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競泳シンデレラガール鈴木聡美 本当の強さはここに

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表

ロンドン五輪で、一躍、世界トップスイマーへと駆け上がった鈴木聡美(ミキハウス山梨)が、今年も安定した泳ぎで、日本女子平泳ぎを牽引している。昨年のロンドン五輪を振り返ってみると、初出場で力を発揮できない選手が多い中、鈴木は、しっかり地に足をつけて、マイペースを貫いていた。その姿が印象的だった。彼女にとって五輪1種目目となった100m平泳ぎ決勝では、スタート前のアクシデントにも動じることなく、銅メダルを獲得。続く200m平泳ぎでも、抜群の安定感を発揮、貫録すら感じさせる泳ぎで、銀メダルに輝いた。最終日の4×100mメドレーリレーでは、日本チームの第2泳者・平泳ぎとして、重責を果たし、見事、銅メダル獲得に結び付けた。

アクシデントにも動じず笑顔

五輪では、際立った出来事があった。銅メダルを獲得した100m平泳ぎ決勝前に起きたスタート直前のアクシデント。スタートは、「take your mark」の号令後、電子音が鳴り、選手は飛び出す。しかし鈴木が経験したレースでは、スタートの構えをしたものの、「take your mark」の号令がないまま、いきなり電子音が鳴ってしまった。中には、スタート台でバランスを崩し、プールへ落ちてしまう選手もいた。

機械の故障のため、決勝レースを仕切り直すまでに数分を要し、選手たちは、プールサイドで、競技再開を待つことになった。大舞台でのアクシデント。きっと動揺しているだろうと心配したが、テレビに映った鈴木を観た瞬間、驚いた。笑顔で、その時を待つ、彼女の姿があったのだ。他の選手たちは、明らかに動揺し、顔が引きつり、苛立ちを抑えきれないかのように、体を大きく動かしていた。その対照的な表情に私は、「良いパフォーマンスが出来そうだな。」と、直観的に思ったのを今でも覚えている。

その時のことを彼女は、「五輪の舞台でも、こんなことがあるんだと思ったら、笑ってしまった。でもお父さんから、五輪では何が起こるか分からないぞ、と言われてたので・・・。」と、のんびり口調で、他人事のように振り返った。

どんな状況でも、環境でも、マイペースを貫き通し、力を発揮できる精神力・・・それが、鈴木の強さである。

「滑るように泳ぐ」技術力

鈴木は、精神面だけではなく、技術面にも優れた強さを持っている。平泳ぎとは4種目の中でただ一つ「一瞬止まる泳ぎ」である。腕を掻くために胸から上を引き起こすことで水の抵抗を受けるだけでなく、水中でキックするために膝を曲げることで太もも前面部にも水の抵抗がかかる。そこでカギを握るのが、水中で体を一直線に保つ「ストリームライン」と呼ばれる姿勢である。ストリームラインを作ることで水の抵抗を受けにくくなり、スピードが増すだけでなく、体力を温存することができるメリットも生まれる。多くの選手は、出来る限り、水の抵抗を少なくしようと、フォームの研究をしている。

そこで彼女の泳ぎに注目してみると、呼吸の際、水上に顔を上げている時間が、他の選手よりも短いことに気が付く。その時間が短いと言うことは、上半身に受ける水の抵抗が少なく、ストリームラインを保っている時間が長いということになる。鈴木は、抵抗と上手に付き合える技術を持っている。

しかし初めから、呼吸をワンテンポ遅らせる抵抗の少ない泳ぎをしていた訳ではない。山梨学院大学水泳部の神田忠彦監督との出会いから、彼女は、大きく変化した。実は、私も小学生の時期に、神田監督と出会い、約15年の指導を受け、一緒に世界を目指してきた。監督は、シドニー五輪からロンドン五輪の鈴木まで、4大会連続で選手を輩出している名将だ。短期間で、選手の長所と短所を見抜き、アドバイスを送る名人でもある。

鈴木も神田監督の指導を受け、フォーム改革に着手。長年、体に染みついたフォームを改革するのには時間がかかる。アドバイスを受けても、なかなか自分のものに出来ず、躓いてしまう選手が多い。実際、私もそうだった。無重力の水中で体を自由自在に動かし、形作っていくのは、とても難しい。しかし鈴木は、すんなりとフォーム改革に取り組み、現在の泳ぎを手にすることが出来た。神田監督は、「アドバイスをしたら、すぐに出来るようになる。3カ月もすれば、自分のものにしてしまう。」と話していた。彼女は、アドバイスの理解力、それを体で作り上げる表現力に優れている。

弱点であった腕や体幹の強化にも着手した。一日に懸垂を120回したこともある。その効果から、腕に筋肉が付き、力強い腕の掻きが出来るようになった。地道な基礎体力作りから、水中でもブレない強固な体幹も取得することが出来た。

