Yahoo!ニュース

「スピードスター」から「スキップ」へ。新球団・福岡北九州フェニックス監督、西岡剛の挑戦

阿佐智ベースボールジャーナリスト
試合に勝利し、ナインを迎える福岡北九州フェニックス・西岡剛監督

「いいように書いてくださいよ。僕、メディアで評判悪いんで」「スピードスター」西岡剛は笑顔で取材に応じてくれた。

 NPBで首位打者1回、盗塁王2回。所属したロッテ、阪神で3回日本シリーズに出場し、うち2度これを制している。さらには日の丸を背負って2度国際舞台にも立ち、2006年のWBCには世界一の栄冠を手にし、メジャーでもプレーした。

 そんな西岡が、現在独立リーグでプレーしている。

「理由なんかないですよ。野球が好きなだけです。やめたくなったら、やめるだろうし(笑)」

 「引退」という言葉がそもそも頭の中にないという。阪神退団後の2019年に独立リーグの世界に足を踏み入れたときには、NPBへの復帰を口にしていたが、今はそれもどうでもいいという。

「もうね、野球が僕の生活の一部なんです」

 昨年までルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレー。そして昨オフ、ヤマエ久野九州アジアリーグにできた新球団・福岡北九州フェニックスからオファーを受け、監督に就任することになった。もちろんプレーも続行している。

試合後、インタビューに応じてくれた。
試合後、インタビューに応じてくれた。

クラブミュージックの真意

 試合前練習。フェニックスナインの打撃練習中、ビジターゲームにもかかわらず、球場にはクラブミュージックが響き渡っていた。本拠地開幕戦で物議を醸した例のやつだ。フェニックスの攻撃中始終流れていた大音響に周辺住民から苦情が殺到したという。さらに、一部メディアが西岡のこの奇抜とも言える応援スタイルに対する発言を、従来の笛や太鼓での応援を否定したかのように取り上げたため、西岡に対するバッシングが「炎上」した。

 しかし、西岡は意に介していない。

「良かったでしょう(笑)。もちろん笛や太鼓で応援してくれているファンの方々にも感謝していますよ。でも、あれもNPBの満員のスタンドやれば迫力も出ますが、太鼓の音がトントンと続くのはちょっと変えてもいいんじゃないかと思ったんです。決して否定しているわけじゃないんですけどね。すでに応援団があるチームはそれでいいと思うんです。でも僕たちは、今年1年目なんで、応援団というかたちではなくて、スピーカーで音楽を流したほうが、ファンの人も乗りやすいし、飽きないんじゃないかと。野球も興業だから、プロデュースしてみたということです。ゼロから立ち上げたんなら、新しいものをつくったほうが面白いだろうと思って。実際、選手も見てのとおり、ワイワイやっているでしょう」

 練習終了後、フェニックスナインはベンチ裏に姿を消した。スタンドに響いていたクラブミュージックは、今度はロッカールームに場所を移してなおも響き渡った。その後、フェニックスたちは試合開始までフィールドに出てくることはなかった。

選手たちとはフラットな関係を心がけているという。
選手たちとはフラットな関係を心がけているという。

独立リーグで実践する「西岡流」

 フェニックスは試合前のシートノックは基本的にしない。選手の疲労を考慮しての西岡の方針だ。野球の最高峰、メジャーリーグでの経験も踏まえた上でのことだ。

「日本の野球は効率が悪いと思っていました。向こうではむしろシートノック無しが普通でした。僕の中で効率よくしたいんです。試合前にバッティングして、守備練習もして、それからお弁当を食べて、もう一回ノックのために10分だけグラウンドに出てきて、またロッカーに下がって…。それだったら、練習をぶっ通しでやって下がる。それからはゆっくり休んで、ゲームに入るというふうにしたらいいのではないでしょうか。もちろんその分、普段の練習量は増やしていますよ」

その方針はキャンプでも徹底していた。新球団ということもあり、フェニックスは同じ九州アジアリーグの2球団より短い準備期間しかもてなかった。西岡はライバルの半分の準備期間という現実を前に、チームを急造することより、選手たちに怪我なくシーズンを送らせることを優先した。

