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間違えているひとのドラマがあってもいいと思う 「俺の家の話」磯山Pの話

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
『俺の家の話」 写真提供:TBS

人気ドラマのプロデューサー、初めての対談の後編。前編はこちら。

金曜ドラマ「俺の家の話」磯山晶さんと、Paravi配信ドラマ「SPECサーガ黎明篇『Knockin’on 冷泉’s SPEC Door』」植田博樹さんの同期対談前編を公開すると、SNSでは磯P、植Pとドラマファンが盛り上がった。

ドラマのプロデューサーはスポークスマンとしてメディアによく登場するものだが、

磯P、植Pとこんなにも親しみあるキャラ化したのは00年代の彼らの時代であろう。

そんなふたりの初めての対談後編は、

●男性社会のテレビ業界に逆男性差別が起きている

●放送業界の謎の同調圧力

●「ケイゾク」と「池袋ウエストゲートパーク」がTBSを変えた

●「俺の家の話」の話

の4本です。

いまは逆に男性差別があると思う

――これまで植田さんとTBSの方々の対談を通して、テレビ局は男性社会だと感じました。女性であることで苦労したことはなかったですか。

磯山:逆に女子のほうが楽でしたよ。例えば、時代劇の雪のシーンを撮影するとき、AD の男子は雪として敷くために20キロの塩の袋を一度に何個も運ばされるんですよ。今はそんなことをやらないけれど、私の入社したときは「忠臣蔵」などの時代劇を制作していたから。ほかにカメラ用のレール、イントレなどの機材はみんな重い。でも体力的に女子はそんなに持てないから、おみそちゃんみたいになるコンプレックスはありました。それ以外は楽でしたよ。

植田:昔は完璧にめちゃめちゃ男社会だったからね。女の子はかわいければかわいがられていた。

磯山:今はプロダクションの社長もマネージャーも女性が多いし、ADにいたっては半分以上女子ですが、当時は部活の女子マネージャーみたいな存在だったんですよね。

植田:中2のサッカー部で、95人ぐらい男子で、女子がマネージャーとして3人ぐらいいる感じだよね。

磯山:私は、テレビ局に入って、たとえ、当面は女子マネージャーのような役割でも、何年かやっていればいずれこの末端の仕事は終わると思いながらやり過ごしました。今、下の子にはそう言っています。とにかく日にちをかせげば何とかなるからって。1年経ったら、だいぶ楽になるし、2年経ったら、もっと楽になる。とはいえ、辞めちゃう人は最初のうちにみんな辞めちゃう。能力のある子が、気持ちが折れて辞めちゃうことがもったいないので、私のように、クイズ長屋に行ってでも、日にちかせげば何とかなると言っています。私は、入社してすぐに念願のドラマ部に配属できたものの、体を壊して、しばらくクイズ番組をやっていたんですよ。クイズ長屋というのは、「クイズ100人に聞きました」と「クイズダービー」とかクイズ番組の分室が並ぶ一角の通称です。

――ふわっとされているように見えて、しっかり見極めていらっしゃるんですね。

植田:ドラマに対して真摯だったからじゃない。だから、なんとしてもどこかにしがみつかなきゃという気持ちがハンパない。

磯山:そう、私は生粋のドラマ好きなんです。もし最初の配属が報道とかだったら辞めていたと思います。やりたいことと違い過ぎて。

植田:今、局でも外部スタッフも、女性がどんどん増えているじゃない。そのなかで「アンナチュラル」や「MIU404」で注目された新井順子さんや塚原あゆ子さんみたいな人たちや、磯山の下でやっている宮崎真佐子さん(「逃げ恥」「恋つづ」「ボス恋」)とか注目されてきていて、男のプロデューサーや演出家にとっては、厳しい時代になっているなと感じる。特に地上波ドラマは、労働面でも、コンテンツ制作という面でも女性にとって仕事がやりやすくなったと思います。

磯山:ここ5、6年のTBSドラマは、火ドラが女性主演のラブストーリー、金ドラは「命、絆」がテーマだけど基本的には何でもありで、日曜日は良質で王道のホームドラマというジャンル分けでずっとやって来ていて。そういう意味では閉塞感はあるかもです。そのなかで女性プロデューサーが増えてきたのは、ラブストーリーを1本は作らなきゃいけない場合、女性が考えたほうがいいだろうという、ある種の逆男性差別のようなことになってきているように思います。

