VRによる斜視リスクに“企業はどう対策しているのか”を聞いた
注目企業によるVR(仮想現実)端末の一斉リリースが続き、VR元年と呼ばれる2016年。教育現場や学校行事においても、VRを活用する試みが進んでいます。
VRを「教育」に活用している具体例
グーグルが提供する「Expeditions Pioneer Program」は、学校の授業にVRコンテンツを活用できる教育機関向けVRプラットフォームです。これにより、生徒たちは教室にいながら、VR上で社会科見学や疑似体験ができます。例えば、バッキンガム宮殿を訪問したり、火星の表面に降り立ったり、海底深くに潜れたりーー、多様なプログラムが100以上提供されています。プログラム参加に必要なデバイスは全てグーグルから提供され、参加中は教師がタブレットを用いて引率(ガイド)を行い、生徒はスマートフォンとダンボール製ビューアー「Cardboard」を用いてVRを体験します。
キャリア設計に役立つようなVRツアーも、このほど提供が開始されています。インターンシップなどを通じ、学生と社会人の接する機会は増えていますが、それでもまだ限定的な状況です。古生物学者がどのように化石を取り扱っているのか、最新鋭のコックピットにおいてパイロットが何を行っているのか、また彼らが学生時代にどのようなことを学んでいたのかーー、現実的かつ体系的に知れる機会はなかなかありません。このように裾野を広げる「Expeditions」は現在、アメリカ、オーストラリア、ニュージランド、イギリス、ブラジル、カナダ、シンガポール、デンマーク、メキシコ、アイルランドのいくつかの学校で提供中です。なお、日本はまだ含まれていません。
国内ではこの春、角川ドワンゴ学園の通信制高校「N高等学校」が、沖縄本校とニコファーレをつないだ「ネット入学式」を実施。全国各地に住む生徒がネットを通じて入学式に参加する中、入学者1482人から抽選で選ばれた73人がニコファーレに集まり、入学式をVR体験しました。ドワンゴ宣伝部は、VR導入の背景を次のように語ります。
「“ネットの高校”の学園生活を入学式でも体感いただければと考え、沖縄という離れた地との中継であっても、より一体感を感じることができる『GearVR』を活用するに至りました。また、360度配信を通じて、スクーリングで通うかもしれない沖縄本校の魅力を感じてもらえればと考えております』
生徒からは「入学式で初めてVRを体験しました。眼前に、晴天を背景にした伊計島本校の姿が鮮明に広がり、『ほほう、こんな感じなのか』と。RPGの世界に潜り込んだような不思議な感じがして、二次元と三次元の狭間みたいだなぁ、と思いました。遠近感には少し違和感を覚えましたが、今度は仮想世界を歩き回ってみたいです」といった感想が寄せられた。VR上で1つの場を共有する体験は、離れた地域に住む生徒たちの相互理解を深めることにも役立ちそうです。
活用の広がるVR、しかし小児には斜視リスクも
活用の広がるVRですが、子供の利用には注意が必要となります。実際、Oculus RiftやGear VRなどの主要VR製品では、13歳未満の利用が禁止(非推奨)となっています。小さい子供が二眼HMD(ヘッドマウントディスプレイ)でVRを見ると、斜視になるリスクが存在するためです。斜視とは、物を見ようとする際に、片方の目の視線は目標の方向に向いていても、もう片方の目が別の方向を向いてしまっている状態です。目の筋肉や視力が発達途上である幼少期は、大人に比べ、斜視になるリスクが高くなります。特に立体視細胞がまだ未発達である点と、瞳孔間距離がまだ短い点が影響しています。
立体視細胞の形成は、6歳頃までに完了するとされています。また、瞳孔間距離については10歳前後までに発達するとされているため、VR端末の業界標準になりつつある13歳以上という対象年齢は、保守的な設定ともいえます。では、斜視リスクに関する議論・注意喚起において、国内と海外で温度差があるのかーー。小児眼科や神経眼科を専門としている大阪大学大学院医学系研究科の不二門尚教授はこう話します。
「ニンテンドー3DSが発売された時、私は『6歳未満は危ないから原則3D映像をやめましょう』というコメントを発信しました。現在、同端末には『6歳以下のお子様は2D表示に切り替えてご使用ください』という注意書きが添えられていますが、アメリカからは当初『6歳未満が危ない理由はない』というコメントが出ていました。その後も、アメリカ視覚眼科学会では『3D映像は何歳以上にしましょう』という議論は起こりませんし、斜視に関わる方々も厳しいことを言っていません。そのため、以前はこの領域について、欧米の方が“緩い“という印象を持っていました。しかし、Oculus Riftをはじめとする各VR端末の説明書では対象年齢が13歳以上になっています。裏側でどういった議論があったかは分かりませんが、多くのVR端末では年齢条件が厳しめに設定されているのです」
手術することになった症例が国内に1つだけ存在
