平成最後を締めた! 東邦30年ぶり歓喜!
30年前のセンバツ決勝。入社5年目だった筆者は、上宮(大阪)のアルプス席にいた。当時は、優勝校の選手インタビューで、マイクを通してスタンドの親御さんと会話してもらうのが、民放の「売り」でもあった。延長10回に1点を勝ち越した上宮は、優勝目前で、筆者は元木大介選手(現巨人コーチ)の母・さち子さんの隣で、その瞬間を待っていた。
30年前はセンバツ史に残る名シーン
ところが、である。東邦(愛知)の粘りにあって同点に追いつかれ、飛び出した走者の挟殺プレーで、悲劇が起きた。三塁手の二塁への送球が逸れ、それをカバーに入った右翼手が後逸。球が外野の芝の上を転々とする間に、東邦が歓喜の逆転サヨナラ優勝を決めたのだ。「ボールが逃げてゆく」というセンバツ史に残る名場面であるが、敗者のスタンドにいた者にとっては、これ以上ない残酷な結末でもあった。
平成最後は圧倒的強さ
平成最初のセンバツは、ファンの誰もが覚えている幕切れで、その主役が東邦だった。そして、その運命の糸に導かれるかのように、節目の大会で、東邦が無類の強さを発揮した。決勝は、夏の優勝経験が2回ある習志野(千葉)が相手で、2回戦から3試合連続で逆転勝ちと勢いに乗っている。東邦は初回から、主砲・石川昂弥(3年=主将)の2ランなどで主導権を握ると、その石川が、投げても習志野につけ入るスキを与えず圧倒。石川の2発目も飛び出し、30年前とは少し違う6-0の完勝だった。
石川は世代ナンバーワン
正直、近年の戦いぶりを振り返ると、甲子園での成績はパッとしない。昨春は初戦敗退で、このチームも神宮大会初戦敗退となれば、優勝候補に挙げる人はそれほど多くなかった。それでも森田泰弘監督(59)は、「石川という世代ナンバーワンプレーヤーがいるので、チャンスだと思っていた」と自信を見せていた。そして決勝を前に、このように伝えたという。
「一人でやってくれ」と監督
「一人で投げて打って、やってくれ」。石川も、新チームがスタートする前から言われていたという。「お前が打って投げて。そうしないと勝てないぞ」。昨年は三塁手で出場したが、このチームでは背番号「1」を背負うことになった。本当は打つことに専念したかったはずだが、「それなら両方、やってやろう」と意気に感じた。大会前は、「打つ方が好き」と公言していたが、この日の決勝前の取材では、心変わりしていた。「自分の球が通用する。投げていて楽しい」。決勝も、わずか97球で3安打完封。二塁も踏ませなかった。森田監督は、「この大会で、投手としても成長した」と、世代ナンバーワン選手としての石川の能力を再認識したのではないか。
夏は新時代の始まり
このセンバツは、新しい時代への架け橋でもある。表彰式を終え、紫紺の優勝旗を握って引き揚げてきた石川は、「夏も優勝するために頑張る」と誇らしげに言った。平成は、東邦に始まり、東邦で終わった。夏の大会は、「令和」で最初の大会になる。「令和も東邦で始まる」。石川は、そう言いたかったのだろう。