「暴力は日常、それが占領」入植進むパレスチナヨルダン川西岸ヘブロン 土産物店で働く人々の声とは
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地の一つとして知られる、パレスチナヨルダン川西岸ヘブロン。石畳が広がりマーケットも開かれた旧市街は、世界遺産にも登録されている。マーケットの入り口は地元の人々で賑わう一方、奥に進むと店が軒並み閉まり人影もまばらに。現在イスラエル側の入植が進み、兵士らによる監視や暴力が住民の生活を圧迫しているためだった。現地に暮らす人々は今何を思うのか。8bitNewsのメンバーでジャーナリストの構二葵が取材した。
◆イスラエル側の入植が進むヘブロン パレスチナ人は厳しい監視の対象に
パレスチナヨルダン川西岸のベツレヘムから乗合バスに揺られること40分。向かったのは、世界遺産にも登録された旧市街があるヘブロンだ。旧市街のマーケットに向かう途中で、ガイドのウサマ・ニコラさんが、一本の車道が見える場所で立ち止まった。実はこの車道によって、ヘブロンのマチはエリアが区切られているという。写真向かって左側はパレスチナ人の居住区で、パレスチナ人が自ら管理するH1(ヘブロン1)と呼ばれるエリア。そして車道を挟んで右側が、イスラエル人の入植が進み、イスラエル側が管理するH2(ヘブロン2)と呼ばれるエリアだった。
すぐ近くには、イスラエル側が管理するH2に入るための検問所がある。イスラエル軍により設置され、このエリアの中に暮らしている約280人のパレスチナ人たちは、日々イスラエル兵から監視されIDチェックを受けながら、エリア間を行き来しているという。
ウサマ・ニコラさん「ヘブロンは世界的に知られた占領地です。検問所があり、道路を封鎖することで移動を制限する。店は自主的に、もしくは軍により封鎖されたエリアの中にあるため閉まっています。パレスチナ人が所有する家屋もありますが、道路が封鎖されているため立ち入ることができません」
1929年、暴徒化したムスリムがユダヤ教徒を襲撃。1994年には入植者によるムスリムへの銃撃事件が起きるなど、これまで度々武力衝突の現場となってきたヘブロン。イスラエル側の入植や監視、暴力がパレスチナ住民の生活を圧迫している現状が続いているという。
◆入植者からの嫌がらせ「彼らにとって一種のゲーム」「これが軍による占領」
H2の中にあるマーケットを歩くと、目についたのが天井部分につけられた金網ネットだった。ネットの上にはゴミや岩が折り重なっている。実は旧市街のマーケットは3〜4階建ての建物の1階部分が店となっていて、上の階には入植者が暮らしているケースが多い。そのため入植者たちは、下で店を営みマーケットに足を運ぶパレスチナ人たちへの嫌がらせのため、窓からゴミや汚水を投げてくることがあるというのだ。ネットはそれらを防ぐためのものだった。
旧市街で祖父の代から土産物店を営むヒシャム・マラガさんも、上の階に住む入植者から嫌がらせを受けている一人だ。
土産店経営ヒシャム・マラガさん「イスラエル側は水を防ぐ天井を設置することを拒否しました。彼らは下の通りを見通せるようにしたかったからです。ビルの上にはイスラエル側の検問所がありますから、もし頑丈な天井を設置したら監視できなくなるので、イスラエル側は安全ではないと考えます。汚れた水や下水などをかけてくることもあります。よくわからないけど以前はボトルに入れて投げていたそうです。ラマダン(断食月)の時など、市場が混雑して多くの人がこの地域に集まる時に嫌がらせがあります。だから時々入植者の子どもたちが、歩いている人に物を投げつけます。彼らにとっては一種のゲームなんです」
構
「恐怖は感じますか?」
ヒシャム・マラガさん
「正直なところ嫌がらせには慣れました。初めて来た人は怖くなって、もうここには戻って来ないと決めるかもしれません。でも私たちは毎日ここにいます。どんな状況であろうと私たちは毎日ここに来て店を開けます」
取材を続けると昨年10月7日以降、イスラエルによる占領はより厳しく暴力的になったという声も聞かれた。
土産店経営バデール・アイタミミさん「10日前の話です。イスラエル兵たちが集団で店に入ってきました。彼らは店内を捜索しパレスチナ国旗を見つけるとそれを没収しました。『これは私たちパレスチナ人の旗だ。私たちの文化の一部でありこれを守っている』と伝えると、イスラエル兵たちはトイレに入りました。トイレを使い水を流しました。パレスチナの旗をトイレに入れた後にです。彼らは全く敬意を示しませんでした」
バデールさんの店の入り口近くには、別の日にイスラエル兵によって壊された陶器の商品が割れたまま積み上がっていた。
バデールさんの店で働くアミラ・アブアヤシュさんは、こうしたイスラエル兵からの嫌がらせは「日常」だと物悲しげに微笑んだ。
土産店勤務アミラ・アブアヤシュさん「残念なことにイスラエル兵からの暴力は常態化してしまいました。嫌がらせを見慣れてしまい、もはや衝撃的なことではありません。イスラエル軍による奇妙な行動でもなくなりました。私たちは残念ながら慣れてしまったんです。驚かないしショックも受けません。普通の態度ではないですが、慣れるのです」
構
