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ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事に見る、理想的な夫婦の形

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
最高裁判事就任時のルース・ベイダー・ギンズバーグと夫マーティ(右からふたりめ)(写真:REX/アフロ)

 女性、有色人種、LGBTQの権利のために闘った米最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなった。女性というだけでどこの弁護士事務所も雇ってくれなかった時代にロースクールを卒業し、アメリカ自由人権協会(ACLU)とともに不平等な法律をひとつずつ変え、史上2番目の女性として最高峰に上り詰めた彼女がアメリカ社会にもたらした功績は、とてつもなく大きい。

 だが、彼女は決してキャリアだけに生きたわけではない。若くして最高の男性に出会い、結婚し、ふたりの子供にも恵まれ、死ぬまで愛し、愛されて添い遂げたのである。その夫マーティン・ギンズバーグ(通称マーティ)がいなければ、彼女が自分のやりたいことを全うできることは、おそらく不可能だった。それはつまり、アメリカ社会にとって大きな損失を意味したことになる。彼女のレガシーを語る上で、時代の先を行った理想的なこの夫婦のあり方は、だから、非常に重要だ。そして、感動的でもある。だからこそ、2018年に公開されたドキュメンタリー「RBG 最強の85才」も、彼女の若い頃に焦点を当てたフェリシティ・ジョーンズ主演の「ビリーブ 未来への大逆転」も、そこにスポットを当てているのだ。

病める時も健やかなる時も支え合う

 ふたりは、コーネル大学在学中に、ブラインドデートで出会った。当時ルースは17歳、マーティは18歳。しかし、マーティいわく、ブラインドデートだと思っていたのはルースだけで、実は彼女をかわいいと思っていた彼が友達に頼んで仕組んでもらったのだそうだ。2度ほどディナーをした後、マーティは、ルースの飛び抜けた頭の良さに気づき、なおさら惹かれるようになっていった。「私の頭の良さを気に入ってくれた男性は、マーティが初めてでした。50年代において、それは稀なこと。悲しいことに、当時、同級生の女性たちは、頭が良いのをあえて隠そうとしていました。マーティは自分に自信があり、自分をよく知っていたので、そんなことに恐れを感じなかったのです」と、ルースはドキュメンタリーで語っている。

 結婚し、長女を生んだ後に、夫と同じハーバードのロースクールに通うと決めたのも、マーティが支持してくれたからだった。「彼は、私たちが出会った時から、女性の仕事は、それが家の中であれ、外であれ、男性と同等に重要だと信じていました。このすばらしいパートナーの努力なしに、私が今ここにいることはありえません」と、ルースは、最高裁の指名を受けた時に述べている。しかし、彼女も、支えてもらうばかりではなかった。ロースクール在学中、マーティが癌と診断されると、彼が学業を続けられるように、彼女はマーティの分も授業のノートを取り、タイプして彼に渡してあげている。その間、自分の授業も受け、2歳児の世話もしたのだ。

 彼が病気を克服し、卒業して、ニューヨークの法律事務所で働き始めると、家族一緒にいられるよう、彼女もニューヨークにあるコロンビアのロースクールに編入した。その後しばらく、家のことはルースが主にこなしていたが、彼女がACLUと一緒に不平等に対して闘いを始めると、その重要さを理解したマーティは、率先してその役割を担うようになる。とりわけ料理は彼の専門になった。そもそもルースは料理が大の苦手で、関心もなかったのだ。ドキュメンタリーでも、長男は「母の料理のせいで今でもメカジキが食べられない」、長女は「14歳になるまで生野菜を食べたことがなかった」と、彼女の腕前のひどさを語っている。観衆を前にしたスピーチで、マーティが「うちの子供たちには味覚というものがありますので、わが家ではルースがキッチンに入ることを禁じております」と笑いながら言うシーンもある。その隣でルースが照れくさそうに笑っているのも、なんとも微笑ましい。そんなこともあり、ギンズバーグ家のキッチン事情は有名で、昨年春までL.A.のミュージアムで開かれていた彼女の回顧展でも、“マーティのキッチン”のレプリカが展示されていた。

妻が最高峰に上りつめるのを見るのは「本当に素敵なこと」だった

 最高裁の席がひとつ空いた時、ルースが選ばれるよう、誰よりも尽力したのも、マーティである。「彼女は少なくとも候補には上がるべき。そうでないのは考えられないと、マーティは本当に熱心だった」と、彼女を指名したビル・クリントンも、ドキュメンタリーの中で語っている。実際に彼女が選ばれると、彼は誇りでいっぱいで、妻のほうが成功したことに対する嫉妬など、微塵もなかった。周囲にも「妻が良い仕事をもらえたからワシントンD.C.に引っ越すんだ」と、冗談交じりかつ嬉しそうに話していたそうである。

 そんなマーティは、再び癌を患い、2010年、この世を去った。死が迫ったある日、ルースは病院のベッドの横に、自分に宛てた手紙を見つける。そこには、「最愛のルースへ。両親、子供たち、孫たちを除き、僕が人生で愛したのは君だけです。君が法曹界のトップに登りつめるのを間近で見られたのは、本当に素敵なことでした。56年前、コーネル大学で初めて会ったその時から、僕はいつも君を尊敬し、愛してきました。でも、僕には、この世を去る時が来てしまったようです」とあったという。

 それからの10年、ルースはずっと、マーティへの愛を胸に抱いて仕事をがんばってきた。ドキュメンタリーを作ったベッツィ・ウエストとジュリー・コーエン共同監督は、完成作をルースに見せる時、マーティが出てくるシーンを見るのは彼女にとって辛いのではないかと心配したが、「彼が出てくると、彼女の顔がぱっと明るくなった。マーティという名前が出るだけで、彼女は微笑むのよ」と、筆者とのインタビューで語っている。

 彼に会えるのは、たとえスクリーンを通してであっても、彼女にとっては嬉しかったのだ。その彼はきっと、天国の入り口で彼女を待っていてくれたことだろう。今ごろ、ふたりはどんな思い出話をしているのだろうか。積もる話はたくさんあるだろうが、急がなくてもいい。これから、またずっと一緒にいられるのだから。この地上ですばらしいお仕事をしてくださって、本当にお疲れさまでした。ご冥福を心よりお祈りいたします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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