顧客本位な営業や広告宣伝はあり得るのか
商品を売る工夫や努力は、商品を供給する側の立場において構想されざるを得ないものですから、どこまでも業者本位です。それに対して、顧客の真の利益を追求する顧客本位においては、商品は、顧客が商品に見出す価値に真に適うことをもって、自然に売れるものとなるはずですから、売る工夫としての営業や広告宣伝は原理的にあり得ないわけです。
金融庁のいう顧客本位
顧客本位という言葉が急に大きな意味をもつようになったのは、金融庁が顧客本位を重要な行政課題として掲げて、非常に熱心に取り組み始めたからです。具体的な施策としては、投資信託等の販売や運用管理に関わる金融機関に対して、顧客本位に基づく行動原則の徹底を求めたということです。
行政施策である以上は当然のことですが、金融庁のいう顧客本位は、日常語や常識としての意味ではなく、金融機関経営において、自律的に定められた行動原則に基づいて厳格に履行される規範の意味です。それは、確実に履行される規範である以上、実態のない言葉だけの標語や、努力目標や、理想や理念や、ましてや営業上の虚飾とは全く異なり、現に事実として守られ、未来に向かっても守られ続ける顧客に対する絶対的な確約なのです。
ただし、顧客本位は、金融庁から行動原則として具体的に提示されてはいても、法律等のルールによって金融機関を強制するものではありません。それは、いわゆるソフトローであって、金融機関自身が自らのプリンシプル、即ち行動原則のもとで定めて、自ら遵守するものです。つまり、コンプライ(準拠)するのは金融機関の自由、しないのも自由ですが、準拠しないなら、その理由をエクスプレイン(説明)しなければならない、ただ、それだけのことです。
しかし、それでは、コンプライすることの利益誘因が金融機関にない限り、施策としては機能しない可能性があります。まさに、そこが究極の論点なのです。
顧客本位に徹することが金融機関の利益になるのならば、最初から顧客本位は徹底されているはずですから、改めて金融庁の施策として顧客本位をいう必要などありません。そこで、金融庁が無意味なことをするはずもないとすれば、論理的には次のように考えるほかないのです。
第一に、業者の視点において、顧客本位に反することの利益のほうが大きいのならば、結果的に、顧客本位よりも顧客本位でないほうが事業戦略として選択されてしまうこと、第二に、顧客の視点において、自己の心情的、あるいは感覚的満足を追求すれば、非合理な選択行動となり、結果的に、自己の利益に反する、即ち、顧客本位に反する商品が売れてしまうこと、そして、第三に、第二の点は、顧客満足に表層的におもねることが業者の利益になる可能性を意味し、第一の点につながることから、二つは同じことの二面になっていることです。
顧客満足と顧客本位の違い
顧客満足と顧客本位との違いは、ギャンブルを考えれば、すぐにわかります。ギャンブルほど、顧客満足が高く、同時に、顧客の真の利益を損なうもの、即ち、顧客本位に反するものもありません。タバコもそうです。
金融でいえば、カードローンの問題があります。貸すほうが顧客満足は高いですが、いつか過剰債務は真の顧客の利益に反しますから、顧客本位のもとでは一定限度以上は貸せなくなります。また、投資信託では、毎月の分配金があるように設計されたものは人気がある、即ち、顧客満足が高いとされているのですが、分配金の原資が元本である場合も多く、真の顧客の利益に反しているとみられる事例があります。
その他、自分の頭で真剣に考えていただければすぐにわかりますが、顧客満足と顧客本位の矛盾は、たくさんあります。表層的な満足感情に訴えて、もっと露骨にいえば顧客の合理的判断を停止させて、商品を売ることは、商業の全ての分野にみられることなのです。
顧客本位とは、そうした顧客満足の創造をやめて、顧客の理性に訴えることで、真の顧客の利益を気付かせ、真の需要を発掘することなのです。顧客満足が感性に訴えて顧客を不合理な行動を誘うことなら、顧客本位は理性に訴えて顧客を合理的な行動に導くことです。
賢い投資家
そこで、金融行政の課題は、顧客満足から顧客本位への転換に収斂していきます。なぜなら、経済の需要優先の論理に従えば、まずは顧客の視点が重要だからです。
例えば、投資信託については、賢い投資家といいますか、自己の資産形成を合理的に考えて選択行動できる投資家が増えれば、結果的に、金融機関の経済合理的な事業戦略判断としても、顧客満足におもねることよりも顧客本位に徹することによって、より大きな利益が期待されることから、そこに利益誘因が生じるというわけです。
そして、ひとたび金融機関の事業戦略が転換されれば、顧客本位を徹底すればするほど利益が大きくなるように、商品政策や販売政策が決定されるに至るでしょうから、結果的に、賢い投資家を育てる方向へ利益誘因が生じます。賢く育った投資家は、表層的な満足ではなく、経済合理的な資産形成を心がけますから、ますます顧客本位に徹する金融機関が選ばれるようになります。
こうして、最初に顧客本位への小さな飛躍がなされさえすれば、その後は、累乗的効果によって革新が進行する、これぞ金融庁のいう好循環の実現です。つまり、金融庁の施策の対象は、もはや金融機関ではなくて、金融機関の顧客、即ち、国民なのです。安定的な資産形成のために国民を賢い投資家にしていくこと、それが今の金融庁の政策課題です。
