甲子園単独最多69勝の大阪桐蔭・西谷監督 その1勝目はすごいメンバーによるすごい試合だった!
今春センバツでは、大阪桐蔭の西谷浩一監督(54)が甲子園最多勝を達成するかという話題があった。果たして期待通り北海(北海道)に勝って、元智弁学園(奈良)、智弁和歌山監督の高嶋仁氏(78)の68勝に並ぶと、2回戦で神村学園(鹿児島)を破り、単独トップとなる69勝目を挙げた。
わずか20年でトップに躍り出る
西谷監督の監督としての初陣は2005年夏。つまり、わずか20年で単独トップに躍り出たことになる。この間に優勝8回(春4、夏4)で、12年と18年には春夏連覇を果たしている。2度の春夏連覇は、甲子園の長い歴史でも唯一の記録で、54歳とまだ若く、どこまで記録を伸ばすか想像もつかない。偉業達成の際に「すごい記録」と水を向けられても、「これは監督の勝利ではなく、大阪桐蔭としての積み重ね。歴代OBのおかげ」と謙虚な姿勢は変わらない。
自身の初陣はドラフト1位選手3人
同時に「(69勝で)最も印象に残っている試合は?」と問われると、「うーん」としばらく考えたあと、「最初の試合がすごかった」と自身の初陣となった05年夏に思いを馳せた。この試合に出ていた選手が本当にすごい。エースが左腕の辻内崇伸(元巨人)で4番が平田良介(元中日)、そしてチームの救世主となったのが、入学直後の中田翔(中日)で、彼らはのちにプロからドラフト1位指名される。このチームは秋から見ていて、投打の柱はしっかりしていたが何かが足りず、秋も春も大阪であっさり負けていた。その足りない何かを、ニューフェイスの中田が埋めたのだった。
前田健太やT-岡田を破って甲子園出場
夏の大阪大会では準々決勝で、当時2年生の前田健太(タイガース)のPL学園に、平田の本塁打と辻内の完投で競り勝つと、準決勝の履正社戦では、中田が岡田貴弘(T-岡田=オリックス)に一発を浴びたが、自らも本塁打を放って圧倒した。
そして決勝で大商大堺を破り、西谷監督にとって初の甲子園が決まった。初戦の相手は春日部共栄(埼玉)で、93年夏に準優勝した関東の強豪である。
中田が決勝本塁打を放ち、最後を締める
試合は予想外の展開を見せる。平田の先制打で援護をもらった辻内が、春日部共栄打線につかまり、逆転を許す。たまらず西谷監督は中田を救援させるが、中田も打たれ、7-7の同点に。そして試合を決めたのは、7回に出た中田の一発だった。打球はピンポン玉のように、左中間最深部まで飛んだ。中田の甲子園デビューはあまりにも鮮烈で、エースを救援し、平田のあと(5番)を打って仕留める。投打の中心選手を強力にサポートして、9-7という乱戦に一人でケリをつけた。西谷監督が真っ先に思い起こすのも無理はない。
教え子から11人のドラフト1位選手
その後も勝ちを重ねたが、準決勝で田中将大(楽天)の駒大苫小牧(南北海道)に延長で惜敗。西谷監督の甲子園初采配は4勝だった。
ドラフト1位選手を3人も擁するチームなど、なかなか見当たらないが、西谷監督は彼らより前に指導した岩田稔(関大~阪神)、西岡剛(ロッテ=以下指名球団)を始め、藤浪晋太郎(阪神)、森友哉(西武)、根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)、松尾汐恩(DeNA)、そして昨年の前田悠伍(ソフトバンク)まで、計11人の逸材をドラフト1位(岩田は当時の希望入団枠)でプロ球団へ送り込んでいる。
卒業後の「出口」もしっかりと導く
全国の有望中学生が、将来を夢見て大阪桐蔭の門を叩くようになり、「やりすぎだ」という声も耳にするが、これらトップ選手だけでなく、いわゆる「出口」へしっかり導くのも西谷監督の素晴らしさだろう。数年前、プロからの指名を確実視された複数の選手に声がかからず、進路が決まらないことがあった。しかしすぐに、名門社会人チームへの入社がかなった。これはとりもなおさず西谷監督への信頼と人望、そしてその教えを受けたOBたちの活躍にほかならない。
大阪桐蔭出身監督の誕生はいつか?
「卒業生には、長く野球を続けて欲しい」。これが西谷監督の指導の根幹にある。勝ち星で単独トップに躍り出て、指導を受けた現役NPB選手も21人で1位。大学、社会人での競技継続率も間違いなくトップだろう。西岡が独立リーグで監督になったが、NPBではまだ大阪桐蔭出身の監督は誕生していない。多くの教え子たちから、誰が最初の大阪桐蔭出身監督になるか。西谷監督もその日を心待ちにしていることだろう。今夏の大阪大会初戦は、7月14日開催予定の2回戦(東-成城の勝者)に決まった。厳しい戦いのその先に、甲子園70勝目が待っている。