植田:あるよね、うん。

磯山:女性がたぶん韓流ドラマとかをいっぱい見ているだろうという先入観を感じます。男女差別はさておき、男女問わず、若い人がどんどん出てきて欲しいとは思います。私たちがプロデューサーになるとき、まだ若いにもかかわらず神輿に乗せてもらった感がすごいあるんですよ。私も植田さんもは20代後半でプロデューサーデビューしていて。それってすごく早いじゃないですか。今、そんな人いないもの。

植田:俺たちの時代は恵まれていたよね。

磯山:そうなんです、私たちのときは急にそうなった。ちょっと前まではそういう人はいなかったんですよ。

植田貴島(誠一郎)さんが設計図を引いてくれたんだね。

磯山:私たち世代と新井さんたちの間が空いているんです。理由はわからないけれど、登板しやすい時代とそうじゃない時代があるのかもしれないですね。

間違っている人が主人公ではいけないか

磯山:先日、何かの評論で、いろいろな面でハードルを下げたドラマが見やすい、というようなことを読んで、私たちは何に努力していいのかわからないと思ったんですよ。植田さんが、私が火ドラの枠組みを作ったと言ってくれましたけど、今後、さらに分かりやすく、いやな人が一切出てこなくて、みんなが丁寧に生きてますというようなドラマが好まれるとしたら、どうしたらいいかと悩むところです。

植田:磯山は編成に行って火ドラを量産してきたけれど、元々ドラマ部のプロデューサー時代に金ドラも日曜劇場も経験して、たくさんのメニューをもっている。ところが、今の若い人たちは、編成が選ぶ企画に偏りがあって、そのメニューが少ないかもしれない。フジテレビがずっと月9を作り続けていて、メニューがごっそり減っちゃったことに近いのかなと危機感を覚えている。

磯山:「恋する母たち」を作るときに、今どき不倫なんてって結構言われました。もちろん「私の家政夫ナギサさん」や「凪のお暇」のような、誰に恥じるところもない健全な生活をしている人を主人公に据えるものは、見ていて気持ちが良いですよね。でも私たちが見て育ったドラマは、それだけじゃなかったですよね。どちらかというと間違っている人が主人公もたくさんいました。それこそ、大久保清とか、三億円事件の犯人とか。

植田:でもそれは特番でしょ。連ドラではさすがにそれは……(笑)。

磯山:そうだけれど。植田さんが作ったような、子どもが罪を犯すみたいなドラマは、今は絶対駄目じゃないですか。でも、本来、人って間違えるものだと思うんです。あの人、また間違えているよと突っ込んだりするのもドラマのひとつの楽しみだったのではないかと思うんですよ。

植田:それはあなたが編成にいたときから思っていたこと?

磯山:ずっと思っていたし、特に最近思っていますね。例えば、ゴミをきれいに仕分けして捨てて、豆苗を家で育てて、小銭を拾ったらすぐに交番に届ける……みたいな、社会の規範になるような人だけを主人公にしていたら、なかなかドラマチックなことは起こりにくいなって。

植田:次の一手みたいなものでいうと、どういうジャンルで勝負しようと思っています?

磯山:いや、ジャンル違いで打って出ようというよりは、今の放送界の謎の同調圧力からなんとか解放されたいなとは思いますね。

植田:僕が編成にいたとき、「不機嫌な果実」の性表現の規制に関して磯山が抵抗したことが印象に残っているんだよ。その理由が、誰かに暴力を振るうことよりも、性行為は日常的であるにもかかわらず、その表現に規制をかけるんですか? と言って闘っていて、結果的に音だけにしたのかな。あの頃はまだ戦えたんだよね。

磯山:植田さんの記憶は若干間違っているような気もするけれど……。少なくともカットしろと言われてすぐに引き下がるのも悔しいから抵抗はしました。

『俺の家の話」 写真提供:TBS
『俺の家の話」 写真提供:TBS

「ケイゾク」が起こした大改革

――磯山さんは、植田さんのドラマをどう思っていますか。

磯山:植田さんのドラマは、「ケイゾク」がとにかく衝撃的でした。TBSに堤幸彦さんを連れてくるまでの戦いは傍から見て、すごかった。演出家の堤さんをひとり呼ぶだけでなく、堤さんと組んでいた技術スタッフを会社レベルで呼ぶことになって、そのためには会社のありとあらゆるセクションの人たちとけんかしないと呼べなかったんですよね。それまでTBS が頼んできた会社ではないところに頼むことは大変な改革だったんですよ。なにしろ関連会社でもってきた会社ですから。

