
広島の原爆胎内被爆した吉永小百合演じる主人公・夢千代が、雪深い温泉街で芸 者置屋「はる家」の主として、また自身も 芸者として奮闘する日々を描く。物語は白 血病を発病し、余命半年の告知を受ける場 面から始まり、夢千代の〝消え入りそう な〞儚さを吉永小百合が好演している。それに対して、樹木希林扮する芸者・菊奴は夢千代を「お母さん」と慕い、コケティ ッシュな魅力を振りまいて、観ている者の 救いとなっている。
そんな「夢千代日記」は、NHKドラマも東映の映画も、雪深い山陰の小さな温泉地・兵庫県湯ゆ 村 むら 温泉で撮影されている。
出演者やスタッフが宿泊した 「湯村観光ホテル(現・朝野家)」の地下に併設されていたスナック「古城」があった。夕食を終えると、樹木希林、吉永小百合をはじめ、名取裕子、田中好子とい った出演者だけでなく、作・脚本の早坂暁もスナック「古城」に通った。
「夢千代日記」 の撮影チームにとって、「古城」の谷口佐智子ママは心許せる存在だった。
スナックママが語る樹木希林の素顔
数多の著名人との交流があったという佐智子さんは、スナックの夜の営業時間以外にも、 モーニングコーヒーのサービスもしていた。出演者からオーダーが入ればコーヒーを部屋 に持っていき、客室で話し込んだ。撮影中は一日一七時間もホテルでもてなしていたこと もあり、佐智子さんは錚 そう 々そう たるスターの素顔を見てきた。その中でも、「希林さんはあの まんま。裏表がない人で、喋り方も、テレビのあの通りなんですわ。私は大好きやった。 大切な友人です」と、樹木希林との交友を語る。
「希林さんは、ファンからもらった柿を『これ、持っていかない?』って、私やスタッフ に振る舞ってくれました。いただきものを独り占めするようなことはなく、いつも周り人に気を遣っていましたよ」
一見、ざっくばらんなようでいて実は細かく気配りをする様は、樹木希林を評する際に よく語られる。また、器用な一面も話してくれた。
「希林さんは、共演した女優さんからもらった仕立てのいい服を、自分で手直ししていて ね。『これ、自分で縫ったのよ』って見せてくれたことがあったけど、『ここは見ないでね ~。裏と表を間違えて縫っちゃった』って、その部分をつまんで見せてくれました。裏だ と思い込んで縫ったら表だったみたい」
周囲に笑いを振りまくのは、イメージ通りの樹木希林だ。
映画(昭和六十年公開)の冒頭、スキー場で着物姿の芸者たちがスキーをする場面があ る。
「寒い日の撮影で、希林さんは足袋にカイロを入れてたわ。着物の下に洋服を着て、穿いているパッチ(ももひき)を、わざわざ私に見せてくれました。そのパッチは男性もので、 『社会の窓』を縫ったんだって(笑)」
飾らないエピソードの数々を楽しそうに語ってくれる佐智子さんは、樹木希林が持つ〝母の顔〞の一面を思い出す。
初めて湯村で撮影した時のことでした。『東京で面倒を見てくれる人がいなかった』と、 お嬢さんの也哉子さんを連れて来ていました。也哉子さんはおとなしくてね、言葉遣いが丁寧でお行儀がよくて。お母さんが鏡台の前に座ると、そこでお絵描きをしていたのに、 すっと遠くに行く。お母さんの仕事が始まるってわかっているんです。希林さんの教育が 行き届いているんだなって思いました」
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。