Yahoo!ニュース

単なるハードワーカーに非ず。ガンバで輝く石毛秀樹を支えるファジアーノ時代の経験と恩師の指導とは

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
2022年はノーゴールに終わったが、今季は本領を発揮し始めている。(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 2021年12月、ガンバ大阪に完全移籍した石毛秀樹。移籍一年目の2022年はノーゴールに終わったが、2023年3月8日のルヴァンカップ・京都サンガ戦で待望の、移籍後初ゴールをゲットした。「点を取ることもインテリオール(インサイドハーフ)の仕事だと思っている」と話す石毛は10代の頃から注目され続けてきた技術の高さに加えて、圧巻の献身性とプレー強度の高さでも存在感を見せている。技巧派からクレバーなハードワーカーへと変貌を遂げたのは、2017年にレンタル移籍でプレーしたJ2のファジアーノ岡山時代の経験がきっかけだ。奇しくも現在、京都サンガでヘッドコーチを努める長澤徹氏との出会いが、石毛を変えたのだ。

「バックアッパーになるためにやっているつもりもない」。石毛秀樹が口にしたプライド。

 京都サンガ戦では後半から投入され、試合を決定づけるチーム3点目をゲット。青黒のユニフォームをまとって決めた最初のゴールに「去年、点が取れなかったのが本当に悔しかったし、1点入って自分の中でもちょっと落ち着ける部分はあります」と安堵感を口にしたが、秘めたプライドも思わず口をついて出た。

 今季、就任したダニエル・ポヤトス監督が採用するフォーメーションは4-3-3。とりわけ中盤(インテリオールとアンカー)の3人は重要な役割を担っているが、ポジション争いも激戦区である。

 石毛の活躍によって、選手層の厚みが増していることを試合後に問われると、キッパリと言い切った。

 「選手の質の高さはこのチームにはあるし、あそこ(インテリオール)のポジションにも多く選手がいるのは分かっていますけど、バックアッパーになるためにやっているつもりもないですし、自分がリーグ戦で出ることを目標にやっている」

 根拠のないプライドではない。石毛の歩んで来たキャリアを振り返れば、「バックアッパーになるためにやっているつもりもない」というのは当然の決意表明だ。

 清水エスパルスのアカデミー育ちで2011年にはアジア年間最優秀ユース選手賞も受賞。クラブ史上最年少で公式戦デビューを飾った石毛は、2012年に18歳1ヶ月でナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でニューヒーロー賞も受賞するなど、10代から将来を嘱望されてきたタレントだった。

 マンチェスター・シティにも練習参加した逸材に、清水エスパルスは「王国の誇り 日本の夢」とのキャッチフレーズを与えたこともあったが、そのポテンシャルを考えれば、決して大袈裟な表現ではなかったはずだ。

石毛を変えたファジアーノ岡山時代の経験。長澤徹氏との出会いで得たものとは?

 しかし、10代で期待されたサッカー選手がその後、伸び悩むケースは日本のみならず海外でも決して珍しくはない。

 そんな石毛のサッカー人生を変えたのが2017年にレンタル移籍で向かったJ2ファジアーノ岡山での経験だったという。

 「上手いだけの選手じゃダメ。サッカーの本質である『走る』『戦う』『球際に行く』というのはもう一回見つめ直したし、そこでの出会いが本当に良かったと思っています。それを自分の中での絶対的なスタンダードにしようと、その当時から思い続けてプレーしているので、別に現代サッカーに合わせた訳ではなくて、徹さんにそうさせてもらったと思っています」。

 石毛が語った「徹さん」とは当時、ファジアーノ岡山を率いていた長澤氏のことだ。

石毛が「徹さん」と今でも慕う長澤徹氏。ファジアーノ岡山時代の出会いが今の石毛のベースになっている。
石毛が「徹さん」と今でも慕う長澤徹氏。ファジアーノ岡山時代の出会いが今の石毛のベースになっている。写真:アフロスポーツ