植田:映像技術会社の池田屋さんや、音楽プロデューサーの志田博英さんなどに入ってもらったんだよね。

磯山:志田さんはお亡くなりになって残念でしたね。

植田:MAの 仕方がうちの会社だと当時6ミリテープ使ってて、他社から完全に遅れていたよね、TBSは。もうありとあらゆる部署の人と喧嘩して、遂に撮影終わってMAも終わって完パケのテープを納品すると、会社の送出の人から画面の黒みが駄目だって言われて、いつまで喧嘩し続けなきゃいけないんだと、絶望した記憶がある。

磯山:何秒以上、黒い画面があると事故だと思われるとか決まりがたくさんあって。

植田:各セクションに牢名主みたいな人がいて、その人達が決めたルールに従っていた。

磯山:植田さんがそういうものを打開してくれなかったら、今のTBSはないので、それは素晴らしい功績だなと思っています。日テレやフジに比べて遅れているにもかかわらず「前例にのっとることがすべて」な人たちで成り立っていたところを、その全部をなぎ倒して、連れてきた堤さんを、私はさくっと「池袋ウエストゲートパーク」(以下「IWGP」)でお借りしたので、植田さん、ほんとにごめんねっていう気持ちは今もあります。

――「IWGP」はすでに新しいレールができていたからやりやすかったですか。

磯山:そうです。レールを作るなんて面倒なことは私にはほんとに無理ですから。

植田:僕はレールとして生き、磯山さんは新幹線のようにしゅっとその上を走っていく(笑)。

磯山:しゅっと(笑)。ほんとにありがとうっていう気持ちです。そうやって苦労してつくった「ケイゾク」のシリーズがいまも脈々と続いていることはすごく面白いなと思う。登場人物を変えながら、ストーリーも違うけれど、遺伝子的には同じシリーズが進化しているという、そういう作品を私はやったことないから、すごいなと思います。

――「IWGP」をきっかけに宮藤さんと磯山さんは別の路線でやってきて「俺の家の話」になって。素敵なこの2人がいたことで、今のTBSがあるってことですね。

磯山:素敵な私たちっていうことで終わらすの?(笑)

植田:そんなまとめは要らないよ(笑)。そんな黎明期のことなんて今や誰も気にしていない。

『俺の家の話」 写真提供:TBS
『俺の家の話」 写真提供:TBS

改めて、「俺の家の話」はどうなる

――人間の間違えているところを書きたいとおっしゃった磯山さん。「俺の家の話」はそういう話になるのでしょうか。

磯山:そうですね。まず、伝統芸能・お能の宗家の嫡男として生まれた主人公が、お父さんの厳しさと、長男として家業を継ぐという宿命が嫌で家を出てプロレスラーになって、25年も帰らないということがひとつの親不孝という間違いですよね。そんな主人公が、お父さんの介護で家に戻るわけですが、そもそもプロレスラーとしてももう限界だったこともあって、路頭に迷った40歳を過ぎた人間が、間違った人生を生き直す話です。能やプロレスという特殊な職業でなくても、他の仕事でも、なんなら間違いなくどんなにちゃんとやってきた方でも、このご時世、急に仕事がなくなることもあるでしょうし、それでも人生は続くので、何とかして生きていかなきゃいけない。そういうとき、どういうふうに自分と折り合いをつけていけばいいのかを描きます。そこに、親との関係が加わってきます。誰にも親があって、その生き死は避けて通れない。親の病気や余命を突きつけられたとき、子どもはどうするか。実際、私も両親の介護を経験しましたが、なにが正解だったか、結局わからないんです。命に関わる選択は1回しかできなくて。それって不謹慎かもしれませんが、ドラマチックだとも思うし、立ち向かいがいがあるテーマかなと思っています。一話の、介護されるお父さんが息子にお風呂に入れてもらうシーンでは、西田敏行さんが裸体で演じてくださいました。老いた名優という存在そのものが、ドラマを超えて胸を打ちますよね。長瀬君が介護することで楽しい場面になったりするから、ただ辛いものにもならない。難しいところに挑んでいます。