斜視を発症する可能性を持つ人々は、全人口の約2%とされています。この中で、斜視の厳密な定義に該当するケース(両方の目の位置が左右いつも違っている症例)は少なく、その大半は斜位に分類されます。斜位とは、集中している時には真っ直ぐ見えるのですが、疲れたり、ボーッとしている時には物が二重にずれて見えてしまう症状です。
斜視リスクを考える前提として、これまでの3DコンテンツとVRで起きるメカニズムは基本的に一緒です。どちらであるかは関係なしに、元々そういう素因を持っている人であれば、ほんの一回体験するだけで斜視になる方もいます。
斜視について考える際、2つの切り分けが存在します。大人なのか、子供なのかーー。一時的な症状なのか、ずっと残っている問題なのかーー。大人については、3D映像を観た時などに発症することがありますが、物が二重に見えて「変だな」と思ってすぐに止めれば、翌日まで尾を引くことはほとんどありません。斜視の眼鏡による治療はよくある話であり、眼科の斜視外来の専門医の下には多くの患者が来院し、プリズム眼鏡による斜視治療などが行われます。ただ、その斜視が継続して普段の生活に支障をきたすレベルであれば、手術という選択肢があります。なお、手術は眼球に対してではなく、目を動かす筋肉の調整が行われます。
一方、子供については、斜視の症状が残り、手術することになった症例が国内に1つだけ存在します。3D映画を鑑賞した4歳の子供が斜視となり、その後3ヶ月経っても戻らなくなったのです。この時は手術で治りましたが、6歳までの発達段階では、やはり注意が必要となります。そのため現在では、子供連れの家族が集まる映画館やテーマパークでも、これらへの配慮が進んでいます。
メーカー側の対策を聞いた
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンではこのほど、VR体験コンテンツを提供しています。「きゃりーぱみゅぱみゅ XRライド(6月26日迄の期間限定開催)」は、VR HMDと高速ジェットコースターを連動させることで、ファンタジー世界の冒険を360度映像で楽しめるVR体験アトラクションです。こちらの制限に関しては、テーマパークの多くのアトラクションに元々ある身長制限が判断材料の一つになっています。「XRライド」においては身長122cm以上に設定されており、これは7歳児の平均身長です。
また、このようなアトラクションと3D映画では、コンテンツの作り込み方が異なります。3D映画の場合、観客は2時間近く視聴するため、主に引っ込み系のコンテンツが用いられます。極端な立体化がなく、物が二重に見えにくいようにしているのです。奥行き方向に広がる画像を多く用いることで、長時間の視聴に配慮しているのですが、どうしても面白味に欠けてしまいます。一方、アミューズメント系やアトラクション系は、全体の視聴時間が数分程度です。そのため、画像が3秒くらいで一気に近づいてくる、飛び出し系のコンテンツがよく用いられます。極端な立体化であっても、短時間なら目にかかる負担は大きくないため、立体化の面白味を重視しています。
VRコンテンツの提供に際し、小児の斜視の専門家としてコメントを発信してきた前出の不二門氏は「業界全体が斜視について配慮しつつある状況です。コンテンツメーカーとしては、VRを積極的に取り入れていきたい、制限を少なくしつつリスクを減らしたい、と考えています。そこで我々からは、子供の瞳孔間距離に対応したVR HMDの必要性などを提案しています。小学生は両目の間隔がまだ広くないためです」と語る。
子供に安心してVRを体験してほしいーー、その願いに応える製品も存在します。ハコスコの一眼レンズモデルVRビューワーです。「もっと手軽に、いつでもどこでも、みんなにVR体験をしてもらいたい」という思いの下に創業した同社は、一眼と二眼双方のスマホVRビューワーを提供してきました。一眼レンズモデルの場合、二眼レンズモデルに比べると立体感・没入感は少し減りますが、年齢制限はなく、小さな子供でも安心してVRを体験できます。ハコスコの藤井直敬CEOは次のように話します。
「年齢制限に関して、センシティブになってくれているのは日本だけだと思います。同じコンテンツでも、ハコスコ用とOculus Rift用を両方用意するというのも、日本のVR業界では標準的になってきました。そういう選択肢を提供している国は、他にはありません。我々としては、多くの人々に新しい技術に触れていただき、そこから新しい体験をしてもらいたいのです」
このように見渡してみると、海外VRメーカーが子供のVR利用に対して年齢制限を設ける中、国内の同領域に対する配慮はさらに抜きん出たものといえるでしょう。ユーザーには前述のハコスコ一眼モデルという選択肢があるのに加え、VRコミュニティではコンテンツメーカーや眼科専門医を巻き込んだ活発な議論・取り組みが進んでいます。教育現場を含めた、さらなるVR技術の活用に期待がかかります。