 ファジアーノ岡山でも当初、11試合ほどは試合に出られなかったというが、当時は「何で試合に出られないんだ」(石毛)と心の中で感じたり、「ミーティングで失点と何も関係ないところで、『お前がここでジョギングしているからだよ』(長澤氏)と言われて、最初は「何でだよ」と思っていましたけど、でもサッカーはそういうところなんだなと気付かされました」。(石毛)。あえて長澤氏が作り出した厳しい環境が、技巧派を自任していた男の意識改革を促したのだ。

 「本当にこれで終わると思ったんですよ、サッカー選手としての自分が……。J2にレンタルに行ったとしてもそこで試合に出られないとなれば、後は落ちていくだけだなと」

 2017年の一年と2021年の半年近くを過ごしたファジアーノ岡山への愛着は、何気ない日々の囲み取材の中でも、石毛の言葉から感じることがある。

 現在、ガンバ大阪からはプロ2年目の坂本一彩が、レンタル移籍で、ファジアーノ岡山に在籍。U-20日本代表でも活躍中だが「一彩はいいチームに行ったと思いますよ」と石毛は話す。

 抜群のキープ力とシュートセンスを持つ宇佐美貴史やスルーパスに長けた山本理仁、献身的な守備と空中戦が強みのダワンらインテリオールのライバルはそれぞれが明確な武器を持つが、石毛のそれは、がむしゃらなプレーと戦術理解度の高さである。

 「岡山の選手って本当に頑張るし、心を揺さぶられるものがあるんです。岡山の試合をまるまる1試合見てもらうと分かりますけど、監督が変わろうが選手が変わろうが、それが岡山のサッカーなので、見ている人がすごく熱くなれる。勝っても負けても最後まで戦うし、そういうものを僕も感じたし、そうならないといけないとも思いました」。

コンサドーレ札幌戦で決めたゴールは石毛の「悟り」がもたらした。

 ただ、熱さだけが持ち味でないことを石毛は、ガンバ大阪で初めて決めたリーグ戦のゴールで証明して見せる。

 3月18日のコンサドーレ札幌戦では2点を追う展開で、後半から投入されると追撃の狼煙となるゴールをゲット。J1では実に5年ぶりとなる得点は半田陸のクロスをダイレクトで合わせたものだったが、この得点にもキャリアで苦悩を重ねる中で得た「悟り」が凝縮していた。

 ファジアーノ岡山へのレンタル移籍を終え、清水エスパルスに復帰した石毛だが、右膝の内側側副靱帯損傷と前十字靱帯損傷で長期離脱。そんな時期にこんな思考に至ったという。

 「清水に戻ってから大怪我をして、そこで色々ともう一回考えさせられたというか。いい意味で自分の限界値が分かったんです。今のマックスの場所が分かったというか、だから変に試合中に固くならなくなった。脱力という感じではないけど、肩の力を抜いた状態でプレーできるようになりました」

 コンサドーレ札幌戦のシュートは一見すると、難なく決めた得点に見えるが利き足ではない左足でもたらしたもの。「GKの重心が分かっていたので、あまり早いボールを蹴らずにちょっと緩めのボールをゴールにパスをするつもりで蹴りました。僕はあれはシュートと思って打っていないので。それも全て、ガチガチになっていない自分がいるから、出来ることだと思います」(石毛)。

 泥臭さと激しさをベースに。しかし、技術の高さは忘れずにーー。かつてのアジア年間最優秀ユース選手は28歳を迎えた今、確実に悟りの境地にいる。

 4月15日に行われるアウェイの京都サンガ戦に向けて、石毛は言った。「京都はすごく球際も激しく来るし、走ってくる。本当に戦ってくる相手なので、自分たちがそこで相手を上回るぐらいちゃんと戦うことが出来れば」。

 恩師と慕う長澤氏の前で、石毛は戦う技巧派としてピッチに立つ。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

下薗昌記の最近の記事