10月は保育士の「退職」決断の季節 あと半年で試してほしい「改善」の方法とは
10月に、苦渋の決断を迫られる保育園職員たち
毎年10月は、保育園で働く人たちが、自身の去就について特に頭を悩ませる時期である。多くの保育園で、来年度の人員配置の準備のために職員の希望を聞く「意向調査」が行われるタイミングなのだ。園長との個別面談や調査書の提出を前に、職員たちは来年度も勤務を続けるか、年度内での退職を伝えるかの決断を迫られることになる。もちろん法律上は退職日直前に退職を決めても何ら問題ないが、保育業界では広く行われている手続きだ。
保育園で働く人たちからの労働相談を受けている労働組合「介護・保育ユニオン」には、「賃金が低すぎる(月20万円以下のことも多い)」、「人手不足で早朝から夜までシフトを入れられている」、「休憩が全く取れない」、「パワハラに遭っている」、「虐待や不適切保育が放置されている」、「補助金不正に巻き込まれている」などのトラブルが、年間300件ほど寄せられている。
このような事情のために、今年度での退職を真剣に検討している人も多いだろう。それでも、いま接している園児たちや保護者たち、職場の同僚たちとの関係は良好で、できることなら現在の保育園に残りたいと葛藤している人たちも多いはずだ。また、退職するにしても、「やられっぱなしは悔しい」「来年度も残る同僚や、子どもたち、保護者の皆さんのために何かしたい」という保育士も少なくない。
ここで、一つの可能性を提案してみたい。保育園の過酷な環境を、あと半年間で改善できる可能性があるとしたら、どうだろうか? その可能性をできるだけ追求してみてからでも、決断は遅くない。そこで本記事では、葛藤する保育園職員のために、その「改善」の方法を紹介してみたい。
保育園を改善するための5つの選択肢
保育園のさまざまな問題を改善するために、どのような方法があるのかをリストアップしてみよう。(1)経営者に直訴、(2)自治体の保育課に相談、(3)労働基準監督署に申告、(4)一斉退職による直訴・交渉、(5)労働組合による交渉の5つだ。
(1)社長や理事長に直訴
理事長、本社や社長に、現場で起きている問題を「直訴」してみたことのある人は意外といるのではないだろうか。園長やエリアマネージャーなどの上司が動いてくれない問題について、「もっと上の人なら変えてくれるのでは」と期待する人は多い。
しかし残念ながら、現場の保育園で起きている問題について告発を受けても、経営者が放置・黙認してしまうケースは非常に多い。特に近年になって保育業界に新規参入した経営者は、利益優先ばかりで保育に関心がない場合が珍しくはない。こうした経営者にとっては、改善することで収益に響きかねない労働問題や保育環境のトラブルは、職員に「泣き寝入り」させて済ませた方が「合理的」なのだろう。
ほとんど改善は期待できないが、「トップが何も対応してくれなかった」という証拠を残しておくためになら、直訴してみる意味はあるかもしれない。
(2)自治体の保育課に相談
配置基準違反、補助金の不正、園児の虐待・不適切保育があった場合、都道府県や市町村の保育課による監査や指導が期待できる。だが、熱心な担当者がいる場合もあるが、自治体からすれば、たとえ悪質な保育園でも待機児童対策のために「お世話になっている」という事情があることから、経営者に及び腰なことも少なくない。
それでも、明確な証拠があれば、配置基準違反や、虐待・不適切保育については、対応が期待できる。逆に証拠がないと非常に腰が重いのが実情だ。また、職員の労働問題については「管轄外」とされてしまい、対応がなされることはない。
(3)労働基準監督署に申告
労働基準監督署は、労働基準法違反を管轄する厚生労働省の機関である。窓口に出向いて申告の手続きをすれば、労働基準法違反について行政指導をしてくれる。逆に労働問題であっても、労働基準法違反にならない分野である、パワハラや低賃金(最低賃金以上の場合)、長時間残業(36協定以内の場合)などについては対応できない。
代表的な労働基準法違反である未払い残業代については、タイムカードのようにしっかりした証拠さえあれば、支払うよう保育園に指導できるが、証拠が弱い場合や、タイムカードの時間を短く記録させられている場合、持ち帰り残業の場合などについては、労基署による対応はかなり厳しい。
また、通報者が会社に対して匿名であることを希望する場合は、労基署はまず申告を受け付けてくれない。そのうえ、誰が労基署に申告したのかが経営者に知られて、経営者から事実上の「報復」を受けても、そのことに労基署はほぼ対処できない。このため、在職中に労基署を活用する場合はかなり注意が必要だ。
(4)一斉退職による直訴・交渉
近年、全国で増えており、話題になっているのがこの方法だ。経営者の引き止めに応じず、複数の職員たちが年度末などに同時期に退職することを取引材料として、「背水の陣」で改善を要求するという方法である。
