公開から25年:“史上最低のすけべ映画”「ショーガール」をあらためて考える
メジャースタジオ作品の仮面を被ったポルノ映画。キャラクターは中身がなく、演技は子供レベル。女性が社会や政界に進出している今、ストリッパーとして成功することを目標にする女性を主人公にするとは、無神経にもほどがある。
1995年の北米公開時、「ショーガール」は、批評家たちからこてんぱんに叩かれた。ワースト映画に送られるラジー賞では、作品、監督、主演女優部門を含む7部門を受賞。さらに、2000年には「この10年の最悪映画」部門で再び受賞し、2005年にも「最初の25年の最悪ドラマ」部門にノミネートされている。
観客にも、そっぽを向かれた。セクシーなシーンが注目された「氷の微笑」を大ヒットさせたばかりだったポール・ヴァーホーヴェンが、めったに許されないNC-17指定でどこまでやるのかと話題になったにもかかわらず、北米興収はわずか2,000万ドルにとどまっている。製作費は4,500万ドルなので、大きな赤字だ。テレビ女優から映画女優へのステップアップを狙っていたエリザベス・バークレイのキャリアも、これですっかり潰されてしまった。
ドキュメンタリー映画が語る、さまざまな見方
公開当時、筆者はすでにL.A.に住んでいたが、これは絶対に見ないと決めていた。女性を卑下している映画に貢献したくなかったし、そもそも見に行くこと自体が恥ずかしい。ヴァーホーヴェンは、その後も、「ブラックブック」や「エル ELLE」で女性を蔑視する人であることを示してきているし、「ショーガール」は、見るに値しない映画として、記憶の隅っこに押しやられていた。
だが、公開からちょうど25年目という節目の年、自分でも思ってみなかったことに、今、これを見てみようという気になったのである。その結果、別の意味で非常におもしろいことを発見してしまった。すけべおやじが女性の裸を見るのにぐちゃぐちゃと言い訳をつけている映画ということに変わりはないが、その取り繕い方が酷すぎて、笑えるのだ。意味不明なセリフ(女たちがドッグフードを食べた経験について語り合うなど)、大げさな反応(そこでなぜあそこまで怒るのか)、メタファーなのかと思わせて実はそうではない謎のディテール、そして最後のありえなすぎる偶然。「ブラックスワン」と重なるところがあるのもまた、ちょっと興味深い。
そういうアプローチでこの映画を楽しむことを教えてくれたのは、アメリカ時間9日(火)に全米でストリーム配信が開始された「YOU DON’T NOMI」である。主人公の名前ノミと、「あなたは私を知らない(You don’t know me)」という意味を引っ掛けたタイトルからして絶妙だ。L.A.在住のテレビエディター、ジェフリー・マッケールの監督デビュー作となるこのドキュメンタリー映画は、映画のフッテージや当時のインタビュー映像に、数々のコメンテーターによる音声コメントをかぶせつつ展開する。コメンテーターには、「ショーガール」についての著書がある批評家、コメディミュージカル版に主演した女優、LGBTQ文化を専門とするライターなどが含まれる。
彼らがこの映画を楽しいと思うのは、「意図的には絶対に作れない奇抜なコメディに仕上がっているから」だ。もちろん、ヴァーホーヴェンは、コメディのつもりで作ってはいない。ドキュメンタリーには、キャストのひとりカイル・マクラクランが「ヴァーホーヴェンは撮影中、これはシリアスなドラマだと言い続けていた」と言ったとの証言も出てくる。
狙いがはずれたのは、ターゲット層も同じ。この映画を愛してくれることになるのは、すけべなストレート男ではなく、LGBTQのコミュニティだったのだ。ドキュメンタリーの中で、このコミュニティに所属するコメンテーターは、人生を変えるために田舎から都会に出てきて、名前を変え、セックスを売りにサバイバルをするという部分に共感できるのだと語っている。そんな彼らの口コミで、「ショーガール」は、この25年の間に、カルト的人気を築いていったのである。
「ひどい映画」「もう忘れた」以外の、多くの意見があった
マッケール監督も、口コミの影響を受けたひとりだ。筆者との電話インタビューで、彼は、「僕が映画を見たのは、公開から10年ほど経った頃。ゲイの間で人気があると知り、友達に聞いてみたら、『ひどい映画なんだけど、すごいんだよ』と言われて」と打ち明ける。見てみたら、まさにそのとおりだった。「こんな映画ならばもっと早く見たかったと思ったよ。10年を無駄にしてしまったと思うと、悔しかったな(笑)」。
ドキュメンタリーを作るきっかけになったのは、2015年、L.A.で開かれた「ショーガール」20周年上映会だった。その模様はドキュメンタリーの後半にも出てくるが、屋外で開かれた大型イベントで、バークレイも舞台挨拶のため参加している。「あの大勢の観客の中に僕もいたんだ。あの興奮が、僕の中の好奇心をさらに掻き立てた。それで『ショーガール』についての著書を読み、彼らに連絡を取ってみたんだ。みんな大喜びで受けてくれたよ。僕には本業があるので、それらのインタビューは音声のみで行い、1年か1年半かけて、週末に編集した」。
ヴァーホーヴェンは、アーカイブ映像で出てくるだけで、このドキュメンタリーのために新たなコメントはしていない。マッケール監督が、彼に取材をしようと思わなかったせいだ。「彼がどう思うかは、このドキュメンタリーが語ることではない。今作で僕が模索したかったのは、いろいろな人が『ショーガール』についてもつ、違った感想、分析、理論、体験だ。『ショーガール』のおもしろいところは、ヴァーホーヴェンとキャストが仕事を終えた後、観客が自分たちの映画として語り続けていったところにある。このドキュメンタリーは、僕らについての話なんだよ」。
製作過程では、さらに多くの違った意見を発見することになった。「あの映画はひどい、そんな映画忘れた、くらいしかないかと思っていたら、その間の意見がたくさんあった。それでなおさら、今あらためて、成熟した視点から見直してみるべきだという気持ちを強めたんだ。しっかり問いただすこともね。問いただすべき点は、たっぷりあるから」。
筆者も「ショーガール」の存在自体に腹を立てていたひとりだと告白すると、素直に納得してくれた。「そういう人にも、ぜひ別の角度から見直してもらえたらいいなと思うよ。それでもやっぱり嫌いだというならそれはひとつの意見。この映画に対する意見はたくさんある。あの映画はなぜ論議を呼び、反感を買ったのか。理解するべきことは、まだたくさんあるんだ」。
このドキュメンタリーがリリースされたことで、さらにいろいろな意見が出てくることだろう。マッケール監督は、それを歓迎する。「コメンテーターの言葉にあるように、25年経っても、僕らはまだあの映画について語り終えていない。だから、まだ語っているんだよ」。