2021年「パリで一番のフランスパン」受賞者、Facebookの発信が糾弾されて名誉を失う
フランスの首都パリで、「パリで一番のバゲット(la meilleure baguette de Paris)」というコンクールが毎年行われているのを知っているだろうか。
バゲットとは、写真にあるように、フランスパンのことである。
1994年にパリ市が始めたもので、1位に輝いたバゲット職人は、大統領府であるエリゼ宮にバゲットを1年間納めて、宮殿の公式職人になる栄誉がもたらされる。
今年2021年に受賞したのはマクラム・アクルーさん。12区に自分の店をもっている。
しかし9月24日の審査員の発表後、彼のFacebookのアカウントが「フランスへの憎しみ」を表していたと大きな波紋を呼んだ。
幸せに満ちた受賞の様子が一転
アクルーさんはチュニジア出身の42歳、フランスには19年間住んでおり、フランス国籍を取得しているという。
エリゼ宮は公式ツイッターで9月25日土曜日、200本弱のバゲットの中から「パリで最も美味しいバゲット」に選ばれた彼を祝福するツイートをした。
「最後に、一人だけが残りました! ブラボー、Makram Akroutさん。昨日、2021年のパリのベスト・バゲット賞を受賞しました。伝統に従って、彼は1年間、エリゼ宮にパンを供給します」と書かれている。
アクルーさんは大変喜んで、パリ市のサイトに以下のように話していた。
「あまりにも驚きました。競争は厳しいもので、約200本ものバゲットがあるのです。他と一線を画するのは簡単ではありません」
「私はずっとパン職人で、ほとんどパン屋で生まれたようなものです。私の父もパン職人でした。この賞を受けて私はとても幸せですし、父も私を誇りに思ってくれています」
そして彼は、職場にいるもう1人のパン職人、2人のパティシエ、4人の販売員と本当の幸せを分かち合っているとも伝えられていた。
「これからどうなるかはまだわかりませんが、私たちは最高の賞に応えられるように全力で頑張ります。私にとっては一生に一度しか起こらない事なので、絶対に失敗しないようにあらゆる努力をするつもりです。本当に名誉なことです!」
ところが受賞の発表後から、ネット上で、彼はFacebookで反フランスやイスラム過激主義の立場を擁護していたと、批判が膨れ上がったのである。
ハッキングされたと主張したが・・・
アクルーさんのFacebookでの発信は、彼自身が問題発言するというよりは、物議をかもす過激な言動で有名なチュニジアの政治家の投稿や、真意は定かではない反フランスの発言をシェアしていたものだった(アカウントは現在は削除されている)。
上掲のツイートは、右半分で彼がFacebookで行った5つのシェアを紹介したものである。
ほとんどがアラビア語だが、彼がシェアしたものの中には、例えば「フランスは、植民地主義者の利益を守るために、私たちの国の退廃を促し、プロパガンダを行い、私たちを宗教やイスラムの価値観から遠ざけている」というものがあるという。
アクルーさんは自分のアカウントが「ハッキング」されたと主張して、被害届を出したと述べた。しかし、彼の弁護士はその後、「多くのインターネットユーザーと同様に、彼も過去にソーシャルネットワークに投稿されたコンテンツを、その内容を完全に理解せずにシェアしていた可能性がある」と述べ、事実を半ば認めたのである。
同胞のチュニジア系による批判
全体的に通常のフランスのメディアのほうが、アクルーさんの発した内容や、それに対する批判内容については、紹介するのに慎重になっている印象がある。
テロが身近な危機としてある国だから、憎しみが憎しみを生まないよう、注意しているのだろう。
むしろ詳しく報じているのは「世界中のチュニジア人のためのポータル情報サイト」と銘打つ『チュニス・トリビューン』だった。9月27日に、彼のFacebookのアカウントのスクリーンショット(上掲)を公開して、論争を詳しく報じた。その後も、事件の経緯を詳細に報じている。