一斉に退職されると保育園が成り立たなくなり損害が生じるため、経営者が改善に応じるケースもある。実態としては、次で紹介する労働組合やストライキにかなり近付いていると言えよう。
ただし、法的には経営者には交渉に応じる義務があるわけではない。また、退職の「カード」は一回切りしか使えない。また、職場の職員たちだけで交渉することの難しさもある。ここまで覚悟が決まっているのであれば、次の(5)を推奨したい。
(5)労働組合(ユニオン)による交渉
最後に、保育園改善のための「本命」として、労働者の権利を行使するための団体である労働組合(ユニオン)を紹介しよう。労働者が加入した労働組合は経営者に対して、労働問題、保育環境などについて、団体交渉を通じて改善を要求することができ、一方で経営者は交渉に応じる義務が定められている。保育園の一職員であっても、理事長や役員と席を交えて話し合えることが、法律で保障されているのだ。
交渉できる内容としては、労働基準法違反はもちろんのこと、保育の「内容」にあたる虐待・不適切保育、補助金不正まで幅広い。特に労働問題のうち、パワハラ、配置基準ギリギリの人員不足、賃金アップ、処遇改善費の適切な配分、嫌がらせとしての配置転換の撤回、コロナ対策などは労働組合でしかほとんど改善を求められない。
さらに、労働者が組合に入ったことを理由とした経営者による「報復」についても、労働組合法に違反する行為として禁止されているため、そのようなことをしないように牽制させたり、仮にやってきても停止・撤回させたりの「反撃」がしやすい。
腰の重い行政機関(自治体や労基署)を組合のサポートを受けて活用し、特に自治体には労働組合からプレッシャーをかけてもらうことも効果的だ。
なお、職場の労働者たちだけで労働組合を結成することもできるが、経営側の巧妙な戦略に翻弄されてしまうことも予想される。個人で入ることのできる既存の労働組合に加入すれば、職場以外の経験豊富な組合員のサポートを受けながらの団体交渉が可能だ。過去には外部の組合が動いたことで、行政から保育園に指導がなされたケースもある。
保護者との連携、ストライキができると影響力は大きい
ただし、労働組合には法的な保護があるとはいえ、交渉だけでは経営者が改善に応じてくれないケースも多い。そこで重要になってくるのが「団体行動権」の行使である。労働組合は、宣伝活動や実力行使を通じて、経営者に要求に応じるようプレッシャーをかけることが認められているのだ。
逆にいうと、労働者にこれらの行動をする「覚悟」がないと、経営者に「そこまで本気ではないんだな」と足元を見られてしまい、交渉も内容を伴わないものになってしまいかねない。では、具体的にどのような「行動」をする必要があるのだろうか。保育園ならではの例を二つあげておきたい。
(1)保護者に対する手紙の配布
保育園での団体交渉において重要な行動の一つが、保護者への手紙の配布だ。労働組合に加入したこと、保育園の労働環境・保育環境の実態のひどさ、それらを改善するために経営者と交渉すること、場合によってはストライキをするかもしれないことなどを手紙に書いて、主に子どものお迎えの時間帯に、すでにシフトの終わった職員が中心となって配布するのが典型だ。介護・保育ユニオンで団体交渉をする際は、ほぼどの職場でも実施しているという。
すべての保護者の賛同を得られるとは限らないとは言え、保育園の職員が団体交渉をするにあたり、保護者の理解を得ることは決定的な後押しになる。多数の保護者から経営者や自治体に問い合わせが殺到したり、自主的に署名活動を行ったりと、心強い「援護射撃」をしてくれることもある。
(2)ストライキ
労働者が労働組合に加入してできる権利行使のうち、経営者にとって、もっとも「困らされる」のが、ストライキにほかならない。経営者に要求をのませることを主な目的として、労働者たちが保育園に同時に出勤しないという方法である。実はこの方法は、保育園という職場では、他業界以上に効果を発揮する。
ただでさえ配置基準ギリギリの職員数で運営している保育園において、複数の職員が出勤しないということは、配置基準違反となり、その日は合法に保育園を運営できなくなることを意味する。保護者は当然として、経営者、さらには自治体にとっても大問題だ。これまで保育士たちを「泣き寝入り」させて、やり過ごしていた保育園のトラブルに、経営者も自治体も本腰を入れて取り組まなければならなくなるのである。
ほかにも、インターネットでの情報発信や、厚労省や県庁などでの記者会見の実施などによる宣伝も効果的だ。
「保育園でストライキなんてして大丈夫?」という方へ
さて、実際にストライキを実行することになったら、保護者に大変な迷惑がかかるのでは、と不安に思う人もいるかもしれない。もちろん、ストライキなので結果的にある程度の「迷惑」がかかることは避けられない。
とはいえ、当日朝に突然ストライキを通知すると、これから子どもを預けようとしていた保護者が出勤できなくなってしまう。そこで、介護・保育ユニオンでは、終日ストライキを実施するときには、保護者や自治体の保育課に、手紙配布や申し入れを行い、ストライキを実施する可能性がある日を事前に連絡しておくという。