 キャンプでは、トレーニングは朝5時半開始。いわゆるアーリーワークではなく、全体練習が早朝から始まるのだ。ウォームアップに始まり、ウェイトトレーニング、フィールドでの練習を含めたすべてのメニューが終了するのは、午後1時。その後の練習は「禁止」だ。練習禁止など、日本の野球界にはありえないことだが、アメリカ、とくにマイナーでは普通のことである。フィジカルトレーニングを含めた練習メニューはトレーナーにより管理され、ウェイトトレーニング場には選手が勝手に入れないようになっている施設さえある。「これがNPBでもいいかというと、それはわかりませんけど」と断りを入れながらも西岡は自身の流儀についてその真意を語る。

「独立リーガーたちはオフの間バイトをしているんです。だから、なかなかきっちりとは練習できない。そこでNPBと同じような量をこなしてしまうと脱落者が出るだけです。ガンガン負荷を与えても怪我をするだけですよ。そういう悪循環にならないように考えた結果が、皆さん、昼からは寝てくださいということです。朝からしっかりウエイトして、昼寝というのが一番筋肉の復活する力が強いんです。30分から40分の仮眠が重要なんです。そういうことは、選手を集めてミーティングで伝えています。

 ここの選手たちは、スカウトの前でいいとこ見せてなんぼ。もちろん技術力アップのために反復練習の量もこなさないといけない。でも試合で100%の状態で動かせないと、NPBにつながらないでしょう。練習で疲れ切った状態で試合に出て最大のパフォーマンスが出せないなんてことはナンセンスです」

新しい監督像「スキップ」

試合前練習。マットに寝ころびながらサインの確認
試合前練習。マットに寝ころびながらサインの確認

「トレーニングにしても練習にしても、僕自身が動いて見せられるので、指導だけの監督とは違って、伝えやすいです」

 西岡を見ていると、日本野球で語られてきた従来の監督像と重なることはない。その姿は、今話題の日本ハムのBIG BOSS・新庄監督とも重なる部分があるが、それ以上に選手との距離が近いように感じる。西岡は、自らの存在を「スキップ」と表現する。アメリカで監督を指す言葉としてよく使われる言葉で、「艦長」を意味する「Skipper」の略語である。「Manager」より選手との距離が近いイメージだ。

「僕は『監督』という言葉なんか別に要らないと思っているんです」

と西岡は言う。

「日本では『監督』という言葉がすごく高い位置にあるように感じるんです。日本の野球文化では、とくにプロ野球では、監督という存在がすごく閉じられた状態にあって、選手との間にコーチ陣が入ってやり取りをするという感じですよね。だから選手は監督としゃべりづらかったりする。監督に本音で話せない、その結果、怪我しても、痛いのを隠すみたいなことになるんです。でも僕自身、まだ37歳。監督1年目でまだ右も左も分からない。どういうふうに野球できるかというのを伝えるために、選手たちと同じ立場に立ってみたいなと」

 そういう西岡の指導者像が如実に表れていたのが、試合前練習の最後のシーンだった。クールダウンを終えた選手たちがストレッチを行っていたマットの上に西岡が入って行って、一緒に寝そべりながら何やら話しかけていたのだ。何を話していたのかを尋ねると、西岡は笑いながら明かしてくれた。

「サインの確認です。みんながストレッチしていたので。わざわざミーティングを開くこともなかなと。寝転びながらでもいいでしょう」

「しんどい」日本の野球から脱却したいというのが西岡の考えだ。

「日本の野球選手は、中学・高校と走り込みさせられて、ユニフォームを着るのはイコール、今からしんどいことをするというふうに刷り込まれています。それを変えたいんです。みんな最初は公園で野球を始めて、楽しいと感じた。その延長で野球を続けているんでしょう。だから、選手たちには、野球を楽しんでやろうという感覚でグラウンドに来てほしいんです。