『ル・フィガロ』も、自分たちでは内容を詳しく書かないが、このポータル情報サイトにリンクを飛ばすなどの方法で、間接的に伝えている。
同情報サイトがはっきりと述べているのは、驚くほどである。例えば以下のようにである。
「彼のFacebookのページでは、証拠がはっきり目に見えて、疑いの余地はない。反仏感情は彼の中にしっかりと根付いている。彼のアカウントでシェアされる内容を通じて明らかだ。
彼は少なくとも2019年以降、フランスに敵対する数十件の投稿を確かにシェアしている。彼のページには、フランスへの憎しみがはっきりと描かれている」と。
特に注目されているのは、彼がセイフッディン・マクルーフ氏というチュニジアの政治家を支持していたらしいことだ。物議をかもす人物で、2019年のチュニジア大統領選に出馬、約4%の得票率を得ている。履歴を見て簡単にここで紹介しようと思ったが、あまりにも理解不能であきらめた。この人物が奇妙なのか、政情や国情が奇妙なのか、筆者には判断がつかないからだ。
『ル・ポワン』というフランスの週刊誌によると、この政治家は、フランスがチュニジアを(現在)占領しており、石油を盗んでいると発言していたと、同情報サイトは伝えている。
筆者は、この「世界中のチュニジア人のためのポータル情報サイト」なるものを今回初めて知った。一見したところ、普通の情報サイトに見える。
主にフランス語で書かれており、製作はフランスで行われている。フランス語圏に住むチュニジア系が主だった読者なのだろう。
客観的な文体を一応保ちつつも、どうみてもアクルーさんを厳しく批判しているように見える。つまりチュニジア系の人々が、同じチュニジア系であるアクルーさんを批判していることになる。
おそらくアクルーさんがシェアしていた政治家は、当のチュニジア系にも好かれておらず、他の
投稿の内容も眉をひそめるものなのだろう。
さらに、別の理由もあるに違いない。
イスラム過激主義者がフランスでテロを起こすと、イスラム教徒がまっさきに「暴力反対」というデモを起こすことがある。それは「自分たちをテロリストと一緒にしないでほしい」という率直な意見の表明でもあり、かつ自分たちを守る方法でもある。このポータル情報サイトも、同じ感覚なのかもしれない。
アクルーさんに対する非難とは
この情報サイトから、フランス人のアクルーさんへの非難は、極めて厳しいものだったことがわかる。
例えば上掲のツイート左部分は、Pierrot Lという人物の意見の掲載である。
「マクラム・アクルーは、心の底から滲み出たフランコフォビア(フランス嫌い、フランス恐怖症)であり、陰謀論者であり、皮膚のあらゆる毛穴からフランスへの憎しみをにじませている」
またMichel Le Tallec Sという人物は、アクルーさんは「フランスはガス室を発明した、我々の石油を盗んだ、タリバンは親切だ、といった非難を掲載しており、イスラム過激主義のマクルーフ議員とその取り巻きを擁護している」と述べた。
さらに「私がマクロンだったら、彼のパンは絶対に食べない。その中に何が隠されているかわからないからだ。どうしてあのような人物が監視リストに載っていないのかと思うくらいだ」とさえ付け加えた。
さらにアクルーさんがシェアした内容の中には「人々はナポレオンに『オリエントのイスラムの、どの要塞がフランスにとって有益か』と聞いた。彼は『良き母親たちだ』と答えた。だから彼らの最初の戦いは、イスラムの女性を堕落させる(誘惑する)ことだった」というものもあったという。
ジャン・フランソワという人物は「マクラム・アクルーは全然フランス人ではない。彼は何年もフランスに唾を吐き続けている」とツイートした。
前例のない結末
これらのネット上の大騒動は、当然問題になった。
『ル・フィガロ』の報道によると、パリの第一副市長エマニュエル・グレゴワール氏は、もし本当にそのようなことが事実なら、「大統領府にパンを届けるのは課題となります」と語った。