「私はとても衝撃でした。日常にこうした暴力があることが…」
アミラ・アブアヤシュさん
「これが軍による占領なのです。これが普通なんです」
構
「日本政府や日本社会に何を期待しますか?」
アミラ・アブアヤシュさん
「願わくば次回はぜひ、占領のない自由なパレスチナを訪れてください」
◆イスラエル兵による恣意的な規制 土産物店を閉店させられた人も
H2のより奥へと進むため、私たちも検問所に向かった。ここではガラス張りのボックスに入った女性兵士にカバンの中身を見せるようにと言われた。カバンを台に乗せると、もう一人別の女性兵士がこちら側にやってきて、私のカバンの中身を直接見始めた。兵士同士で何かやりとりをしていたがチェックは1〜2分で終わり、中に入るよう促された。ウサマさんによると、この時兵士たちは私のカバンに入っていたカメラを置いていくよう指示するかどうかを話し合っていたようだった。
ウサマ・ニコラさん「置いていけって言われることもよくあるから。ラッキーだったね」
イスラエル軍の施設や兵士を撮影すると「何を撮っているんだ!」と止められるから、注意するようにと事前には聞いていた。しかし検問所でカメラを没収される根拠はなく、ルールも人によって変わる曖昧なものだった。イスラエル兵による規制は、恣意的に行われているという現状が、垣間見えた瞬間でもあった。
検問所を抜けるとマーケットよりも道幅が広いマチへと出た。しかしより多くのイスラエル兵が、至る所で銃を携えたままこちらを見ていて、物々しい雰囲気を肌で感じた。検問所を抜けてからはウサマさんの口数も少なくなり、緊張感が漂った。
昨年10月7日以降、この地域にあるパレスチナ人が経営する店は軒並み閉店したと言う。まるでゴーストタウンのような光景が目の前に広がっていた。赤ん坊を抱いた女性がちょうど家から出てくるところで、私たちに笑顔で挨拶をしてくれた。
パレスチナの人々の生活は、今もここで営まれているのだ。彼女の家のすぐそばをイスラエル兵が銃を片手にゾロゾロと歩く。彼らからいつ嫌がらせや暴力を受けるかわからない。買い物をするのも、検問所を通って遠くの店に行かざるを得ないのだろう。これがこの母親と赤ん坊が暮らす「日常」なのだ。
10月7日以降に、突然イスラエル政府によって閉店させられた土産物店「Ghassan’s Gift Shop」。父親と共に営んでいたワシム・ジャパリさんに話を聞くことができた。25歳のワシムさんは家族を養うために、そしてイスラエルによる占領に抵抗を示すために、現在旧市街のマーケットで新しい土産物店を営んでいた。
土産物店経営ワシム・ジャパリさん「イスラエル政府が私の家族の店にやってきて店を閉めました。彼らは理由がないと言います。それが政府のやり方です。パレスチナ人である私はユダヤ人を信じています。しかしシオニストの入植者は信じていません。私はユダヤ人の友人が多く、とても友好的で良い人たちです」
構
「日々の中で恐怖は感じますか?」
ワシム・ジャパリさん
「もちろん怖いです。とても苦しいことでもあります。例えば10月7日から今日まで家の外に出るのは怖いです。銃の音や爆発音をよく耳にするからです。もし私が家の外に出たいと思えば、家に戻れるかどうかわからないんですから。世界中のすべての人々にメッセージを送りたいです。パレスチナを訪れてください。私たちを忘れないでください。あなたを怖がらせるものではありません。あなたがパレスチナに来たら私たちに希望を与えてくれます。私の人生に必要なのは他の国の皆さんと同じものです。自分の権利が欲しい。自由が欲しい。平和が欲しい。希望が欲しい。それを私たちは求めています。暴力は必要ない。問題は必要ない。暴力や問題は解決策ではないからです」
取材が一通り終わり、イスラエルが管理・占領するH2のエリアから、パレスチナが管理するH1に戻ってきたとき、ウサマさんがため息をついた。
構
「どうしましたか?」
ウサマ・ニコラさん
「いや、戻ってきて安心したんです。やっぱりH2に入ると緊張するから…」
これまでも西岸地区の実情を知ってほしいと、様々な人を案内するためにH2を訪れてきたガイドのウサマさん。それでもイスラエルによる入植が進み、暴力が蔓延るH2に足を踏み入れることは強烈なストレスとなっていたのだ。
私は今回のパレスチナ取材で、ヨルダン川西岸地区としては、ベツレヘム、ヘブロン、そしてラマッラーに足を運んだ。中でも今回取材したヘブロンのH2、とりわけ検問所を抜けた先のエリアに入った時が最も緊張する瞬間だった。あらゆるところに銃を携えたイスラエル兵の姿があり、監視され、いつ私たちにも何かしらのアクションを取られるかわからなかったからだ。紛争地や緊張状態が続く現場の取材を重ねたジャーナリストであれば、見慣れた光景かもしれない。しかし、初めてパレスチナを訪れた私が感じた恐怖の感情は、胸に刻み決して忘れたくないと思った。終わりのない暴力が続くヘブロンで、多くの人が「怖い」と言うことすらできない現状を目の当たりにしたからだ。慣れなくてもいい抑圧の日々を、仕方のないことと受け止めて笑った彼らの瞳の奥は、憂いに満ちているように見えた。
取材・撮影・ルポ
8bitNews ジャーナリスト構二葵
※映像ルポ全編は8bitNewsからご覧ください。