 日本では、試合後によくベンチでミーティングやりますよね。試合が終わって、選手は頭が疲れているのに、そこに追い打ちを掛けるようにあれこれ言ってしまうと、もっと疲れる。それは僕も経験してきましたから。それより一回寝て、次の日に呼んで、お互いが冷静になってからいろいろ指摘してあげる方がいいんじゃないですか。選手たちだって、寝るまでにその日の試合のことというのは振り返ると思うんです。

 西岡といえば、高校野球の強豪、大阪桐蔭高校出身である。この学校を今なお率いる西谷浩一監督は、春夏合わせて8度の甲子園制覇を成し遂げた高校野球史に残る名将である。西岡もまた高校時代、西谷の薫陶を受けている。しかし、今回フェニックスの監督就任に当たり、西谷を含め、理想とする監督像はないと西岡は言う。

「ここは独立リーグです。高校野球の監督になればまた違うスタイルになるし、大学・社会人でもその状況に応じて、環境に応じて監督像というのは変わると思うんです。NPBになれば勝つことだけを考えて、選手を動かすでしょう。その場所、環境によって監督像というのは全く違う。

 独立リーグ全チームを見ていても、NPBのOBの人たちが監督になっていることが多いですが、みんなNPBの監督像を目指しているんですよ。でも、選手のレベルが違いますから、やっぱり若い独立リーグの選手はついてこれない。僕はそれを栃木ゴールデンブレーブスに3年間で学びました。そういう意味では、栃木の独立リーグでの経験めちゃくちゃ大きいですね。

 今は、NPBと独立リーグをうまくミックスして、頭の中をフレッシュな状態にして選手たちには野球をやらせてあげるというのをテーマにして取り組んでいます。だから、今まで仕えた監督さんをまねるとか、見習うというのは全くないですね。新しい監督像を模索しているんです。

 僕自身、小さいときから、野球をしてきたんですけれども、ずっと監督がどういうプレーをしたら喜ぶだろうと思いながらプレーしていたんです。つまり、自分が監督だったらこうするなと思いながら、野球をずっと見てきたつもりです。今、監督いう立場にようやくなって、ずっとそう思い続けてきたものをかたちにして選手たちに伝えている段階ですね。もちろん、野球には答えがないので、うまくいくかどうかは分からないですけど」

 西岡が今相手にしているのは、自分とふた回りほども違う若い選手たちだ。サイクルの早い最近は5年も年齢が違えば、ジェネレーションギャップを感じるという。30代の若い指導者も、自身が経験してきたタテ関係の論理を持ち込むとチームが上手く機能しなくなるという。野球界の頂点を知っている西岡も、「NPB未満」の独立リーガーにもどかしさを感じることもあるに違いない。しかし、それでも西岡は「アニキ」的な視線からの指導を続ける。

「今の若い子に喝を入れても響かないですよ。昔とは違いますし、育ってきた環境も違いますから。もちろん世代のギャップは僕も感じますよ。僕らはちょうど中間(世代)なんですよ。今の40後半から50代の人たちが練習中水も飲めない厳しい時代で育って、僕らの時代ぐらいから暴力が表沙汰になって、その下の世代も見ているので。そういう意味で若い選手に合わせやすい部分はあると思います。今はもう野球友達の集まりですよ。ため口でもOK。グラウンドから出れば、挨拶なんかもちゃんとやろうとは言いますけれ、グラウンド内では「ですよ」なんか要らないんです。サッカーの世界なんかではもう取り除かれていますが、その感覚に似ているかも分からないですね」

監督兼任となった今も背番号はロッテ時代の7である。
監督兼任となった今も背番号はロッテ時代の7である。

独立リーグの向かう先

 独立リーグの監督には、フィールドでの勝利のみを求められるNPBの監督以上の負担が求められる。環境には決して恵まれているわけでもなく、オフにはスポンサー獲得の営業活動に携わる場合もあるくらいだ。その意味では、昨年までの栃木での独立リーガー経験は、野球人・西岡にとって貴重な時間だったと言える。