植田:挑戦だよね。

磯山:最初に宮藤君の書いた企画書では、介護のために一回引退したレスラーが、介護のうっぷんをマットで晴らそうと覆面レスラーとして復活し、能でもプロレスでも面をかぶっている面白さが主だったんです。覆面レスラーとして復活するのは3話からで、実は能の稽古がプロレスにも生きたりする「ベストキッド」みたいな笑いどころもあります。いずれにしても、主人公は、お父さんをお風呂に入れなきゃいけないは、試合には行かなきゃいけないは、戸田恵梨香さん演じるヘルパーさんが後妻業じゃないかどうか確かめなきゃいけないは……と忙殺されているうちに正しい道を見つけ、さらに、家族っていいなと思えるようなものになっていくといいなと思っています。

長瀬くんは大変です。能とプロレスと両方やっているから。プロレスは覆面かぶっているので、代役でいいよと言ったのですが、いや、やるって。さっきも撮影で、ドロップキックを鮮やかに決めたものの、覆面をかぶっているから、これ、長瀬君じゃないと思われるかもしんないねって、笑っていました。

磯山晶 Aki Isoyama

1967年、東京都出身。上智大学卒業後、TBS入社。96年「キャンパスノート」でプロデューサーデビュー。「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」「タイガー&ドラゴン」「ごめんね青春」「監獄のお姫さま」「俺の家の話」等、TBSの宮藤官九郎作品をすべて手掛ける。ほかに「大奥」「空飛ぶ広報室」「恋はつづくよどこまでも」「恋する母たち」など。編成として「逃げるは恥だが役に立つ」「大恋愛〜僕を忘れる君と」などがある。

植田博樹 Hiroki Ueda

1967年、2月3日、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業後、TBS入社。ドラマ制作部のプロデューサーとして、数々のヒットドラマを手がける。代表作に「ケイゾク」「Beautiful Life」「GOOD LUCK!!」「SPEC」シリーズ、「ATARU」「安堂ロイド~A.I .knows LOVE?~」「A LIFE~愛しき人~」「IQ246~華麗なる事件簿~」「SICK‘S」などがある。「SPECサーガ黎明篇『Knockin’on 冷泉’s SPEC Door』」が2月18日Paraviで配信。

俺の家の話

TBS系 金曜よる10時〜

脚本:宮藤官九郎

演出:金子文紀ほか

出演:長瀬智也、戸田恵梨香、永山絢斗、江口のりこ、桐谷健太、西田敏行ほか

●取材を終えて

「俺の家の話」の演出家・金子文紀さんは、磯山さんと植田さんが対談すると聞いて、それは貴重だと驚いていた。立ち会いたいとまで言っていた。同期だからこそそんなに会話しないのだとか。

そんなライバル的存在の同世代で同期の磯山さんと植田さんの会話は、同級生の会話のように自然で、見てきたものが共通であることがよくわかった。例えば、磯山さんは映画「お葬式」の江戸家猫八さんを見て俳優ではない人をキャスティングする面白さを知ったと言い、植田さんはその猫八さんの小道具・メガネを「アンナチュラル」の竜星涼さんの小道具のメガネで真似をしたと言う。

カラオケボックスで歌わずに企画を一緒に考えたこともよくあったそうだ。ただし、入社したとき、山手線の内側にしか住んだことのない都会人の磯山さんと、兵庫から上京、川崎に住んでいた植田さんとはまるで違っていた。いまだに、セレブぽい磯山さんと、服装に構わない感じの植田さんは全然違うジャンルの人のようではあり、実際、つくるものも違う。それでもどこか共通するものはあるような気もする。20年の時間の積み重ねみたいなものが。

金子さんも言っていたが、磯山さんは“姫”ぽいところもあるけれど、気遣いの人でもある。

女性だからといって苦労したことはない。むしろ楽だったと言っていた磯山さん。00年代はドラマをつくりながら漫画家もやっていて、才能に恵まれた特別な雰囲気があった。その姫っぽさが男社会にいやすかった面もあるのだろうけれど、そこにあぐらをかかず、ちょっとした言動の端々に気遣いがある。テーブルに置かれたものの配慮や言うべきことを心得た知性。長い年月がそれを作ったのかもしれないし、備え持ったものかもしれない。

20年以上、ドラマを作り続けてきたふたりのドラマもまだまだ見たいし、ふたりがどんな次世代を育てるか。それも楽しみだ。

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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