しかし結局、マクラム・アクルーさんは、賞と賞品を受け取りに来なかった。代理人を立てたという。「彼は、自分が来る事が、必ずしも理想的な形ではないことを理解していました」と、グレゴワール氏は述べた。
そして10月4日、大統領府のサービス担当者は、『Le Parisien』紙に「エリゼ宮はこのムッシューに連絡をとっていません」と述べた。そして受賞者がエリゼ宮の公式パン職人になることは「自動的にそうなるものではない」と断言した。
このような決定は、1994年の賞の創設以来初めてのことだと言われる。
しかし、彼が2021年のベスト・バゲット賞受賞者であることは、そのまま維持されるということだ。
前半はアクルーさんの受賞の喜びの様子、後半は厳しいながらも楽しそうな審査の様子。1分27秒
彼のパンを愛した顧客の気持ちは
フランスでは、意外にパン職人は人手が足りない。
若者は、スター性や創造性が脚光を浴びる料理人やお菓子職人には憧れるが、朝早く起きなければならず、相対的に地味なパン職人には、あまり惹かれないのである。しかし需要は多いのだ。
父親もパン職人で、彼自身もパン職人であるアクルーさんは、フランスに必要な「技術」をもっている人物とみなされたから、滞在許可がおりたのだろう。そして、自分の店をもつ才覚もあったから、国籍も得られたのに違いない。
おそらく賞を取る前から、地元の人(の一部)では知られていたことと思う。毎日パンを買いに行く、とっても美味しいパン屋さんのご主人が、ネットで妙な発信をしている。あんなに愛想よく売っているのに、内心私たちを嫌っているのだろうかーーそういうことは、地元で噂になるものなのだ。
バゲットは日本の米と同じだ。パン屋さんは、フランスで生きる者にとって特別な存在なのだ。そのため受賞後、すぐにネット上で批判が広まったのだろう。
毎日毎日、フランス生まれのフランス人が店に来て、笑顔であいさつをしながらパンを買っているはずだ。上記のビデオにも出ているではないか。彼が手でこねたパンを口に入れて食べているはずだ。美味しいと褒めてくれたはずだ。それなのにこのような事を裏でしていたとは、みんなショックで裏切られた気持ちに違いない。
彼がフランスに来る前にどういう人生を歩んできたかがわからないので、断定はできないものの、個人的にはあまり同情できない。
確かに、旧植民地と宗主国は、大変難しい問題を抱えている。内容は違えど日本でも同じだろう。でも、成人後にフランスに来ているなら、自分の意志でやって来た可能性が高い。子供のころに本人の意志と無関係にフランスに連れてこられ、統合(同化)の苦しみを味わう2世とは違うと思う。
でも、賞を受け取って嬉しくて、名誉だと思った彼の気持ちも本心だったのだろう。今まで3回も優秀賞には入っており、グランプリ受賞は「偶然ではない」と、努力をうかがわせる発言をしている。
そもそも、一般論だが、南のほうの人たち、北アフリカやアラブ系の人たちのつくるパンは、硬すぎる。彼らの好みや伝統的な風土には合っているのだろうが、フランス人には焼きすぎなのだ。でもアクルーさんは、パリでグランプリに輝くパンをつくった。才能もあり努力もしたのは、疑いようがない。
それなのに、なぜこんなことに。
彼には教育が足りなかったのだろうか。もしチュニジアで育ったのなら、同国でもあまりしっかりした教育を受けなかったのかもしれない。
フランス国籍をとったのが本人の意志なのだけは、間違いない。そういう制度だからだ。それなのに出身国の、同国の人でさえほとんど支持しない「イスラム過激主義者」を見続けているとは・・・ただの憂さばらしだったとしたら、あまりにも愚かというべきかもしれないが・・・。
パン職人でなかったら、こんなに後味が悪くないのに。こんなにモヤモヤしないのに。「私たちは最高の賞に応えられるように全力で頑張ります!」と喜んでいたアクルーさんと職場の仲間は、今ごろ何を考えているのだろうか。