「初めて栃木に行ったときはびっくりしました。水も食べ物もない、全部自分で用意しないといけない。僕らは今までに稼いだお金があるから大丈夫ですけど、給料10万とかの選手たちにとっては、水1本でも大きな負担です。じゃあ球団が用意できるのかというと、球団も金がない(笑)。この環境を変えないと。NPBを目指す環境としては違うと思うんで。練習はさせるが、栄養補給ができない状態では、免疫も落ちる、けがもしやすくなる。悪循環になっていくんです」

九州アジアリーグではシーズン中の選手のアルバイトを許可している。野球に専念すべきプロリーグとしては、疑問の残る制度だが、西岡は独立リーグという立ち位置を考えると、それも必要ではないかと考えている。

「うちは試合がない日の練習は、朝8時から昼までの短時間できちんと量をこなして、その後は自由なんです。だからバイト行っていいよとは言っています。実際には、誰も行っていないようですけど。それに、選手たちにはしっかりと社会勉強もさせないと。NPBでクビになった人たちでも、次の仕事は何をしようとあたふたするわけです。独立リーグの選手ならなおさらでしょう。それだったらちょっとでもバイトに行って、そこでいろんな人に出会って、次へのステップになればいいんじゃないでしょうか。独立リーグから本当にNPBに行く選手は限られています。要は24時間をどう過ごすかですよ。ひもじい生活をするのか、3、4時間バイトしに行って、それをプロテイン代に充てるのか。そこは、人それぞれですけど。選手には言っているんです。ここは『就職先』じゃないからって。この環境ではやっぱり家族を養えないじゃないですか。いつかはここでも、家族を持つことができるくらい稼げるようになればいいと思うんですけれども、そこはまだはるか遠いですよね」

「スキップ」の視線の先にあるもの

スキップの視線の先には何があるのだろうか。
スキップの視線の先には何があるのだろうか。

 独立リーグという場は、選手にとってだけではなく、指導者にとってもステップアップの場である。ここから指導者としてNPBに旅立った。しかし、西岡は今のところ「その先」は考えていないと言う。

「当面の目標はないです(笑)。毎日毎日、この1日1日をどう生きて、朝起きて、よし、今日も若い子たちのパワーをもらって、俺のパワーもみんなに伝えようと思ってやっているだけ。僕は小さいときからの夢は全部かなえたんです。首位打者も取ったし、優勝も経験できたし、WBCも、本当に誇りに思っています。NPBで思い残したことはないですね。だからこれからの目標は、1年1年、自分の中で変化していくんです。独立リーグという舞台で続けていくと、まだ新しい何か、面白いことに出会えるんじゃないか。だから、今はいろんなことにチャレンジしていって、経験値を上げることだけですね」

 取材の日、スタメンに西岡の名はなかった。自らの感覚で自分の名をオーダー表から外したらしい。その試合では試合最終盤に代走、翌日も代打での出場だった。しかし、それも若い選手にチャンスを与えるという親心からのことではない。自分をベンチに追いやるくらいでないと、目標とするNPBになど手が届くはずがないことはスキップである自身が一番よく知っている。

「若い選手に譲ろうとかは全くないですよ。前の試合で負けて、自分が5タコだったんですよ。結果を出した者順ですから。それで、試合に出たやつらが活躍したから、僕は代打からとか、そういうところからチャレンジしていって結果を残して、また試合に出られる状態に持っていかないとダメですね。やっぱり常に競争ですから」

 野球界の酸いも甘いも知っている。今後は野球を楽しみながら自身の経験値を野球界に伝えていくつもりだ。

「僕はね、ロッテのキャンプのバイトまで行ったから(笑)。あれもかなり経験値アップですよ。バイトは待っている時間長いなーって。球団がお金を払っているのにもったいないと思いましたね。もっとバイトを使えばいいのに。独立リーグの子たちだって立派な野球経験者なんだからバッティングピッチャーにでも使ったらいいのにとか。彼らにとってもそれがまた今後に生きるかも分からないですからね。今はもう野球をどう楽しむか。勝ったときは喜んで、負けたときは悔しさを感じ取っての繰り返しなんですが、それがまた楽しいんですよ。打てなくて悔しい思いをしている自分が、また楽しいんです。」

「スピードスター」から「スキップ」へ、西岡剛の冒険はまだまだ続く。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事