賢い消費者
国民を賢い投資家にしていく努力は、通常、投資教育、あるいは金融教育といわれています。しかし、教育といえば、愚民観を前提とした啓蒙的な印象がありますし、政府の施策として国民を直接に導くようなことは、民主的な資本主義国家である日本にはなじまないことです。
そこで、金融庁は、市場原理に立脚し、利益誘因によって、顧客本位が自然に実現することを目指しているのです。ソフトローとしての顧客本位は、規制による改革のためではなく、全く逆に規制なしの市場原理による改革のために、最初の一手として打たれたものにすぎません。石は最初の一押しで自律的に転がり始める、逆に、最初の一押しなくしては転がらないのです。
従って、この最初の一押しを除けば、顧客本位の貫徹は、金融行政と関係なく、市場原理に従う自然な展開だということですから、賢い消費者のあり方が問われる限り、金融以外の全ての領域で一般的な意味をもつのです。
そして、日本のように高度に成熟した社会では、事実として、消費者は賢くなっていて、もはや昭和の時代のような表層的な顧客満足に訴える商法は有効ではないのですから、顧客本位が構造改革による成長戦略に対してもつ意味は大きいと思われます。
営業や広告宣伝の意味
顧客本位のもとでは、営業や広告は全く違ったものになるはずです。論理的に、賢い投資家にとっては、商品が先にあるのではありませんから、営業や広告等の感性に対する外在的な刺激により受動的に需要が喚起されることはなく、自己の合理的な思考から内在的に需要が生じ、その需要に適合する商品を能動的に探して購入することになるからです。
そこで、商品を探す検索機能が重要になるのですが、そこへ検索に適合したインターネット革命ですから、顧客本位への転換は、着実に、また累乗的に進行しているのです。
しかし、そのインターネットのなかでは、伝統的な商品の営業と広告も展開されていて、極めて表層的な顧客満足の開発も行われています。そして、何よりも問題なのは、商品情報の正確性の保証がないことですし、仮に正確でも、必ずしも、顧客本位に、即ち、顧客の選択の視点に立って、提供されているわけではないということです。
ましてや、インターネットの外の伝統的媒体を通じた広告のあり方や、膨大な数の営業職の人が電話をし、外交し、見込み顧客を呼び込む姿は、強引な需要創造のための表層的な顧客満足の追求として、昭和の時代と少しも変わりがないようにみえます。
経済不振の背景
検証の必要なところですが、結果的には、そうした現状は長期的な経済の低迷につながっているのだと思われます。
大雑把な見通しとしては、インターネット上の顧客本位は、ほぼ全て価格の低下に収斂し、顧客本位一般としては、賢い消費は単なる消費量の減退につながっているようにみえます。結果として、価格と数量の並行的下落が金額の縮小に累積的に働いて、悪しき縮小循環をおこしているわけで、もはや未来への成長はありそうもないのです。
他方で、伝統的な顧客満足を追求する営業や広告も、顧客本位性を欠くことによって真の需要をとらえることができていないので、多くの経費を投入する割には事業を持続的な安定成長軌道に乗せることができないという悪循環のもとにあるようです。ここにも未来への絵はないのです。
要は、表層的な顧客満足を狙った商品開発や販売政策のもとで、積極的な営業や広告を展開することによって需要を創造する努力は、もはや限界にきている、逆にいえば、そうした戦略が有効に機能し得ない程度に顧客は賢くなっているが、その賢くなった消費者に対して単に商品を提供するだけでは、価格の問題に収斂してしまい、利益のでないところまで価格は下落していく、ここに深刻な問題があるのです。
顧客本位の徹底で営業と広告はなくなる
顧客本位が間違っているということは、あり得ないのです。顧客の真の利益を追求することは絶対に正しいことであり、その正しいことをして事業がうまくいかない、経済が成長しないということもあり得ません。ならば、答えはひとつ、顧客本位の徹底が足りない、いいかえれば、商品本位の発想からの転換ができていないのです。
発想の転換を行えば、商品が先にあって、そこに顧客を導く営業行為はなくなって、顧客が先にあって、そこに顧客の利益に真に適った商品を導くコンサルティングに代替されるでしょう。この方向を徹底すれば、営業組織も、人事考課も、商品政策も、店舗の機能も、インターネットの役割も、全てが根本的に変わります。逆に、そうした抜本的改革をしない限り、顧客本位による成長戦略は実現できません。
そのとき、広告宣伝はどうなるか。賢い消費者を前提にして、全ての商品に関する正確な情報が完備した公共財としての検索プラットフォームができれば、これまでの広告宣伝は不要になり、更には顧客を意図的に誘導するものとして有害となります。そのとき、広告業界として生き残りたいなら、新しい広告宣伝のあり方を工夫すればいいだけのことです。
新しい広告宣伝が何であれ、それは、需要を創造するものではないこと、感性ではなく理性に訴えるものであること、顧客の真の利益になる情報を伝えるものであること等、これまでの広告宣伝にない属性をもつものでなければならないでしょう。