実際には、ストライキの日は、自治体が保育士資格のある自治体職員を園に派遣したり、保護者も自主的に登園を自粛したりするケースが多いという。そもそも複数園を運営する法人であれば、他の園から従業員をヘルプでかき集めて間に合わせることもある。そうやってストライキの「穴埋め」ができたとしても、ストライキをするまで職員たちを追い詰めた経営者は保護者や自治体の批判を一身に受け、対応も含めてかなりの「打撃」を受けることは間違いない。
2年前、東京都内の株式会社運営の認可保育園で、パワハラ、保育士の不当な異動、職員数不足などを要求として保育士ら10名以上が終日ストライキを実施したときは、ハラスメントを行ったエリアマネージャーと園長の異動と、保育士の異動撤回などを勝ち取っている。
ストライキ当日には、保護者はほぼ半分が子どもに園を休ませたという。一方で、保育士たちが手紙をつうじて実態を説明したことで、ほとんどの保護者たちは労働組合を応援し、9割以上が自治体、経営者に提出する要望書に署名している。
今年春、神奈川県内の社会福祉法人の運営する認可保育園では、突然の閉園によって職員全員が補償なく解雇されそうになり、保育士5名がストライキをして、和解に至っている。このときは市の職員が「穴埋め」に来たうえ、少なくない保護者が子どもに園を休ませている。ここでも、手紙の配布で実態を知らされた保護者たちが「ストライキは困るけど、先生たちが大変なのはわかるから」「ここ、ブラックですよね」と応援の言葉を寄せたという。
保育園で働く人たちと保護者との間に信頼関係があり、しっかり説明をすれば、保護者からストライキが共感される可能性は高いのだ。
一斉退職よりも、労働組合によるストライキが「効果的」
毎年3月、全国の保育園で発生する職員の一斉退職・集団退職は、もはや珍しくいことではなくなってしまった。このことは保育園の現実の過酷さを示す一方で、保育園の労働者が、経営者を動かすための大きなポテンシャルを持っていることを意味している。
労働者が一斉に退職する、一斉に仕事に来なくなるということじたいが、経営者にとっては大きなダメージを受ける出来事である。代わりの職員を見つけなければ、保育園を運営できなくなってしまうわけだ。繰り返しになるが、一斉退職はほとんど事実上の「ストライキ」だ。労働組合によって、この行動を「戦略的」に実施することで、保育園を改善する力につなげることができるのだ。
労働組合による交渉がうまく運び、保育園の問題が改善されるのであれば、退職しないで済む保育士も多いはずだ。意向調査についても、改善を可能な限り追求するため、ひとまずは退職の意思表示はせずに、年度末ギリギリで判断するという対応も法的には問題ない。
退職の意思が固いのなら、残された園児や保護者、同僚たちのために、去りゆく立場を最大限利用して、改善を目指すという方法もある。
また、保育園労働者個人にとっても、退職したとあとも労働組合に加盟しておくことで、仮に転職した先の労働・保育環境に問題があった場合に、あらためて改善の交渉をすることができる。このように、労働組合に加入しながら保育業界を渡り歩くという方法もあることを補足しておきたい。
あきらめず、この機会に労働組合に相談してみてはいかがだろうか。
介護・保育ユニオンでは、本日23日にホットラインを実施するという。普段からも相談を受け付けており、保育現場で退職と改善の間で葛藤している方は、ぜひ相談してみてはどうだろうか。
【一斉退職の前に労働組合へ 保育職場の労働相談ホットライン】
日時:10月23日(日) 13時~17時
電話番号: 0120-333-774(通話無料・相談無料・秘密厳守)
主催:介護・保育ユニオン
無料労働相談窓口
03-6804-7650(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)
公式LINE ID: @437ftuvn
*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。
*介護・保育ユニオンの母体である総合サポートユニオンでは、労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっており、「ブラック企業」などからの転職支援事業も行っています
03-6699-9359(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)
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*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが労働法・労働契約法など各種の法律や、労働組合・行政等の専門機関の「使い方」をサポートします。
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