水上に顔を上げ呼吸する時間が短いフォームでは、息をする時間が少ない。呼吸が苦しくなるデメリットさえも吹き飛ばす、強い肺を苛酷な練習で作り上げた。地道な努力と日々の積み重ねで、鈴木が理想という「滑るように泳ぐ平泳ぎ」を体現している。彼女の泳ぎは、氷の上を滑るスケート選手のようにスムーズなのだ。

大きなターニングポイント

そんな鈴木だが、五輪前の2011年は、なかなか思うような結果を出すことが出来ず、我慢の時期を過ごした。同年に開催された世界選手権(上海)では、期待されながらも、予選敗退。大きな挫折を味わった。しかしこの失敗が、大きなターニングポイントとなった。

神田監督と相談し、ある取り組みを開始したのだ。体重管理である。鈴木は、大学入学から一人暮らしを始め、体重が約5キロ増加、泳ぎに影響してしまった。そこで栄養士に相談。全面的に食生活を見直した。一時は、「お腹が空いて泳げません」と訴えたこともあったそうだ。

オフの翌日、0.8kg体重が増加していると、通常の練習後に100m30回の増し練習を行った。時には、1回の練習で1万メートルを超える日もあった。長距離選手の練習であれば、1回で1万メートルを超えるのは珍しくないのだが、平泳ぎの選手が、ここまで追い込むのは、世界をみても、例を見ない。

耐え抜くことが出来たのは、彼女の五輪へ向けての強い気持ち、そして何よりも、指導者である神田監督に対しての信頼関係の賜物だった。初めは、苦しかった増し練習も、「ただ体重を落とすだけでなく、この練習をしていれば、200m後半の持久力も付く!強くなれる!と前向きに取り組めました。」とポジティブに話す。

手ごたえを感じ始めたのは、ダイエットを始め4カ月が過ぎた頃。泳いでいて、体が軽く、練習でもレベルの高いタイムで安定した。気づくと、半年で約6キロの減量に成功。その成果は、ロンドン五輪国内選考会をはじめ、本番のロンドン五輪の舞台で、見ることができた。現在でも、食事の摂取方法やウォーキングなどを積極的に行い、甘いものが食べたくなっても、飴玉一つだけを口にするなど、食生活には気を配り、コンディション維持に努めている。

練習拠点である山梨学院シドニー記念水泳場にて
練習拠点である山梨学院シドニー記念水泳場にて

信じた道をまっすぐ進める素直さ

鈴木には信じた道を迷わず、疑うことなく、真っ直ぐに突き進める素直さがある。それを感じたのは、彼女が山梨学院大学に入学したときのことだ。山梨学院大学水泳部OGの私は、練習見学に行った。練習中だった彼女は、いきなりプールから上がり、プールサイドで見学していた私の元へやってきて、「私、もっと強くなれますか?」と真剣に質問を投げかけてきた。私は突然のことで、驚き、ポカンとしてしまったのだが、「頑張って努力していれば、もっと強くなれるよ!」と話すと、コクンと頷き、再び練習へ戻っていった。その時の真っすぐな彼女の強い目力に、圧倒された。

また、記録や成績が伸び悩む時期には、自分自身への失望と共に、指導者への不信感が湧き上がってくることがある。私は、中学3年生で樹立した自己ベストタイムが、4年間更新できなかった。記録が伸びない苛立ちや不信感を、神田監督へぶつけ、反抗してしまった経験も。「本当にこの練習でいいのかな。」と、自分自身で乗り越えなければならない壁を指導者の責任に転嫁してしまった。当時を振り返り、神田監督から「聡美と違って、智子は、やりにくい選手だったなぁ~(笑)」と話された時には、申し訳ない気持ちでいっぱいになった(笑)。

鈴木は、どんな状況になっても「速くなるために。強くなるために」指導者からの練習やダイエット計画を受け入れ、真っ白な気持ちで突き進んだ。

疑うことを知らない素直なアスリート、それが鈴木聡美なのだ。

世界選手権でもチャレンジャー魂を

今年のビッグイベントは、7月に開催される「世界選手権」。ロンドン五輪以降では、1年ぶりの国際大会の舞台となる。リオデジャネイロ五輪で「金メダルを目指したい」と目標を定めた彼女に迷いはない。3年後に向けて、スタートとなる今年。大きな舞台で経験を積むことで、新たな課題を見つけ、現状を把握することができる。そして、世界でライバルを見つけるチャンスとなる。

その一方、ロンドン五輪前までとは、違った状況になるのは間違いない。五輪メダリストとして挑むことで、他国の選手からはマークされ、追われる立場となる。彼女自身、背負っているものの大きさに気づくかもしれない。でも忘れないでほしい。ロンドン五輪レース前に見せたあの無邪気な笑顔、そして、チャレンジャー魂を。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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